喋れない子ども・モナエリザベス
三十六人目の子ども
「喋れない子ども・モナエリザベス」
モナは、乳白色の長い髪を持つ、顔立ちの薄い子どもです。
父親の理想通りに、月日の色を重ねて、亡き母親の代わりに、その家に咲く一輪の花です。
最も美しい姿勢で、大地と川の絵画を背景に佇み、父親を静かに見守ります。
父親は、名の知れた画家です。
アトリエには、モナのように美しい娘たちが、大事に木製の枠に囲われています。
父親は、椅子に腰掛けて、絵の具のついた顎髭に指を埋めると、新しい娘の誕生を願い、カンバスに向かい、祈りの指で、曖昧な線を走らせます。
モナは、その光景を静かに見守り、これから生まれてくる妹の誕生に、微笑みます。
線は、やがて、少女の形となり、乳白色の、大地と川の絵画を背景に佇みます。
父親は、呟きます。
「モナよ、お前に妹が出来るぞ、肌は、何色を重ねようか」
父親は、モナの方へと振り返り、お前の肌の色に似せようかと、パレットに、赤と茶色の絵の具を絞り出して、筆に持ち替えます。
そこから、父親は真剣な顔つきになります。
モナは、物音を立てないように、じっとして、父親の前で色づいていく妹を見守ります。
元から、喋ることの出来ないモナは、薄い桃色の口を閉じる事で、画家である父親にとって、いい環境を作るのです。
しかし、何事にも障害は待ち構えているものです。
カンバスに重ねた肌の上、筆が潰れます。
理想な絵が、描けません。
家中の窓の季節が、移り変わり、多種の花が散ります。
床に塗りつぶされたカンバスの死骸が散乱します。
父親は、妹を描くことに夢中になり、幾つもの人間に妬まれ、裏切られ、その指は、常に震えていました。
モナの眼に映る父親は、血色に、灰と青が混ざり、歪んで見えます。
無理に理想を描く必要は、ありません。
そう伝えて、その色の付いた指に、頬ずりしたいのに、モナの体は思うように動きません。
木製の枠が囲んでいて、ニスの壁が行く手を遮るのです。
せめて、この血色の頬に、青く白い涙を描き足してくれたらと、微笑みながら願います。
しかし、願いも叶わぬまま、父親は筆を酒瓶に持ち替えます。
父親は、酒に飲まれ、木製に囲われた娘たちを睨むようになりました。
娘たちに着せた黒い衣服を卑しい色で汚して、最期の時が訪れます。
描きかけの妹の絵に、淀んだ筆を向けたのです。
しかし、父親のもう片方の手が、手首を強く掴んで、筆の絵の具をはねさせます。
妹の顔に、血しぶきがかかり、父親は、眼を見開きます。
思わず叫んで、心臓がバクバクと、口から飛び出そう。
膝が崩れて、床でのたうち回ります。
モナを逆さまに見上げて、父親は、そのまま動かなくなりました。
アトリエには、妹の絵と、モナだけが佇みます。
父親の死に気付いたのは、父親のパトロネージュであった、中年の収集家でした。
モナは、幸運なことに、その収集家の眼に留まります。
以前から、モナのように、美しい娘が欲しかった収集家は、「世にも美しい」と、眼を輝かせます。
モナは、収集家に、「是非、自分の娘になってほしい」と言われます。
住む家も無く、喋れないモナに、選択肢はありません。
けれど、心残りがあります。
モナは、妹の絵を見つめます。
ですが、描きかけの妹は、顔に血がかかったように汚れています。
これでは、美しくありません。
収集家は、妹を気の毒に思いながらも、「あれは、描きかけの絵だが、お前は違う、ここに浮き出ている」と、美しいモナをアトリエから連れ出しました。
収集家の家は、彼の生き方のように立派でした。
装飾が豪華な門に、緑の庭園、少女の石像が、美しい姿勢で、養女のモナを迎えます。
とても優雅で、しあわせな時間でしたが、モナだけは、毎夜、窓の見える広い部屋で佇みます。
収集家は、どこか悲しげなモナの事に気付きます。
モナを哀れんで、何度もその頬を指でなぞり、代わりに、頬を濡らしてくれるようになります。
モナは、自分より遙かに不幸な妹に、せめて、名だけでも付けてあげたいと、高貴な名を付けます。
その名は、「エリザベス」
モナは、エリザベスと再会出来るように、多くの人の話に耳を傾けて、美しい姿勢で生きることを覚悟します。
収集家は、モナの事を自分の身を削りながら、大事に高価な枠で囲みます。
けれど、収集家が、モナのことをいくら愛でても、モナは真実の微笑みを見せません。
心の底では、誰のものにもなっていないのです。
収集家は、モナの頬に触れます。
「どうしたら、お前は、私の娘になってくれるんだ」
モナは、その指に、頬ずりをして、収集家の潤んだ眼に、あの日、離れ離れになったエリザベスを映しました。
収集家の頬に、モナの涙が、星のように伝い、しばらく流れ続けます。
季節が移り変わり、収集家は、覚悟を決めます。
モナをとても名の知れた美術館に連れて行きます。
「モナよ、お前は私にとって、とても大事な娘だ、だからこそ、ここに連れてきた、もしかすると、もう何処にもいないかもしれないが、見つかるまでさがしなさい、本当の家族を」
モナは、収集家の頬に口づけて、離れていきました。
小さな灯りに照らされて、美術館の中を歩いてさがします。
さがしているのは、描きかけの、妹の絵です。
名の知れた絵が展示される美術館では、当然見つけることは出来ません。
ここに展示されている絵ならば、何かを知っているかもしれませんが、大事な事を思い出します。
「絵は、喋れないのです」
モナは、白い壁を背にして、最も美しい姿勢で佇みます。
小さな灯りが離れていき、暗くて、もう何も見えません。
本当は、悲しくて、この見えない脚は崩れそうなのに、父親が、この表情を微笑むように描いたので、これからも、この頬が濡れることはありません。
しばらくして、美術館に灯りがともり、モナを目覚めさせます。
多くの人が、モナの美しさに歩みを止めて、引き寄せられます。
描かれていない部分をその眼に映し、再生させます。
その度に、人は何故か「聞き覚えの無い名」を呟いて、頬に、星を伝わせます。
モナは、その名を聴くと、心が安らぎます。
エリザベスが近くにいる、そんな気がして、永遠に微笑むのです。
モナは、亡き家族に再会出来た、
しあわせな子どもでした。




