聖教会とはなんぞや
「――あれ?」
孤児院のグラウンドまえに、誰かが立っているのが見えた。
その小柄な誰かが、僕たちに気がついて振り返る。
それは夥しい量の血を流した何者か。
仮面を被っていて、その素顔は見て取れない。
見るからに不気味な不審者に、警戒心が跳ね上がる。
けれど。
「たす……け、て……くださ、い」
その言葉を残して、仮面の人は意識を失う。
崩れ落ちるように地に伏し、からんと仮面が転がった。
僕たちはそれを受けて顔を見合わせ、恐る恐る近づいた。
彼に起き上がる様子はない。
それでも警戒しつつ、彼の伏した身体を仰向けにする。
「――この人」
仮面の下には、見覚えのある顔があった。
先日、ここを襲った古金という人狼。
その隣にいた、司と呼ばれていた人狼だ。
「出血が酷い。このまま放っておいたら……」
いくら人狼と言えど、助からないかも知れない。
「どうしよう? 乃々」
「んー……」
乃々は困った顔をして、思案する。
この司という人狼は、古金の仲間で僕たちの敵だ。
彼にどんな事情があるにせよ、敵を助けることになる。
それでも助けるか、否か。
その判断を、僕には下せない。
「ここで死なれても困るし、しようがないかな」
「わかった。中に運ぼう」
意識のない司を担ぎ上げ、グラウンドを横断する。
彼を中に運び込むと、ちょうどラフな格好をした凜くんが通りかかった。
「ん? よう、どうした。こんな時間に――」
凜くんの視線が僕から、抱えていた司に向かう。
血だらけの彼に凜くんが気がついた時、その表情が一変した。
眉間にしわを寄せ、目つきが鋭くなる。
「そいつはいったいなんだ? どういうつもりだ?」
「えーっと、これは」
どう答えたものかと一瞬、返答に困る。
けれど、すぐに僕の後ろから声が飛ぶ。
「凜。救急箱とってきて。あと、お母さんも」
「……なんで、俺が」
「いいから、はやく。頼んだよ」
有無を言わせず、乃々はそう捲し立てる。
弟の宿命か、凜くんも姉には敵わないようで。
「チッ、わかったよ」
舌打ちをしつつも、頼まれたものを取りにいってくれた。
「さ、こっちこっち」
乃々に案内されて、とある一室にたどり着く。
見覚えのあるそこは、僕が寝かされていた場所だった。
使える空き部屋が、ちょうど良く用意されていた。
「さーて、と。とりあえず、傷の具合をみないとだねー」
ベッドに寝かせた彼の衣服に、乃々は手を掛けた。
身体に負った傷を確かめるためだ。
僕のときも、こんな風だったのかな。
「……あー。ねぇ、仁くん。ちょっと頼みがあるんだけど」
「うん。僕に出来ることなら」
「濡れたタオル……出来れば温かいのがいいかな。血がべっとりで傷が見えないや」
「わかった。行ってくる」
「電子レンジでかるく温めればいいからねー」
部屋を後にして、居間のほうへと向かう。
ちょうどテレビを見ていた子供たちがいたので、タオルの在処を教えてもらった。
そこから何枚かのタオルを手に取り、台所に戻ってくる。
「ねー、なにするのー」
「なんでタオルをチンするのー」
「ちょっとね」
子供たちの質問攻めに対応しつつ、時がくるのを待つ。
チンという音がなり、温めは完了。
取り出してみると、じわりと温かい。
これなら火傷もしないだろう。
「ちょっと、ごめんね。通してね」
子供たちの群れから抜け出し、急いで部屋へと戻る。
すると、扉のまえに凜くんがいた。
「凜くん? どうしたの、そんなところで」
「いや、なんか、入って来んなって。姉貴が」
「そうなの?」
凜くんが手ぶらだから、救急箱は乃々が受け取ったはず。
でも、ならどうして凜くんに入ってくるな、なんて。
「まぁ、邪魔だってことなんだろうよ。こういうことがあると、俺は頼りにならないって姉貴がよく言ってたし。ちょっと不器用なだけなんだけどな」
最後の一言は、すこし声が小さくなっていた。
「こういうこと、よくあるの?」
「まぁな、人狼にもいろいろとあんだよ。ってか、それいいのか? 渡さなくて」
「あ、そうだ。忘れてた」
凜くんのこともあって、一応、扉をノックする。
「乃々。持ってきたよ」
「うん、ありがとう。ところで、お母さんまだかな?」
「秋月さん? 秋月さんはまだ――」
「ここにいるわよ」
見計らったかのようなタイミングで、秋月さんが到着する。
「それ、私が持っていくわ」
「あ、はい。じゃあ、お願いします」
温めた濡れタオルを渡し、受けとった秋月さんは部屋の中へと入っていった。
どうやら、僕に出来ることは、このくらいのことらしい。
まぁ、人の治療なんてしたことがないし、妥当な判断だ。
いるだけ邪魔なのだから、僕たちは部屋の外で待機でいい。
「逞しいね」
「逞しすぎて形見が狭いよ、俺は」
それからしばらくして、乃々と秋月さんは出てきた。
「とりあえず、応急処置は済ませたから。もう大丈夫でしょ」
「全快には数日かかるでしょうけれどね」
人狼の治癒能力を持ってしても、完治に数日がかかる。
それほどの負傷を、彼は負っていた。
いったい、彼の身になにが起こったのだろう。
そして、側にいた古金はどこに。
「みんな書斎に来てもらえるかしら? 今後の話をしましょう」
秋月さんの一言で、僕たちは場所を移した。
本の香りがする、居心地のいい書斎。
そこに僕たちは集まった。
「とりあえず、どうしてこうなったのか。教えてくれる?」
どうしてと言われても、答えられることは少ない。
「彼はグラウンドのまえに立っていたんです。それで僕たちに気がつくと、意識を失いました。助けて、と呟きながら。だから彼をここに運び込んで、あとは知っての通りです」
「そうそう。家のまえで死なれても、気分悪いしさ」
いま答えられるのは、このくらいだ。
これ以上のことは、なにもわからない。
「そう……現状、考えられるのは二つね」
僕にはさっぱり見当もつかないけれど。
秋月さんは二つにまで絞り込めたらしい。
「一つ、ほかの人狼に追い詰められている」
「ありえる話だな。古金の野郎、多方面に喧嘩売って恨み買いまくってるからな」
古金という人狼は、随分と嫌われ者らしい。
まぁ、その理由には、だいたいの見当がつくけれど。
僕も、彼をよくは思っていない。
というか、そもそも僕は彼に殺されたのだから。
「二つ、聖教会の狩人に目をつけられた」
「聖教会?」
思わず、秋月さんの言葉を復唱してしまう。
聖教会と言えば、たしか都市伝説に登場する架空の組織だったはずだけれど。
秋月さんの口ぶりからして、架空ではない?
「もしかして、実在するんですか? 聖教会って」
「そうね、大上くんは知らないわよね。えぇ、そうよ。聖教会は実在するわ。表向きは、ただの都市伝説ということになっているけれどね」
「そうなん……ですか」
人狼の根絶を掲げる組織、聖教会。
その構成員のすべてが聖職者で、人狼を狩るための独自の部隊を持っている。
だが、この時代、人狼も戸籍を持っている。
彼らが勝手に人狼を殺せば、彼らは聖職者ではなく立派な犯罪者だ。
そんな組織が、まともに活動できるわけがない。
だから、都市伝説だと誰もが疑わなかった。
すくなくとも、人間は。
「昔は人狼を見れば誰彼構わず狩りの対象にしていたけれど。人狼に人権が認められてからは、戸籍持ちには手を出さなくなっていたのだけれど」
「たぶん、持ってないよね。だから、的に掛けられたんだよ。素顔を隠すために仮面も被ってたし」
あの仮面は、聖教会に顔を見せないためのものか。
敵対組織に顔を覚えられることの危険性は、考えなくてもわかる。
ということは、彼が重度の負傷を負った原因は、後者の聖教会ということか。
「まだ推測の域を出ないわ。とうの本人が目覚めるのを待つしかないわね」
これは推測の話で、事実はまったく異なるかも知れない。
彼と古金が仲違いをした可能性だってある。
そのことについて、秋月さんは触れなかったけれど。
たぶん、それは彼と古金の関係性を知っているからだ。
「――狩人です」
不意に、書斎の扉が開き、人の声がした。
そちらに目をやれば、そこには息も絶え絶えな司が立っていた。
無理をして動いたのか、巻かれた包帯に血が滲んでいる。
そうまでして、彼はここにやってきた。
「古金さんは、いま聖教会に追われているんです」
そして、その口から告げられる。
聖教会の狩人に、的に掛けられたと。