霧散するもの
「転移者、だと?」
「ぼくの同類です。確信はありませんが」
具体的な根拠もない。あえていえば、“敵が急に利口になった”感じだ。キャンキャン吠えるだけの野良犬だったものが、一匹だけ二足歩行で盾と槍を持っていたというか。
「……かえってわかりにくい」
「何がだ」
「すみません姫様、こちらの話で」
もう隠しても無意味とわかったのだろう、偽装用の隠蔽魔法と幻視魔法が解かれた。岩壁が消えて、無惨に破壊された廃村が現れる。その最奥部、岩場に布陣する数百の兵士たちも。
遮蔽に配置可能なのは五十に満たないから、大部分の兵士は開けた場所にいる。最前列の兵士二十名ほどは三角形の奇妙な塔状大楯を抱えている。組み合わせて密集陣形を作らないのは、逸らした銃砲弾が飛び去る方向に味方を配置しないためか。なるほど兵士の配置は、いくぶん隙間のある斜行陣になっている。
防がず弾くという考え方自体、こっちの世界の人間には見られなかったものだ。その発想に至った賢人がいてもおかしくはないけど。もうひとつの方が、より問題だった。
「マークス、外壁に穴が」
「はい。危ないところでしたね。硬く速い鏃で貫くのではなく、超高温の魔法弾で鋼鉄の外皮を溶かす。BTRやフェレットを仕留めるならそれが正解なんです」
「それが、異界人が混じっているという根拠か?」
「いえ。さっきのは、ただの勘です」
でも結果的には、正解だったように思える。
二百メートル以上の距離を取って停車させたBTRに、いまのところ敵の攻撃は飛んでこない。高温の炎弾は速度が遅かった。おそらく飛距離も短いのだろう。鏃なら届くけどダメージを与えられない。そのための隠蔽魔法か。悪くない手だ。その人物がどこにいるのかは気になるけど、この状況で敵の選別なんて出来ない。
KPVTのチャージングハンドルを引いて、姫様がこちらに声を掛ける。
「再装填完了だ、マークス」
「もっと距離を取って対処するのはどうです? 彼らの戦法に長距離攻撃を防ぐ手立てはないはずですが」
「あいつらの目的は、この場の勝利でもわたしたちの死でもない。ヘルベルの離脱だ」
なるほど。逃げる時間が稼げればそれでいいか。ぼくらがこの場を離れたら望み通りになるわけだ。
転移者がわざわざそれに加担する理由は、わからないけど。
「M79で少し陣形を散らしましょう。お願いできますか」
「わかった。十発もあればいいぞ」
擲弾発射機を抱えた姫様は、上部ハッチを開いて素早く連射を始める。かなりの仰角を取ったので、着弾し始めてすぐ、向こうが状況を把握するより前に十発を撃ち切る。混乱のなかでわずかに矢が飛んできたが、その頃にはハッチを閉じ砲塔に戻っていた。
「よし、マークス前進、百メートルだ。今度は、炎弾を食らう前に仕留めてやる」
ゆっくり車を進めると、副武装のPKT汎用機関銃が盾から露出した兵士と、盾持ち兵士の足元を掃射してゆくのが見えた。大きな塔状盾といっても、全身を隠せるのは身を屈めた兵士がひとりだけだ。それも移動時には下に隙間が開く。爪先か足首か、フルサイズ小銃弾で砕かれ前衛が倒れ込んだ後に残されるのは、魔道具らしき筒を抱えた無防備な兵士だけ。金属甲冑を身に纏っているとはいえ、戦場を歩き回れるほどの重量であれば小銃弾を防ぐ強度はない。
まして対物ライフル弾を撃ち出すKPVTの前には。
「喰らえ」
ビチビチと赤黒い飛沫が撒き散らかされ、逃げ惑う者たちを粉砕し肉片に変える。わずかに発射された炎弾もBTRに届くことなく、茂みや草むらを焼きあるいは味方兵士を巻き込んで炎上させるだけだ。
「いたぞ」
いつの間にやら静まり返った戦場の奥、岩場の陰にヘルベルらしき男がいた。部下たちは周囲を何枚もの大楯で囲み、我が身を犠牲にしてでも必死に守り切ろうとしている。
何であんなやつにそこまで人望があるのか知らんけど。もしかしたら強制力か政治的カリスマでもあるのか。でも、それがなんであれ、ここで終わりだ。
「降伏しろヘルベル」
冷えた声で、姫様が告げた。
「自害する栄誉を与えてやる。あるいは、わたしとの決闘をな」