アルケンヘイム
王都の城門から入ってすぐのところに、BTR装甲車を停めたままにしていたことを思い出す。“武器庫”のインベントリーに戻せるかどうか。遠隔操作になるけれども、試したら上手くいった。
「陛下、装甲車で向かいますか?」
「いや、このまま進む」
「徒歩で?」
「ああ。王都の臣民の前を通るのに装甲馬車を使う王など、誰が信用するものか」
それは、そうだけど。ぼくはまだ敵と味方の区別がつかない。敵対行動に出るまで反応できないということだ。しかも、盾になろうにも不死者の力を失ってしまっている。このプニプニした瑞龍様の気遣いのせいで。
「マークス、なんだその恨みがましい目は。“神使の加護”がどれほどのものか理解していないようだな」
「そう……なんですか?」
「具体的にいえば、クラファのできることは、大体できる」
全然、具体的じゃない気がする。でもまあ、護衛もいるし瑞龍様も同行するとなれば、それほど危険ということもないだろう。明白な危害を加えてくる相手だけ確実に殲滅すればいい。
「あ、待って神獣の前で武器を抜いたら石になったりは? ……城壁の敵みたいに」
「なにをいまさら。オーギュリの前で、どれだけ殺し回ったと思ってる」
ちょっとジト目な感じでこちらを見る瑞龍。いわれてみれば場内に入る前の戦闘中、後ろの方にいたようないないような。じゃあ、いいや。
「陛下、わたしたちが先導します」
エレオさんと護衛のエルフ四人が、先に立って市民の接近を制限する。武装した者も悪意を持った者もいないようだけど、新王の即位に興奮している様子は伺えるのであまり近付けるのも良くない。
「クラファ陛下、お待ちしておりました!」
「この国を、よろしくお願いします!」
「ああ、よろしく頼む」
「……混じり者の偽エルフが」
歓迎と期待の挨拶の陰で、ボソリと吐き捨てられた言葉がぼくの耳に届く。声のした方を見ると、人混みに隠れるようにして立っている男の姿があった。服装を見ると、兵士ではない。偽王派閥の残党だろうか。
“落ち着けマークス。いきなり全ての民をわたしに迎合させるのは無理だ”
ぼくを嗜めるようなクラファ陛下の声が頭に響く。少し面白がっているみたいな瑞龍の声も。
“そうだな。お前は感情を表に出しすぎる。それは敵を作るぞ”
“わかっています。頭では”
“それでいい。お前がいれば、わたしは他に求めん”
“……ああ、仲が良いのは結構だがな。心の声が素通しのときに、イチャつくのはどうかと思うぞ?”
笑み含みの声で、瑞龍がいう。揶揄われたのはわかっているので、クラファ陛下は静かに頷くにとどめる。
「陛下、あの奥に見える白い壁がアルケンヘイムです」
王都の通りをしばらく進むと、エレオさんが示す先に、三階建の堅牢そうな建物が現れた。家屋敷や店とは明らかに違い、窓もなければ意匠もない殺風景な四角い箱。周囲は鉄柵で囲われ、入り口は一階にある大きな両開きの扉だけだ。その扉の前に、武装したエルフがふたり、手槍を立てて立哨についていた。
「彼らは“友愛派”の者です。室内で施術を行っている治癒術師たちにも、念のため護衛をつけてあります」
「助かる」
ぼくらは入り口のふたりに招き入れられて建物に入る。室内は強いミントのような匂いがした。爽やかな香りではあるけれども、その目的は何かの隠蔽というような印象がある。わずかに顔をしかめたぼくらを見て、エレオさんは肯定するように頷く。
「すみません、急な対処でしたので。ある程度の浄化はしましたが、当初はひどい状態でした」
「血膿の臭気」
オーギュリが断定的に呟く。隠そうとしていたというより、次に来るひとたちの不快さを抑えようと気遣ったんだろう。
「エレオ。概算は聞いたが、正確な犠牲者数がわかれば……」
「死者と行方不明者、合わせて四百八十と三名です、新王陛下」
クラファ陛下の声に応えたのは、二階から降りてきた白い服のエルフだった。中年に差し掛かったくらいの外見。人間でいうと三十半ばといった感じの女性。耳は長いのでエルフだ。ぼくに実年齢はわからない。
どれだけの激務なのか目が落ち窪んで隈に彩られ、わずかに足元がふらついている。
「保護された後に自力でここを出られた者は百ほど。一命を取り止めた者が二十四名。彼らは上階で治癒魔法と回復魔法を受け、回復に向かっています。……少なくとも、いまは」
扉が開けられたらしく、上階から泣き叫ぶ声が漏れ聞こえてきた。扉が閉まる音とともに、また静けさが戻る。助かって良かったね、などという簡単な話ではなさそうだ。
「わたくしは、治癒術師長のオスロと申します」
「クラファだ。多忙な折に悪いが、状況の報告を頼みたい」
「こちらへ」
オスロさんの先導で二階に向かう。石造りの階段を昇った先には、殺風景な板張りの廊下。扉がある以外には白い漆喰の壁だけ。調度品もないし、扉もくすんだ金属の板でしかない。オスロさんが取っ手を引くと、浄化魔法でも薬草でも抑えきれなかったらしい臭気が溢れ出す。
「うッ!」
「失礼、これでも浄化を済ませているんです」
護衛のひとりが軽く嘔吐いたが、他の者は顔をしかめただけで耐える。ぼくも胃が痙攣するのを感じながら必死で冷静さを保とうとしていた。
招き入れられた部屋には、死体や病人どころかベッドもない。オフィスのような用途なのだろう。机と本棚が置かれ書類が散乱している。臭気は、おそらく隣の部屋からだ。そこからは何の物音もせず、気配もない。
「研究資料の大半は持ち出されたか処分されています。魔力を集めて魔物でも作ろうとしていたようですが全容が解明できませんでした。ただ、犠牲者の遺体が見当たらず処分された形跡もないことから……」
「その“怪物”が野放しになっている可能性がある?」
「はい」
クラファ陛下は小さく息を吐き、気持ちを落ち着かせようとしているのか何か呟きながらエレオさんたちの方を振り返る。
「エレオ、エルロティア領内で化け物を見たという報告は」
「ありません。ただ、北方リベルタンとの国境近くで“龍の被害が出ている”との噂が出回っています」
「龍?」
「そんなもの、いない」
クラファ陛下の怪訝そうな声に、瑞龍が即座に否定する。
「クラファが玉座に着くまで、エルロティアはずっと外在魔素が枯れてた。龍が生きられる環境じゃない。龍の気配があれば、オーギュリにはわかる」
「はい、瑞龍様。それは理解しております。我々“友愛派”の隠れ里である“翼龍の住処”も昔は翼龍が棲んでいた地ですが、いまは見かけたという話も聞きません」
「それじゃ、あり得るのは、ふたつ。見間違いか、魔力で構成されたゴーレム」
道中で出くわした、緑のドラゴンみたいな樹木質ゴーレムを思い出す。あんなものを見たら、龍だと思っても不思議はない。というか、あれ見た目はドラゴン以外の何物でもない。
「陛下、わたしは後者の可能性を考えています」
オスロさんが、いくつか書類を机に広げる。魔法の素養が必要な専門用語らしく、ぼくには読めないところもあるけれども、拾い読みする限りでは異形体という単語が何度か出ていた。
「正体が何かは後でかまわん。臣民に被害が出る前に阻止する。そいつが国境を超えて被害が隣国にまで及べば、リベルタンとの関係も危うくなる。出没地点が特定できているのであれば、そこに向かう」
「“友愛派”の斥候が調査に向かっていますので、報告があり次第お知らせします」
「頼む。マークス、仕留められるか」
「お任せください」
「よし、現状はわかった。では、被害者との面会を頼めるか」
オスロさんがクラファ陛下を見る。少し目が泳いだ。
「ですが、陛下。彼らは、エルフに……被害を受けて、感情的に」
「当然の反応だ。責められるのは覚悟している。しかし、放置はできん。治癒魔法と回復魔法ならわたしも使える。手が足りないのだろう? いまなら、マークスも戦力になるはずだ」
え? ぼく⁉︎