号砲
ケウニア北方平野に展開したヒューミニア連合軍陣地で、総軍司令官アリエベル・テゴスは北の果てに見えるコルニケア城塞を見据えていた。
手前に点在する森に遮られて肉眼では見えないが、探知魔法で位置の特定はしてある。敵の配置も察知している。コルニケアの雑兵どもが防衛線を張っているようだが、総兵力八百に届かんとする連合軍の前には無意味だ。
攻城兵器である魔導投石砲による一斉投射の後、地龍の牽く装甲馬車で突撃を行う。コルニケアに逃げ込んだ国賊クラファが“鉄礫の魔道具”を使ったとしても、攻撃魔法を無効化する対抗魔法陣の刻まれた馬車を傷付けることは出来ない。
コルニケアのチビどもは、己が愚かさを自覚する間もなく巨石に潰されて死に絶えるのだ。
「オーグはどうした」
「前線偵察に出たまま戻られていません」
「くそッ、いまが好機というのに何をしているんだあのボンクラは」
テゴス家の末弟オーグに指揮官としての適性はなく、自ら望んで騎兵の道を進んだ。いかに武勇が優れようと、個兵の力が戦況を左右することなどない。お前の憧れているのは御伽噺の絵空事だと、説得したのだが無駄だった。
オーグは志したままに軍歴を重ねて重装騎兵となり、今日も最前線で仲間たちと槍を掲げて突撃を敢行するわけだ。家名に囚われず無邪気に夢を叶えた弟が、アリエベルはどこか疎ましくも羨ましかった。
「まあ、いい。俺は俺だ」
ヒューミニア軍部を統べる第二王子トリリファ殿下と友誼を結んだ、武勇の名門テゴス侯爵家の嫡男として。名に恥じぬ行いをしなければいけない。
「もう待てぬ。行くぞ」
「は」
アリエベルは装甲馬車の後部にある踏み台に登って、平野に集結した連合軍兵士たちを見渡した。
「傾聴!」
副官の号令に、兵士たちは背筋を伸ばし武器を地に打ち当てた。その音が、ひとつにまとまって耳に響く。
鍛え上げられた精兵の反応に気を良くして、アリエベルは拳を振り上げながら配下の隅々まで届くよう激しく檄を飛ばす。
「我らが主君、未来の王たる軍権の長、トリリファ殿下は卑劣なる賊の凶弾に斃れられた! だが、心するがいい! これは、報復ではない! 王家に弓引く大罪人! それを匿い手向かおうとする者どもへの、誅伐! 膺懲である!」
「大義は、我らにある! 兄トリリファ殿下を弑した逆賊クラファに、正義の裁きを下す!」
「「「おおおおぉ」」」
「ぉッ」
パスン、と何かが通り過ぎた。左から右に飛び去り、金属音と火花が散る。
「いまの、は」
菱形陣形の端にいた地龍が、細い悲鳴のような声を上げながらグラリと傾いてゆくのが見えた。とっさに落ち着かせようとした魔獣使役官を巻き込み、全長五十メートル近い巨体は周囲の物や人間を割り砕き押し潰して凄まじい地響きを立てる。
自分の目にしたものが、信じられない。龍の胴体が痙攣し、点々と開いた穿孔から、思い出したように血飛沫が噴き出す。鋼鉄の鏃も跳ね返す龍鱗が。重甲冑以上の強度を誇るそれが、砕けるでもひしゃげるでもなく、貫かれている。まさか。
「クラファの、魔道具か⁉︎」
これほどの威力だとは、話が違う。ケウニア首都の阻止線を打ち破り王子を殺した攻撃も、卑怯な不意打ちと聞いていた。遺体の傷がひどいとのことで臣下の目には触れられず密かに埋葬されたが。魔導防壁の隙を衝かれたのだと。魔導師部隊の無能が招いた結果だと思っていた。
その間にも、追撃が加えられる。何者かが放ってきた攻撃は、遥か彼方の丘陵部から緩やかな山なりの弧を描き、次々と打ち出されてくる。小さな光を纏った、瞬く礫。それは甲高い風切り音を立てながら飛び去り、あるいは兵たちを貫いて周囲に血と臓腑を撒き散らす。
これがそうか。王子を屠った、“即死の鏃”か。
「魔導師隊、兵に防壁を張れ! 弓兵、あの丘に向け斉射!」
青白い光が歩兵部隊を覆う。命令通りの行動だ。地龍を害する戦力など誰も想定してはいないし、装甲馬車には分厚い装甲と魔石による攻撃魔法に対抗する魔法陣があるからだ。
だが、地龍は一体また一体と、強固なはずの龍鱗を貫かれ血反吐を吐きながら昏倒して息絶える。
「魔導投石砲! 全砲、打ち出せ!」
「司令官殿、無理です!」
「揃わずとも構わん! 狙う必要もない! コルニケアの蛮族どもに思い知らせてやれ!」
「彼らは、死んでいます!」
「なに?」
四面とも分厚い鋼張りの車体。金属の盾と対抗魔法陣に守られた、“動く城壁”だ。そのなかは、周囲数百ファロン四方で最も安全な場所のはずだ。脆くて隙間だらけで手抜きばかり目立つイメルンの城塞などよりも、よほど強固で頑丈なはずだ。そのはず、なのだが。
「まさか」
装甲馬車の陰に布陣し、仰角を取って斉射を掛けようとしていた弓兵たちが。連携を取りながら広域防壁を組み上げていた魔導師部隊が。
装甲馬車を貫いた死の鏃に弾かれて肉片を飛び散らせる。
「装甲の、両側を貫通しただと⁉︎」
「司令官殿、騎兵に突撃を、ぶッ」
進言していた副官の頭が、臭い霧を振り撒いて消えた。ふらりと数歩歩いた胴体は、膝から崩れて倒れ込む。
「くそッ! 騎兵部隊、総員突撃! あの丘だ!」
「し、しかし!」
「回り込めば攻撃は受けん! どんなことをしてでも、クラファの首を上げろ!」
ふざけるな。
これは戦争などではない。ましてや報復などではない。誅伐なのだ。天意の、正義の行使なのだ。
正しき者が敗れるなど、こんなことが許されてたまるか。
「全軍、コルニケアに向け前進! 魔導師部隊、左翼に魔導防壁を掛けろ!」
「司令官殿! 魔導師部隊残り十二名、防壁維持できません!」
「黙れ! さっさと続けろ! 泣き言を吐く奴から殺す!」
「前進!」
「前進だ!」
騎兵の突撃を察知したせいだろう。西の丘から飛来する攻撃は、途端に疎らになった。威力は恐るべきものだったが、散開し突進してくる騎馬を打ち倒せるほどの精度はないか。ひとつ、クラファの弱点が見えた。
「見よ! 国賊は、向かってくる騎兵に恐れをなしたぞ!」
あの礫で粉微塵に砕かれたのは、肉でも武器装備でも戦列でもない。士気だ。ここで止めなければ、脱走する者が出始める。あっという間に、戦線は崩壊する。
「怯むな、全力で進め! 隊列は維持しなくて良い! 敵地までは、残り二キロメートルもないぞ!」
徒歩で走る兵まで仕留められるかどうかは賭けだ。どのみち全員を殺すことはできまい。戦争は、数と力を掛け合わせて決まる。いかに強かろうと賢かろうと、寡兵に拾える勝機など、ありはしないのだ。
「見ていろ、クラファ!」
騎兵どもが首尾よく首を上げられればよし。それが叶わなかったとしても。
国賊から、戻る場所を奪ってやる。




