侍女の子ども・ワサビ
四十五人目の子ども。
「侍女の子ども・ワサビ」
ワサビは、緑茶色の和装をした、長い髪を尾のように縛った子どもです。
瞼は重く、片眼は爛れています。
竹林を横目に、お嬢さまの影となり付き添います。
日々、ちらつくのは、黄色い蝶の帯。
蝶は、蛍光色の花を見つけると、突然羽をたたみます。
つい、影を踏んでしまい、道を照らす木漏れ日に、眼を絞ります。
先で揺れる簪が輝くと、お嬢さまの足下の先、小石が尖ります。
カタカタと走り出し、突き飛ばします。
守ったのは、小石の方。
お嬢さまは、前に倒れ込み、涙を溜めます。
小石と天秤にかけられて、不憫。
しかし、その様子を見て見ぬふり。
手を差し出さず、重たい横顔を見せながら佇みます。
掛け軸のように冷たく、言葉を発しません。
お嬢さまからは、嫌われますが、口角を上げます。
影といえども、お嬢さまと同じ子ども。
影で終わるつもりはありません。
いつかは、思い人に見つめられながら、しあわせになりたいのです。
虐めは、試練。
今は耐え、微笑みます。
お嬢さまは、裾を払いながら立ち上がり、帯を見せます。
前髪を整えたら、振り返らずに歩いて行きます。
竹林の囲いの中、焦げ茶色の屋敷が見えます。
家紋は、草の羽を広げた蝶。
お嬢さまが、門をくぐり、光射す所に影が生まれます。
シシオドシの音が、コン、と鳴り、庭園の架け橋を渡っていきます。
ワサビは、後を追いながら、袖の中に忍ばせていた小袋を取り出します。
水面には、錦鯉の花が波紋を広げて綺麗。
お嬢さまが手を差し出し、触れようとします。
けれど、美しく見えても、鯉は生臭く、袖が濡れてしまいます。
水面に撒き餌をして、鯉の群れを呼び寄せます。
すると、水面に紅白の花が咲き乱れ、かえってお嬢さまの胸元を濡らしてしまいます。
お嬢さまが、影に咲いた花々を見て、泣きべそをかきます。
ですが、見て見ぬふり。
ワサビは、爛れた顔を水面の花で彩ります。
それは化粧をしているようにも見えて、影でありながら内面が美しいのです。
お嬢さまからすれば、面白くありません。
鯉を横取りされた上に、胸元は生臭いのです。
帯を指でつねり、火花を散らします。
唇を噛みしめて、ワサビの後ろを横切ります。
赤い蝶の帯を追い、その後ろには、影。
けれど、離れる時もあります。
畳が香る、緑の和室。
お嬢さまの荷物を整理していると、襖の向こうから声がします。
廊下でお嬢さまが、若い使用人の男に声をかけられて、甘い声がします。
忍び足で襖に近づきます。
覗き見は、いけないことですが、胸が熱くなります。
襖の隙間が見えます。
音を立てないように覗いて見ると、顔立ちの整った男が眼に入ります。
男は、縞模様が際立つ、虎のよう。
お嬢さまの首元を太い尾で撫で、猫を火照らせます。
何とも羨ましい光景。
ワサビは、重く瞼を閉じます。
町に買い出しに出掛けます。
露店に並ぶ、華やかな簪を手に取り、髪だけでもと、美しく飾ります。
商人は、「勿体ないね」と、爛れた眼元を見ていました。
選んだ簪は、「蒼い蝶の簪」
「これは、きっと、私の宝物」
そう、微笑む姿は、美人画です。
日が暮れて、家に帰ると、使用人の人たちが、よく似合っていると褒めてくれます。
ですが、お嬢さまの口から出た言葉は、「萎れた蝶のよう」
ワサビは、酷く傷つきます。
ただ、微笑んで、思い出したかのように、夕食の準備をしてきますと、台所に向かいます。
調理人から御膳を受け取ると、食卓に御膳を置く前に、「つまみ食い」をします。
お嬢さまよりも先に、美味しいものが食べられて、贅沢。
箸でなおして、お嬢さまの食卓に出します。
何も知らずに、箸をつけて、満足そう。
煮魚のしょっぱさを思い出して、密かに微笑みます。
お嬢さまは、笑ってしまうくらいに、鈍感。
影で終わりたくないという思いに気付きません。
周りは、少しずつ影から出て行こうとしている思いに気付き始めます。
眼元の爛れが無ければ、本質が美しいのは、ワサビの方。
気付いたのは、あの使用人の男です。
少しだけ廊下で露店の話をして、外に連れ出してもらえます。
二人で露店を歩きます。
茶店の赤い台に腰掛けて、桜散る下、花より美しい頬が撫でられます。
眼元の爛れを「花すだれの刺青」と囁かれた時、お嬢さまの横顔がちらつきます。
使用人の男は、胸元をはだけさせ、虎の頭を見せます。
腹の下まで彫られているからと、夕暮れまでに帰る約束で、攫います。
静かな裏道を通り、お嬢さまにも見せたであろう、虎の本性を見せます。
また影に身を染めて、もう二度と、お嬢さまに触れられないように、縛った尾を解きます。
使用人の男は、ワサビが子どもだからこそ、夢中でした。
屋敷でも、すれ違い、微笑み合います。
物陰からは、嫉妬の眼が睨んでいます。
帯に爪が食い込み、醜態の痕が残ります。
竹林を横目に歩いていると、小石と天秤にかけて、突き飛ばしてくるし、
庭園では、撒き餌で鯉を横取り、
使用人たちには褒められ、
思い人まで奪ってくる。
清々しい顔で、食卓を運んできて、隣でいつも微笑んで、嫌な女。
お嬢さまは、ワサビが台所で唾をはいて、自分のことを見下していると疑います。
ワサビの後をつけて、台所に行くと、緑の帯を揺らしています。
肩で笑っているように見えます。
箸でつまんで、つまみ食いをしたから、驚きです。
いつもあんなことをしているのです。
食べかけの御膳に吐き気がします。
薬味の山葵のくせに生意気だと、唇を噛みしめます。
過去に屋敷を乗っ取られた腹いせでしょうか。
このままでは、自分が影のようになってしまいます。
そんな惨めな思い、耐えられません。
台所でつまみ食いをすることを逆手に取り、追い出してやろうと考えます。
夜中に台所に忍び込み、箸に毒を塗ります。
眼元の爛れだけでは済ませないと、箸を元の位置に戻すと、瞼を閉じて微笑みます。
その翌日。
屋敷に、雨がポツポツと降り始めます。
ワサビは、雨の中でも竹林の石を脇に避けて歩きます。
お嬢さまが、転ばないように。
袖に小袋を忍ばせます。
お嬢さまに、コイの花を魅せるために。
使用人の男に、微笑みます。
お嬢さまが、傷つかないように。
ワサビは、台所に向かいます。
眼元の爛れは、お嬢さまを庇った証。
侍女の花すだれ。
箸を手に取り、先に口に運びます。
お嬢さまが、毒殺されないように。
箸を置きました。
大きな音がします。
台所に行くと、御膳が床に散らかっています。
壁には、ワサビがもたれかかっています。
手には「蒼い簪」が咲きます。
お嬢さまは、それを見て、あんたが悪いと泣き出します。
ずっと、大嫌いだったのに、何故か、涙は伝います。
蒼い簪を取り上げ、萎れた蝶は似合わないと、自分の髪を飾ります。
ワサビは、それを見上げて伝えます。
「私、アゲハちゃんの影じゃないよ」
お嬢さまは、崩れます。
「緑の蝶の簪」が揺れて、包んでいきます。
ワサビは、思い人に泣いてもらえる、
しあわせな子どもでした。




