終幕:新たな旅立ち
真の王クラファ陛下のもと、新生エルロティアが再スタートを切ってから、およそ七年の月日が流れた。
良いことも悪いこともあったし、むしろ良くも悪くも変化もないままの停滞が最も長かった。
迷うたびに振り返り、行くべき道に立ち返った。エルロティアは長い歴史を持ちながらも、そのほとんどを為政者の愚策に翻弄され続けてきた。学ぶべき過去も、守るべき礎も、添うべき先人の記録もろくに残っていない。
それでも、クラファ陛下は挫けず進み続けた。それが母君から受け継がれた責務だと信じているからだ。
「これで陛下の努力が、ようやく実ったのかもな」
エルロティア東端の町アイファロンで、ぼくは注ぎ込んできた時間とカネと労力と頭脳と資材と人材をしみじみと思い返す。
なにせ七年もの月日を掛けて、ようやく開港に漕ぎ着けたのだ。
長い道のりではあったけれども、港湾整備や施設の建設だけならば、実はそれほど問題でもなかった。いまやクラフィアと名付けられた王都から、アイファロンまでは距離にして六百キロ近くある。その間に町や集落はほとんどなく、あるのは密林と荒野と湿地と川と渓谷だけ。物資の移送など望むべくもないその環境に鉄道を敷設したのだから、時間もカネも気が遠くなるほどのものだった。大事業なのはともかく、初期は採算性が皆無というのが痛い。技術的・経済的には可能だと判断できるまでに一年、それから人員と資材の調達。予算を確保し承認が下りるまでに半年。実際の工事にも四年以上は掛かった。
港湾整備など、ほんの余禄でしかない。
「マークス」
友好国の来賓に囲まれて談笑していたクラファ陛下は、ぼんやり海を眺めるぼくに声を掛けて手を振る。
「ご来賓の方々から、お前に訊きたいことがあるそうだ」
巨大で優美な帆船が並ぶ端の方にポツンと、ぼくが手に入れたエルロティア海軍の艦艇が停泊している。予算が乏しかったのであまり選択肢はなく、手に入ったのは全長三十五メートル、全幅六・三メートルの水雷艇だった。
「なあマークス。あの船は、どういう代物なんだ?」
やはり最初に食い付いてきたのは、技術立国であるコルニケアのアルフレド王。新しい機械や技術に目がないドワーフだけあって、興味の持ち方が半端じゃない。
どうでもいいけど、新領地になったヒューミニアやケウニアとの行き来で船を頻繁に利用しているせいか、最近はどこか海賊っぽい感じになってきている。
次に興味――と不安――を隠せずにいるのは、海洋国として発展著しい北部リベルタンの自由議会理事たち。彼らは海洋進出する国々に型落ちの船舶を売って急速に勢力と影響力を付けてきたところなのだ。そこへぼくが近代艦艇なんて持ち込んだため、技術的オーパーツ状態になってしまって気が気じゃないのだろう。
考えなしに行動して、申し訳ない。
「フェアマイルDという……装輪装甲車の遠い親戚みたいなエンジンで動いている金属の船です」
「……ほう?」
うん。キョトンとされた。何の説明にもなっていないのは自覚しているが、ぼくに船舶の技術や知識はない。当然ながら経験もない。実際あまりわかってないのだ。しかも調達からまだ二ヶ月ほど。曲がりなりにも運用にこぎつけられたのはコルニケアから移民してくれたエルロティア海軍のドワーフ技術者の頑張りによるところが大きい。
「先ほど、エルロティアに渡った顔馴染みから少しばかり話を聞いたのだがな。正直なところ俺には半分も理解できん」
「ああ……すみません。実は、ぼくもです」
実際の稼働はドワーフ技術陣の力に任せっきりだ。必要なときに必要な場所まで無事に移動できるように状態と操船能力の維持を頼んである。
この水雷艇、イギリス軍用なのだがパッカードという米国メーカーのV型十二気筒ガソリンエンジンを四基積んでいて、トータル五千馬力。“武器庫”のデータによればフル加速で時速三十ノットほど出るのだそうだ。でもノットって、キロ換算でどれくらいなのかもわからないし、それを説明する知識もない。帆船がどのくらいの速度で走るのかもわからないから、比較しての話もできない。
船酔いが酷いので、乗ったのも二回だけだしな。
「武装は?」
「いまは砲が二基、大きい機関銃が四基、小さい機関銃が二基です」
調達時には魚雷と爆雷の発射装置も搭載されていたけれども、現状こちらの世界では使い道がないので降ろしてある。とりあえずは沿岸沿いに移動する小型貨物船としての利用だし、敵は海賊と水棲の魔物くらいだ。海賊は小型の手漕ぎ船、魔物はマーメイドやセイレーン。爆雷だとコストが合わない。
「その大きい機関銃っていうのは、“びーてぃあーる”のデカい“じゅう”みたいなものか?」
「ええ、そうですね。二基ある砲は……前にお話しした、戦車の武器に少しだけ似ています」
オードナンス社製の六ポンド砲。厳密にいえば戦車砲というより対戦車砲みたいだ。戦車の実物を見たこともないひとたちに説明しても混乱するだけなので、そこは軽く流す。
「……俺たちの木製帆船なら一瞬で沈められそうだな」
「「「……なッ⁉︎」」」
うん。ぼくより考えなしのひとが、ここにいた。
アルフレド王、王妃になったばかりの元護衛サシャさんから耳を引っ張られて、少し離れた場所でガッツリ怒られてる。新婚さんなのに、早くも尻に敷かれている感じ。いや、それは初対面の頃からか。
静かに動揺しているリベルタンのお爺ちゃんたちに、クラファ陛下は笑顔でフォローしている。
“大丈夫ですよ、友好関係がある限り意味のない前提です”っていうコメントは、すごい遠回しな砲艦外交みたいな気もしないでもないです。はい。
◇ ◇
セレモニーは、地味好きなエルロティアにしては頑張ってかなり盛大なものになった。陸路での流通が荷駄程度しかないエルロティアにとって、大規模貿易はここから始まるのだから、気合の入れどころだ。
クラファ陛下のお見送りの後、各国首脳はそれぞれ帰路に着く。コルニケア王とリベルタンの理事たちはそれぞれの船で。内陸国マウケアのエルメンテイト女王は、開通して間もないエルロティア鉄道で。
エルメンテイト陛下からは、“クラファ陛下とマークスさんとご一緒させて欲しい”と、たってのお願いがあった。陛下はわかるが、なぜぼくまで。
「まさかアイファロンが、あれほどまでの発展を見せるとは思ってもいませんでしたわ」
客車の貴賓席。遠ざかる景色を車窓から振り返りながら、エルメンテイト陛下は笑顔を見せる。
「かつてのアイファロンをご存知だったんですか?」
「マークス。エルロティア東端一帯は、旧マウケア領だ」
「え」
クラファ陛下からは“知らんかったのか”、みたいな顔をされたけれども。当然ぼくは知らない。マークス本人の記憶にもない。クラファ陛下から聞いた覚えもない。
「正確には、現在のマウケアとケウニアとコルニケア、そしてエルロティアの一部がすべてマウケアという大国の領土だった」
「それは、勉強不足で申し訳ありません」
エルメンテイト陛下は気を悪くした様子もなく、穏やかに微笑まれた。
「その大マウケアは、現在の小マウケアと、国家として歴史的同一性はありません。ただ、アイファロンは、大マウケア人が上陸した土地といわれています」
「つまりは、この地で暮らす亜人たち。エルフ、ドワーフ、獣人たちの祖先だ」
……ん?
両陛下のコメントに、ぼくは首を傾げる。
「ということは、その先人が上陸するまで、この大陸には人間しかいなかったということですか?」
「いなかったかどうかは知らんが、国家を築いてはいなかったようだな」
クラファ陛下がアイファロンにマウケア、コルニケア、エルロティアの三国とリベルタンを加えた多国間貿易拠点を築いたことには、象徴的な意味があったようだ。まったく知らなかったわけではないけれども、やけにあの地に拘るなとは思った。三国共同で開港するならば、もっと南の……現在はコルニケア領に編入された旧ケウニア東端の方が平地が広く深い内湾になっていたからだ。
「ここから始まるということですよ、エルメンテイト陛下」
「ええ」
再征服活動ならぬ、この地の再発見活動か。それも良いかもしれない。
遥か彼方、エルロティア王都上空に巨大な枝を広げる世界樹を思いながら、ぼくらは新たな世界を夢見た。
>こちらで4章:奪還エルロティア編が終了です。
>5章:炎上リベルタン編をご期待ください。
(追記)
……と思ってたんですが、リベルタン編はどう考えても続編規模の新規展開。
始めたら最低十万字超えのボリュームなりますね。というか、そのくらいの話にはしたい。
クラファとマークスがエルロティアを目指す物語としては、こちらで一度終了とさせていただきます。
待っててくださった方には申し訳ないのですが、続編をご期待ください。