森の小道は
ぼくは古い軍用のカワサキに乗って、森を縦断する小道を走っていた。路面は荒れて道幅も細く、見た目も獣道に産毛が生えた程度でしかない。泥濘に突っ込むたび後輪はグリップを失って尻を振るが、マークスの身体は運動神経が良いらしく細かく当て舵を入れながら速度を維持して走り続ける。
リアシートには毛布を身体に巻きポンチョを被ったクラファ殿下。雨風を避けて保温を優先した結果、せっかくの美少女がモコモコしたテルテル坊主のようになっている。
枝葉が視界を遮る小道は昼なお暗く、とはいえ二国間を繋ぐほぼ唯一の商業ルートであることには変わりないので、近隣の盗賊どもの稼ぎ場所になっているようだ。
あるいは、魔獣や肉食獣の餌場に。
「森のなかは、わずかに雨が弱まるのだけが救いだな」
「少し距離を稼いだら、どこかで雨宿りしましょう。姫様が風邪を引いてしまったら困る」
「生きるか死ぬかの瀬戸際に風邪の心配か」
「そうですよ。どうせこの先も戦うことになるなら、体調くらい万全にしないと」
無駄死にしたら、きっとマークスが悲しむ。ぼくはその言葉を飲み込んだけど。クラファ殿下には伝わったようで、後ろから腰に回していた手が、少し強く締め付けられた。
「貴様が何者かは知らんが、これからもマークスの身体を使うのであれば、わたしの命令に従う義務があるぞ」
「わかってますよ。どうやら、この身体からは離れられないようです。たぶん、クラファさんからもね」
ぼくの目覚めた“魔女のクレーター”は、ハイゲンベルという名の鬱蒼とした原生林のなかにあり、数百平方キロメートルはある広大なそこは、王国領と北部ケウニア王国との間に広がる緩衝地帯になっていた。
もちろん、ぼくはそんなこと知らなかったけど。現在のぼくの身体であるマークスの知識と経験は――いくぶん他人事としてのフィルター越しではあるが――ぼくにとっても活用可能なデータベースとして生きていた。
彼の生前の“感情”については、彼自身も自覚していなかったか、自覚することを止めていたのか、あるいは転生者に渡すまいと隠蔽されているのか、あまりこちらに伝わってはこない。
それで良いんだろうなと、個人的には思う。
他人の責任や義務だけでも手一杯なのだ。感情までは引き受けられない。
「しっかり掴まっててくださいね、落ちたら危ないんで」
「わかってる。それより、エルロティアへの道のりは」
「マークスが、知ってますよ。彼の記憶は、ある程度なら残ってますから」
たぶん、ほとんど残ってる。でも、それをいうのは却って彼女を苦しめるだけだ。ふたりの間に何があったか――あるいは、なかったか――について、ぼくに干渉する資格などない。あえていえば、積極的に関わりたくもない。
クラファ殿下の母君が生まれた国、エルロンティアは小国ながらも天然の要害である急峻な山岳地帯に守られた永世中立国だ。
前世の記憶からするとスイスっぽいところかと思うんだけど、それが良くも悪くもほぼ正しい。主要輸出産業は人材、それも傭兵だというから近世以前のスイスだ。意志と規律と武力で維持された平和。その血を受け継いだクラファ殿下が軍事大国ヒューミニアから放逐された事情は、マークスの記憶や知識では掴み切れていないようだったが、色々とキナ臭い裏がありそうだった。
「マークス、魔力探知に敵が掛かった。人間ではなさそうだが、数が多い」
「了解、ですがマークスには魔力感知、ないんですかね」
「知らん。だが不死者は傾向として、感覚器は鈍りがちだとは、いっていた」
なるほど。マークスの言では、そうなのか。ケアレスミスじゃ死なないとなれば、そんなもんかもな。
遠くで嬌声みたいなものが聞こえてきた。人間じゃないとしたら、魔物か。
「ゴブリンだ。倒木の左、矢か投石が来るぞ」
「変ですね」
バイクを停止させて、ぼくは様子を見る。直感として、なにか違和感があった。あえて無視しても良いんだけど、それだと面倒なことになりそうな感じ。
「変、とは?」
「なんで魔物が、こんなところで待ち伏せるんです? 土砂降りの雨のなかで。いつ来るかもわからない通行人を相手に」
「盗賊や魔物は、そういうものだろうが」
「そう思わせているとしたら」
「誰がだ」
そう、そこだ。
森の切れ目からは左に傾斜がある。ゴブリンが待ち伏せている倒木に対して、迎え撃つのに適した岩陰。
その岩陰を見下ろす位置に、誰かがいた。
「もしかしたら、面倒な相手を呼び寄せたんでしょうかね。魔女を、倒したことで」
「“王家の隠密部隊”か?」
「さあ。ぼくのマークスの知識では足りないようです」
訊いてみるしかないか。ぼくはバイクを降りて、クラファ殿下にこの場を動かないよう伝える。
この身体の戦闘能力は、正直そう高くない。不死者は感覚器と同じく戦闘能力も鈍りがちなのかもしれない。むしろ肉の盾になってクラファ殿下を守ることに特化したような印象がある。
特殊スキルである“武器庫”を除いて、彼が唯一得意だったのは“気配を消して忍び寄ること”。
その真価を、この機会に試してみよう。