旅行したかった子ども・フローズン
二十九人目の子ども
「旅行したかった子ども・フローズン」
フローズンは、ショートヘアーに雪の結晶のカチューシャを付けた、もみあげがクルンとした、名家の子どもです
今日も、屋敷の中をスノーフレークのお花のように、おじぎをしたミニスカートで歩いて、三人の先生の指導のもと、ピアノ、バイオリン、バレエのレッスンと大忙し。
希望があるのに絶望の曲を弾かされ、大事でもないのに楽器のお手入れをして、観客の為にクルクルと回る毎日を過ごしています。
親と先生からは、センスがある子と褒められますが、フローズンは嬉しくありません。
何故なら、自分に嘘をついているからです。
本当は自由な時間が欲しく、貰った楽譜も覚えずに、暖炉に投げ入れて、バイオリンの弓だって薪代わりにして、バレエの靴も、もっとふさわしい舞台があるはず。
あの靴は、時々痛く足を締め付けるのです。
無理にセンスがある子を演じるのは、うんざりです。
フローズンは、ほんの少しの自由な時間を使って、屋敷に飾られている冬景色の絵画を眺めます。
田舎町に、ホタルのような雪が舞い降りる幻想的な絵です。
この画家は、どこか高い所から田舎町を眺めて、きっと心が洗われたのでしょう。
フローズンは、この心を震わせる画家を羨ましく思います。
何故なら、この屋敷のある町には滅多に雪は降らず、降っても悲しい雨が降るだけだからです。
町の外に憧れるフローズンの思いは、雪のように舞い降り、積もっていきます。
フローズンは、リビングの扉を申し訳なさそうに開きます。
両親が、オーダーメイドのソファーに腰掛けて、優雅に、各国のお酒を楽しんでいます。
フローズンは、火の灯っていない暖炉を背に、久しぶりにわがままを言います。
「たまには旅行に連れて行ってほしいの」
ですが、その答えは冷たく、ツララのように切っ先が光ります。
見栄っ張りの母親からは、「あなたには、レッスンがあるでしょ」とほろ酔いで微笑まれ、頭の固い父親は酔っていたのか、次の日本酒をグラスに注ぐのに夢中で、まともに聞いてくれません。
フローズンは、ほんの少しだけ俯き、母親のように微笑んで、リビングから出ていきました。
廊下を頬をふくらませて歩きます。
こんな退屈な景色を変える方法は、ただ一つ。
自分の行き方で、希望を眺めに行くしかありません。
父親の仕事部屋に入り、クローゼットから革のトランクをこっそりと盗みだし、自分の部屋で中身を取り出し、自分のものを入れ始めます。
入れたのは、夏と冬の着替えの他に、うでにつけるもの、よむもの、ながいもの、はきものです。
これで準備が出来ました。
フローズンは、色々と大切なものを忘れていますが、屋敷の玄関で、おじぎをして出て行きます。
酔った両親は、扉の閉まる音に気付かず、カクテルのギムレットを飲んでいました。
しばらくして、両親の酔いが覚めます。
父親が仕事部屋に行くと、クローゼットが半開きになっていて、明日使うはずだったトランクが見当たりません。
父親はドロボウに入られたと騒ぎ、母親は子ども部屋で泣いています。
父親が屋敷に警察を呼ぶと、母親が盗まれたものを眼を見開いて言います。
「足りないのよ!!明日のレッスンに必要なものが!!」
フローズンは、夜道で、何か大声がしたかしらと振り返り、「ウフフ」と微笑みました。
さぁ、フローズンの、旅行の始まりです。
目的地は、あの絵画に描かれていた雪国。
おそらく北の方です。
フローズンは、希望を胸に歩き出します。
町を優雅に歩いていると、大人たちが不思議そうに、フローズンのことを見てきます。
大人からは「こんな時間に、トランクを持ってどこに行くの?」と何度も訊かれ、その度に
フローズンは、「ちょっと、雪国まで」と大人たちの首をかしげさせます。
中には、夜道の一人歩きを心配する、優しそうな夫婦も。
時間が経つにつれ、人通りが少なくなってくると、後ろの方から一匹の野良犬が後をつけてきます。
フローズンが後ろを振り返ると、野良犬は、とぼけた顔をかいて、また歩き出すと、口をハァハァとさせて、ついてくるのです。
あの野良犬、もしかして、お腹を空かせているのでしょうか?
だとしたら大変です。
今、トランクには食べ物がひとつも無いのです。
このまま、隣町へと続く、寂しい道を歩いていくつもりでしたが、人通りのあった方へ引き返そうとします。
その時です。
野良犬が「ワン!!」と強く吠えて、フローズンの行き道を通せんぼします。
その吠え方は、心に恐怖をあたえます。
震えながら「ごめんなさい、わたし今、何も食べ物を持っていないの」
野良犬は、ワンワンとイヌ語で何かを言っていますが、子どものフローズンには意味が分かりません。
ただ、分かるのは、その野良犬が、本当は、恐ろしいオオカミだったということ。
オオカミは、お腹を空かせて、じりじりと迫ってきます。
毛むくじゃらの腕を前に出して、眼を血走らせ、舌なめずりして。
フローズンは、ここでようやく気付きます。
自分は、練乳まみれのかき氷のように、甘くておいしいのだ、と。
オオカミは、フローズンに牙をむいて、襲い掛かります。
その時、つぶてが2個オオカミのお尻に命中して、「キャン」と鳴かせます。
フローズンは、トランクを抱いて、怯えたままです。
助けてくれたのは、先ほど、フローズンのことを心配していた、優しそうな夫婦です。
夫は、拳を振り上げながら、オオカミを追っ払い、妻は、怯えているフローズンに、女の子の一人歩きはこんなにも危ないのよと、教えてくれます。
フローズンは、しあわせなことに、夫婦の家に連れて帰られ、あたたかい食事を作ってもらいます。
夫婦に、「お家は、どこ?」と訊かれると、フローズンは、その問いには答えず、「隣町のおばさんの家に遊びに来ていて迷子になったの」と嘘をつきます。
夫婦は、困った顔を見合わせて、そのおばさんが心配しているといけないからと、フローズンに、おばさんの家に電話をかけるように言います。
フローズンは、でたらめにダイヤルを回し、どこにもいないおばさんにかけます。
おばさんに叱られる芝居をして、寂しそうに俯きます。
夫婦には受話器を渡さず、ゆっくりと電話を切り、俯いたままのフローズンを心配して、夫婦は、今夜はもう遅いからと寝床を作ります。
フローズンは、お馬鹿で優しい夫婦を見ながら、微笑んでいました。
次の日の朝。
フローズンは、夫婦との朝食を終えて、おばさんの家まで送ってもらえることになり、
妻の運転する車で隣町に向かいます。
妻は、自分たち夫婦は子どもを叱りすぎて、大事に出来なかった、だからあなたには自分を大事にしてほしいと言います。
フローズンは、隣町で降ろしてもらうと、トランクから「腕時計」を取り出します。
「腕時計って、手錠のようで自由じゃないの、わたしにはいらないものよ」
フローズンは、妻の細く綺麗な腕に、高価な腕時計をつけます。
妻は、腕時計の文字盤に散りばめられた宝石に見とれて、フローズンが離れたことにも気付きませんでした。
町の中を歩いていると、お洒落な家から、ピアノの音色が聴こえてきます。
音色に誘われて、家の後ろに回ると、窓が開いています。
トランクを踏み台にして、のぞき込むと、小太りの男がピアノを弾いています。
そのピアニストの眼は、希望を見つめているかのようで、まるで万華鏡のようです。
彼の視線の先には、楽譜は見えません。
一度聴いた曲を自分のものにし、感動をあたえる才能があるのです。
フローズンは、窓から眺める演奏会に、うっとり。
心が癒やされます。
だけど、フローズンの空腹のベルに、ピアニストの指が止まります。
ピアニストは優しい声で、「だれかいるのかい?」と窓の向こうを見ます。
フローズンは、逃げ出しそうな体を振り向かせ、覗いていたことを謝ります。
「ごめんなさい、あまりにも素敵な演奏会だったから、なのにわたしったら、途中でお腹が・・」
ピアニストは、くすりと笑い、玄関から入っておいでと家に招いてくれます。
迎えてくれたのは、ピアニストの母親でした。
お昼をご馳走になったフローズンは、何かお礼がしたくて、トランクから「楽譜」を取り出します。
「あなた楽譜を持っていないみたいだから、これをあげるわ、わたしにはいらないものよ」
ピアニストの母親は、少し困った顔をします。
ピアニストは、「君が演奏して聴かせてくれよ」と言い、フローズンをピアノの置かれた部屋に案内します。
フローズンは楽譜を見ながら、ピアノを演奏して、ピアニストは、その曲を一度聴いただけで、全身で演奏します。
音楽とは不思議なものです。
弾き手によって、こんなにも、感動をあたえるのですから。
フローズンは、楽譜の持ち主は彼が相応しいと、才能に拍手をしました。
ピアニストは、このしあわせな時間と、楽譜のお礼にフローズンの願いを聞いてあげることにします。
フローズンは、隣町に、おばさんの家があるから、そこに行きたいと、また、嘘をつきます。
ピアニストの母親が運転する車に乗って、見知らぬ道を通ります。
隣町に着いた頃には、夜空に星が散らばっています。
「おばさんのお家は、この辺り?」
「ええ、そうよ」
明かりの灯る家が、いくつも並んでいます。
その先で降ろしてもらうと、ピアニストの母親にさよならをして、家の明かりで照らされた寂しい道を歩いていきます。
ほんの少しだけ寒くなり、トランクの中のカーディガンをはおり、タイツをはきます。
窓の明かりが、あたたかく感じていると、「ゴホン」と、誰かが咳き込みます。
見ると、ゴミ箱の辺りで、魔法使いのような格好をした、髭の長いおじいさんが、荷物の整理をしています。
何をしているのかと訊くと、しあわせを鞄に入れているんだと、忙しそうです。
おじいさんは、用事を終えると、町の中を歩いていきます。
どこに行くの?と訊くと、北の方角だと言うのです。
そこは雪国のある方面です。
フローズンは、おじいさんの後をついて歩きます。
だけど、町外れの橋を渡ろうとした時、歩き疲れたのでしょう。
トランクを椅子代わりに腰掛けます。
おじいさんは、それを見て、橋の下に降りていきます。
しばらくして、そこに明かりが灯ります。
降りてみると、おじいさんが焚き火をしています。
おじいさんは、寒そうにしているフローズンを見て、ぶっきらぼうに、「何か燃やせるものはあるか」と訊き、フローズンはトランクから「バイオリンの弓」を取り出します。
それを見て、おじいさんは驚いた顔をします。
「そんなものを燃やすのかい?」
フローズンは、「バイオリンを家に置いてきたわたしには、いらないものよ」と、焚き火に投げ入れようとします。
おじいさんは、「ならば燃やしてしまう前に、その棒で背中をかいてくれ」と頼みます。
フローズンは、きょとんとして、バイオリンの弓で、おじいさんの背中をかき始めます。
このおじいさんは、これまでの大人たちとは何かが違います。
屋敷では嗅いだことのない匂いがして、フローズンに、家はどこ?とは訊かないのです。
おじいさんは、自慢話を聞かせてくれます。
家が、たくさんあって、いつでも好きな時に眠れて、誰にも心配されずに自由だ、と。
フローズンは、その生活を羨ましがり、不自由な自分の屋敷の話を聞かせて、おじいさんを笑わせます。
話している内に、二人は仲良くなり、フローズンは星空を見ながら言います。
「わたしね、眺めたい景色があるの」
冬景色の絵画のことを話し、おじいさんは、その絵画を想像して、先ほどのゴミ箱から拾ってきたノートと黒いペンで、スラスラと絵を描いてくれます。
それは、あの冬景色の絵画に似ています。
おじいさんも、あの画家のように、この景色を眺めたのでしょうか?
おじいさんが、昔話を語り始めると、フローズンは、大きなあくびをします。
屋敷ではしなかった、カバのあくびです。
おじいさんは、「自由な子だな」と苦笑い。
もう眠りなさいと、フローズンに毛布を手渡し、背中を向けて横になります。
フローズンは、眠る場所を作ってくれた優しいおじいさんと、屋根になってくれた橋に、「ありがとう」と言って、眠りました。
朝が来ると、おじいさんが川で顔を洗っています。
それを隣で真似てみます。
トランクを食卓代わりに、おじいさんが朝食を並べていきます。
それは、誰かの食べ残しです。
「もう、おじいさんったら食いしん坊さんね」
笑っているのは、フローズンだけです。
おじいさんは、何も言わず、荷物を整理して、北に向かって歩き出します。
フローズンは、その後をついて歩きます。
くっついて歩こうとすると、おじいさんは、自分から離れて歩きなさいと言います。
町を歩いていると、大人が、おじいさんを避けて、後ろ指をさしてきます。
教育のなっていない子どもたちは、クサイと言って、逃げ出します。
フローズンはその度に、頬を赤く膨らませ、わざと、おじいさんに、くっついて、優雅に歩いてみせます。
おじいさんは、離れて歩きなさいと叱りますが、フローズンは微笑みます。
昼は、町を王様とお姫様のように歩いて、夜は、長椅子や路地裏がお家になります。
道ばたのサラダに、アミで捕まえたお魚、新鮮なお肉を食べて、こりゃマズいと、時々吐いて、二人は、段々と雪国に近づきます。
前だけを見て、歩いて、歩いて、おじいさんを追い越して、見上げた頃には冬空です。
「着いたわ、おじいさん」と、元気よく振り返ります。
その時、田舎道で、おじいさんが倒れます。
フローズンは慌てた様子で駆け寄り、少し休みたいと言うおじいさんを、毛布の敷いた上に寝かせて、焚き火を作ります。
もう夕暮れです。
おじいさんは、昨夜の野良犬が悪かったかと笑いますが、フローズンは悲しい顔をします。
ここで待っていてと、田舎町の方へ走り出し、民家の扉を叩きます。
扉を開けてもらい、おじいさんが病にかかったと叫びますが、フローズンの姿を見た大人は、嫌な顔しながら、曲がった鼻をつまみます。
クサイと言って、汚物を見るような眼をするのです。
大人は、話も聞かずに扉を閉めます。
他にも見えている扉は、全て叩きますが、開けてはくれません。
服に染みついた、おじいさんの優しい匂いが、ここで仇となったのです。
汚れた服を強く握ります。
おじいさんの所に戻ると、おじいさんが焚き火で、昨日捕まえた肉を焼いています。
フローズンは、まだ、待っていてくれたと、おじいさんに抱きつき、ギュッと抱きしめられます。
その夜、夜空を見上げながら、おじいさんは言います。
「ここでさよならをしよう」
その言葉は、あたたかいけれど、冷たい言葉です。
「これまでの人たちとも、さよならしてきただろ」
「おじいさんは、どこにいくの、一緒についてきてよ」
おじいさんは、自分は若くないこと、この先、足手まといになることを伝えると、トランクから、バイオリンの弓を取り出し、「この孫の手で、また背中をかいてくれ」と頼みます。
フローズンは、ふるえるおじいさんの背中をかきます。
このまま起きていないと、おじいさんに置いて行かれそう。
眼をこすり、眠りません。
ですが、やはり子ども、気がつくと毛布をかけられ横になっていました。
起きると、半開きのトランクと少ない食料が置かれたまま、おじいさんがいません。
フローズンは、俯いてトランクを開きます。
中には、「バレエの靴」が残っているだけで、バイオリンの弓はありません。
きっと、おじいさんが、持っていったのです。
先にいって、待っているのかも。
フローズンは、顔を上げて、また独りで歩き出します。
歩いていると、雪が舞い降ります。
田舎町を見下ろせる、高い場所を探して歩きます。
冷たい町を見下ろす雪山が見えます。
きっと、あそこです。
白い山道に足跡をのこしながら登っていきます。
高い場所から、田舎町を見つけます。
ですが、この景色は、あの絵画のように幻想的ではありません。
何かが足りないのです。
まだ明るく、民家に明かりが灯っていないからでしょうか。
フローズンは夜になれば、あのホタルのような雪が舞い降り、幻想的な冬景色が眺められると思い、休める場所を探し始めます。
白い道の先に山小屋が見えます。
フローズンは、扉を叩き、誰もいないと分かると、ここを貸してもらう代わりに、トランクから「バレエの靴」を取り出し、「もう、わたしにはいらないものよ」と、山小屋の扉の前に並べて置きます。
これでトランクの中は、からっぽです。
山小屋の奥まで歩いて、壁にもたれて、疲れて眠ります。
すると、扉が開いて、雪と一緒に誰かが入ってきます。
山小屋の中がパァっとあたたかくなり、フローズンは眼を覚まします。
その人は、目の前でしゃがみ込み、背中を見せてくれます。
その背中は、おじいさんの背中です。
フローズンは、おんぶされて、頬をくっつけます。
優しい匂いがします。
おんぶされながら、山小屋を出ると、あの雪山の高い場所で立ち止まります。
フローズンは、そこで眼を、ゆっくりと開けます。
田舎町に明かりが灯り、ホタルのような雪が舞い降りているのです。
ふるえる感動が眼をうるませ、万華鏡のように幻想的です。
この美しい景色は、フローズンの永遠となるでしょう。
フローズンは、大好きなおじいさんと、冬景色を眺めることのできた、
しあわせな子どもでした。




