闇の奥
被害者の救済に手を貸せるといっても、ぼくに出来るのは殺すことと運ぶことくらいだと思うのだけど。あとは……医薬品を購入するとか? でも、戦場なり輸送中なりに紛失された医薬品って、使って大丈夫なのか確信が持てない。ぼくは医者でも薬剤師でもないし。
「勘違いしているようだが、期待しているのは異界の物資ではなく、貴様の手だ」
「手?」
「そうだ。正解には、身体だがな。わたしが、治癒魔法を使う。同時に、回復魔法もだ。マークスに魔力はほとんどないが、わたしと“回路が繋がった”状態ならいくらでも供給できる」
どうやら必要とされているのは、本当に治癒と回復の助手としてらしい。
廊下を進むと血膿の匂いと消臭薬草の匂いが強くなる。悲鳴と泣き声と暴れる音、押さえようとする医療関係者の声が漏れ聞こえてくる。
「オスロ、治癒魔導師の応援はないのか」
「王都で信用できる者は全員、ここにいます」
残るは信用できない者だけか。それが技術的にか人間的にかは知らないけど、なかなか世知辛い。
「オスロだ、入るぞ」
「ああ、師長! 奥のふたりを早く!」
患者を押さえながら何かの処置をしていた男性が、血走った目でこちらを一瞥する。“役立たずが邪魔しにきやがった”、とでもいうような憤怒が一瞬だけその目に浮かび、諦めとともに逸らされる。
その部屋は高校の教室程度の広さで、なかには三十ほどの病床が並んでいる。どうやら奥に行くほど重篤な患者のようだ。男性が指し示したのは最も奥で痙攣状態のふたり。もう瀕死状態に見える。
「失礼、陛下は手前の子たちを……」
「気遣いは不要だ。マークス」
「はい」
クラファ陛下の声を聞いただけで、どうすれば良いのかの道筋がわかった。自分がやるべきことも、そのために何が必要なのかも。ぼくは陛下の膨大な魔力と、それが構成する治癒魔法の“通り道”としての機能を全うする。陛下から注ぎ込まれる魔法の奔流を、可能な限り素早く広く均質に、受け取ったままの品質で散布するのだ。
いうのは、簡単だけど。
「……ぐッ、ううぅ、あ……ッ!」
なに、これ。電流でも食らったように筋肉や内臓が悲鳴を上げ、気を抜くと身体ごと吹き飛ばされそうになる。自分が水撒きホースの先端に付けるアタッチメントみたいなものだと思い知る。理屈としてだけでなく、強烈な魔圧としても。ホースを通ってきた水を霧やらシャワーやらの水流に変換するアタッチメントには、当然ものすごい水圧が掛かっている。いまのぼくは、それと同じだ。でもクラファ陛下って、そんな魔力量がすごいって話は聞いてないんだけど。
「いいぞマークス、奥には少し厚めにな」
「わ、かりました……が、なんです、この凄まじい魔力……」
危ない。下手に声を出すと吐瀉物でもぶち撒けそうだ。慌てて口をつぐむと、頭のなかに聞こえてきた瑞龍の声が苦笑混じりに教えてくれた。
“玉座の主人には、世界樹の魔力が共有される”
“それが、ぼくにも?”
“マークスは、クラファの魔力を使って、何でもできる”
たしかに、神使の加護をもらったとき、そんなことをいわれた気はする。不死者の力と引き換えにして見合うものだったのか判断に困っていたが、ここに来て真価が発揮されたようだ。
……でもなんか、これ思てたんと違う⁉︎
“クラファは、まだ世界樹の魔力を制御できてない”
“え⁉︎”
“残念ながら、オーギュリのいう通りだ。あまりに膨大過ぎて全く制御できん。だから、いまはどうしてもマークスの協力が必要なのだ”
“ちょ、陛下⁉︎”
オーギュリに続いて頭に響いた陛下の声は、少し上擦り掠れている。世界樹から流れ込む魔力を制御するのだって、ぼくと同じくらいかそれ以上に大変なんだ、きっと。
“いまだけ耐えろ。わたしも、すぐに慣れてみせる。頼りにしているぞマークス”
“してるぞー♪”
散布機経由で振り撒かれた治癒・回復魔法により、重篤患者たちの容体はあっという間に回復した。二十四床の患者からは悲鳴も苦痛の声も消え、穏やかな顔で眠り始めている。正直、内臓ごと高速シェイクされたようなぼくも隣で横になりたいところだけれども。
「よし、次だ。オスロ、案内しろ」
次って、マジすか。思わず素のリアクションが出そうになる。オスロさんの目が泳ぐが、彼女を静かに見据える陛下の目は確信に満ちていて揺るがない。
「……わかりました。こちらです陛下、マークスさんも」
「あ、あの……オスロさん、最初の話では、ここの収容患者は二十四人では……」
「小康状態の者は、あれで全てです」
あれで小康状態⁉︎
一瞬、嫌な予感がしたものの、それは錯覚だ。予感でも何でもない。この先にあるものなんて、誰にでもわかる。
“もっと奥にいるのは、諦めて死を待つだけの者だ”
“そんな……”
“ エレオから聞いた概算と比較して、助け出されたはずの人数が七十ほど足りん。いま見たものを考えると、あいつの報告より状態は一段ひどい。覚悟しておけ”
“で……ですよね。行きましょう陛下”
廊下を進んだオスロさんが扉を開けると、薄暗いなかに何かがいた。理不尽で無慈悲で巨大な力に捕まり、引き裂かれ踏み潰されて放置された弱者の成れの果て。それは、震える肉塊だった。他の表現はなかった。
“悪いな、マークス。一緒に背負ってくれ。これを。これを生んだ、この国の業を”
“……ええ。お任せください。……ぼくはずっと、お側に居ります”
ぼくは、必死で歯を食いしばり、陛下の声に応える。ぼくは決めた。改めて、覚悟を固めた。このひとを、支えるんだって。志半ばで倒れたマークスの分も含めて、今度こそ、最後までずっと。