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大体、正義が悪い

 東京にある築地市場は世界最大級の卸売市場で、施設の老朽化や、取引規模の拡大に伴って生じた「手狭である」といった問題を解決する為に、豊洲への移転が計画された。ところが、移転がほぼ決まった後になり、工場跡地で土壌汚染されている豊洲市場に、本来必要な“盛り土処置”がされていなかった事が判明し、移転は延期となってしまった。その上、その後の検査で、豊洲市場は深刻なレベルの土壌汚染状態にあるという結果が出てしまい、再検査の結果を待っている状態とはいえ、計画自体が見直される事態になってしまった(2017年1月現在)。

 当然の事ながら、「本来されるべきだった“盛り土処置”がされていなかった」という事実には不正の臭いがプンプン漂っている。東京都の役人や、議員、或いは他の誰かが何らかの手段によって税金を懐に入れてしまったのだろう疑いが強い。

 築地市場は世界的にも有名で、単なる卸売市場ではなく、観光資源にもなっている。だからこそこの問題は、世界の日本に対する印象に大きな悪影響を与えている。今現在、日本政府・自民党は“観光”を経済成長戦略の一つにしてもいるから、そのダメージは計り知れない。

 しかも、豊洲市場移転を計画したメンバーの中には都議会“自民党”も確りいる。都議会の自民党と国会の自民党は別らしいが、それでも何かしら関係はあるのだろう。こういう事があると、「日本社会のため」などと言っている政治家たちの言動が単なる建前で、本当は私利私欲しか考えていないのだろうと改めて実感させられてしまう。

 この問題に怒る世論の反応を受けてか、豊洲移転計画を進めた石原元都知事への責任追及がされようとしているが、正直に述べさせてもらうのなら「トカゲのしっぽ切り」という印象が拭えない。

 もちろん、石原元都知事にも責任がある事は確かだ。もしかしたら、何かしら悪事に関わってもいるのかもしれない。だけど、絶対に彼だけが悪い訳ではないはずだ。“築地市場の豊洲移転”という公共事業によって、利益を得ている連中、つまりは“盛り土処理・未実施”という詐欺行為が必要だった連中の罪を、本来ならば暴かなければいけないはずだ。石原元都知事への責任追及だけで終わりにされたら堪らない。

 一体、深く責任を追及していったなら、どんな人物の名前が出てくるのだろう?

 しかし、恐らくは国民(敢えて都民とは書かない)は、簡単にはぐらかされてしまうのではないかと思う。

 石原元都知事の責任が追及されてもされなくも話題の中心になりさえすればそれで良く、後は時間が経てば自然と世の中はこの事件を忘れてくれる。

 ……多分、そんな流れを役人や政治家達は考えているのではないだろうか?

 日本の国民は少し分かり難くなって見え難くなると、悪事によって金を稼いでいる可能性が濃厚でも、それをスルーしてしまう傾向にある。

 例えば、銀行は不良債権を大量に抱え込んで潰れそうになると公的資金(税金)の投入によって救済される。ところが、その不良債権の相手にはヤクザもいて、そのヤクザは政治家と繋がっている。

 まぁ、つまりは、政治家とヤクザと銀行が結託して国民を騙し、税金を懐に入れてしまっている可能性が高い訳だ。

 これはバブル経済崩壊の後によく言われていた話で、もっと真相究明の怒りの声が上がっても良いはずだと思うのだけど、多くの国民はほとんど反応を示さなかった。もし、この時期に真相が究明されていたなら、或いは日本の歴史は変わっていたかもしれない。

 近年、政治にとって重要なのは、こういった国民を騙す詐術になってきている。

 本来なら、政策によって世の中をより良く変える事が政治の役割な訳だけど、それが難しいものだから、“演出”によってそう見せかける。政治家を選ぶ義務を負っている国民が政治に無関心ならそういった詐術を行使するだけで充分で、結果的に政治家やその周辺にいる人間達はそういった詐術の腕が上達してしまったのではないだろうか。

 そして、法の目を掻い潜って税金を掠め取ったり権力を得たりしてきたのだ。

 先のヤクザの話もそうだけど、こういった政治家達の詐術は非合法組織の資金源にもなっている可能性がかなり高く、捨て置いて良い問題ではない。

 しかし、どうやら日本人はこういった問題を是正する能力が極めて低いらしい。良く捉えるのなら、従順で社会性が高いとも言えるけど、それは社会全体が間違った方向に進もうとしている時には致命的な性質にもなる。

 だからこそ、

 だからこそ僕は常日頃から思っている。

 正義のヒーロー達が、彼ら政治家達の悪事を暴いてくれたなら、と。

 

 ――。

 

 僕、村上アキは子供の頃、正義のヒーローに憧れていた。

 小学生の頃に僕が書いた“将来の夢”という作文には、どんなヒーローになりたいかが事細かに綴られていて、その情熱からか先生から花丸の最高評価をもらっていた。だけど、中学になった辺りで、僕は現実を見始めた。ヒーローになろうにもどういった進路を進めば良いのかが分からない。収入源はあるのか? (何処かに勤めるのだとして)勤務体制はどうなっている? 労災は? 老後の保障は? もしも自分に何かがあった時、家族の生活は誰が支えてくれるのだろう?

 そして、いつの間にか、僕はヒーローになる事を夢見なくなっていた。ただ、ヒーローに対する憧れは残っていて、ネットが普及するとヒーローの活躍を扱ったサイトを立ち上げて、いくつも記事を書いた。学業よりも熱心にサイト運営を行った結果、少なからずそのサイトは有名になり、学校を卒業する辺りで出版社から「プロのライターにならないか?」と声がかかった。

 サラリーマンになるよりも、そちらの方が向いていると思ったし、何より好きなヒーローに触れていられる。そう思った僕はプロのライターになる道を選んだ。だけど、現実はそんなに甘くはなかった。書いた文が売り物にならない事も多く、はっきり言って生活は厳しかった。

 だけど、そんな僕にチャンスが訪れたのだ。初めは我が目と耳を疑った。

 「崎森じゃないか!」

 ある日、子供の頃によく一緒に遊んだ崎森という幼馴染が、ヒーローとなっている事を知ったのだ。テレビ画面に映し出されたその姿は間違いなく彼だった。

 崎森も僕と同じでヒーローに憧れていて、僕ら二人はよく互いの夢を語り合ったものだ。当時は親友と言っても過言じゃない関係だった。僕の方は途中でヒーローになる夢を諦めてしまった訳だけど、彼はそのまま自分の夢を叶える道を突き進んだらしい。僕は軽い嫉妬を覚えると共に大いに感心をし、関心も持った。

 「一体、彼はどうやってヒーローになったのだろう?」

 強く好奇心を刺激され、その経緯を知りたい衝動に駆られた。並大抵のことでは、ヒーローになるなんて不可能だ。彼はどのように道を探し、どんな努力をしたのだろう?

 そしてその時、僕にこんなアイデアがひらめいたのだった。

 “そうだ。崎森とは幼馴染で親友だったと言えば、もしかしたら、取材を許可してもらえるかもしれないぞ”

 もちろん、そんなに簡単にいくとは限らない。だけど、少なくとも試してみる価値くらいならあるだろう。

 僕はそのアイデアを編集長に言ってみた。編集長の反応は芳しくはなかった。どちらかと言うとつっけんどんで、面倒くさがってるように思えた。ところが、それから一週間も経たずして、「取材許可が下りたぞ」とそう編集長から言われたのだ。驚いたことにちゃんと動いてくれていたらしい。

 僕はその言葉に舞い上がってしまった。

 ライターとしても大きなチャンスだし、子供の頃の親友に久しぶりに会えるのだし、憧れのヒーローに直接インタビューができもする。しかも独占。

 こんなラッキーってあるのか?!

 正直に言うと、やや複雑な気持ちもあるにはあったのだけど、それが些細な点だと思えるくらいに僕は興奮していた。

 

 インタビューは、都内にある某ホテルの一室で行われた。丸い小さなテーブルを挟んでゆったりとした椅子に座り、向かい合わせで話をした。ヒーローはこの社会にとっての重要人物だ。だから、そのインタビューはシークレット扱いだった。初め僕は敬語で崎森に挨拶をしたのだけど、すると彼は「おいおい、よしてくれ。村上からの申し出だって言うから受けたんだぜ」と言って、僕にフランクな対応を求めてきた。

 変わらない。

 それを受けて僕はそう思った。中学を卒業してからは別の高校に進んだので、ほとんど会ってはいなかったが、当時から崎森は格式ばった対応や社交辞令の類が苦手な男だった。

 「分かった。じゃあ、旧友に会ったつもりで話すよ。と言うよりも、実際に旧友に会っている訳だけど」

 僕は懐かしさを覚えつつそう返した。崎森は僕のその言葉に嬉しそうに笑いつつ、「そうだな」と呟くように言った。

 それから僕はインタビューを開始した。

 「高校の頃までは、君の噂は多少は聞いていたんだが、進路の話までは知らなかった。まさか、ヒーローになる道を進んでいただなんてね。

 正直、驚いている」

 それを聞くと、崎森はゆったりとした動きで足を組み合わせてからこう返した。

 「昔の知り合いと話しをすると、大体はそう言われるよ」

 崎森は黒いレザー製に見える上着とズボンを身に着けていた。もしかしたら、そう見えるだけで本当は特殊な素材なのかもしれない。何しろ、彼はヒーローなのだから。いつ悪の組織と戦闘になるかも分からない。

 「どうやって君がヒーローになれたのか、僕としては非常に興味がある」

 僕が次にそう言うと、「それもよく訊かれる質問の一つだな」と彼は言った。「ただ、お前の場合は皆とは違う点が一つある」

 「どんな?」

 「少し悔しそうにしている」

 僕はそれを聞くとほんの少しだけ肩を竦めた。

 「正解だ。少し悔しい。

 君も知っているかもしれないが、僕もある時までは、本気でヒーローになる道を考えていたからな。でも、断念した。だからこそ興味本位ではなく、本気で知りたい。どうやって君がヒーローになれたのかを」

 それを聞くと崎森は上着のポケットから煙草を一本取り出し、それに火を付けると、煙を思いっきり肺に吸い込んでからそれを吐いた。室内に濃い煙が漂い、拡散して薄れていく。僕に煙草を吸って良いか、まったく確認しなかった。こういうところも非常に彼らしい。僕はそれに悪い印象を受けるどころか、好印象を持った。

 「なれなくて正解だよ、村上。月並みなセリフだが、現実は物語の中とは違う。そんなにいいもんじゃない」

 「ヒーローが言うセリフじゃないね。子供たちの夢も考えてやれよ」

 「知ったことか」

 その言葉の後で、僕ら二人は顔を見合わせて軽く笑い合った。今の僕らにとって、その言葉はまるで自分達自身への皮肉だったからだ。

 煙草をもう一口吸うと、崎森は淡々と語り始めた。

 「“子供たちの夢”のことを考えると言いたくはないんだが(ここで彼は少し笑った)、高校2年の頃になると進路について色々と言われるだろう? 俺、そう言うのが嫌いだったからさ、敢えて何も考えていなかったんだ。でも、親とか教師とかからは煩く言われるわけだ。それで思い出したんだ。そういや、俺は子供の頃、ヒーローになる夢を見ていたなってな。ところが、そう言ってみたら教師どもは笑いやがってさ、悔しかったもんだから、本気でヒーローになる道を探した。それが切っ掛けだ」

 「本当か?」

 僕はその説明に驚いてしまった。思っていたのとは全然違う。僕は勝手に彼は子供の頃の情熱を失わなかったのだとそう思っていたのだ。

 「本当だよ。夢がないだろう? 悪の組織を潰すとか、世の中の為とか、真剣に考えていた訳じゃないんだ。まぁ、恥ずかしさを堪えて言うと、少しはそんな事も考えていたよーな気もするけどな」

 インタビューでこんなセリフを言ってしまったら、普通のヒーローならばイメージダウンになってしまうだろう。しかし、崎森の場合は問題がなかった。元々、彼は黒を基調としたデザインの戦闘服で少々ダークなイメージで売っているヒーローで、斜に構えたようなところがあるからだ。因みにヒーロー名は“ガーディアン”だ。

 「その話はその話で面白いが、それは飽くまで切っ掛けだろう? ヒーローになる方法じゃない」

 僕が本当に聞きたかったのは“どうすればヒーローになれるか”だったのだ。それは、世間的にも謎に包まれている。

 「言えないよ。分かっているだろう?」

 「言える範囲で良い。頼む、教えてくれ」

 一体、どうすれば僕はかつての自分の夢を叶える事ができていたのだろう? 記事の為ではなく、純粋に個人的な動機で僕はそれを知りたかった。

 僕の言葉を聞き、真剣なその目を見ると、崎森は「分かった」とそう言ってから、淡々と語った。

 「やり方は簡単だよ。ネットで検索して、本当っぽいのに応募していったんだ。ほとんどが胡散臭そうなもんばかりだが、検索をし続けると幾つかはマジっぽいのに当たる。それに応募をしたんだ。

 しかしそれでも最初の二回はインチキだった。見事に金を騙し取られたよ。まぁ、大した額じゃなかったが学生にとっては大きかったな。で、運良くと言うか運悪くと言うか、もうこれで最後にしようと決めて三回目に応募した所が本物だったんだ。本物だと知って、真っ先にインチキで俺を騙した連中をやっつけてやると思ったな。まぁ、今もまだやっつけてはいないんだが」

 「ネットで見つけて応募したって? マジか?」

 「マジさ。アホみたいだろう?

 断っておくが、そーいうのは99%以上はインチキだ。ヒーローになりたいからと言って、ネットで探すような馬鹿な真似はしない方が良い。“良い子のみんなは真似しちゃダメ”ってやつだよ。ちゃんと書いておいてくれ」

 おどけながら崎森はそう結んだが、僕はその冗談に合わせてやる事ができなかった。「はは…」と笑う。まさかそんな方法で、ヒーローになれるなんて。“事実は小説よりも奇なり”と言うが、本当に世の中は何が起こるか分かったもんじゃない。

 僕の反応を見たからか、それから崎森はこんな事を言ってきた。

 「なぁ、村上。落胆したか? 本当の話なんか聞くもんじゃないだろう? さっきも言ったが、現実は物語の中とは違うんだよ。俺みたいなアマノジャクが、変な意地の所為でヒーローやっているんだ。しかも、ヒーローになんかならなきゃ良かったと後悔しながら。笑えない現実だが、笑うしかない。本来なら、お前みたいなやつがヒーローになる方が正しいと思う。子供たちの夢にも近いだろう。だが現実は、お前みたいやつはヒーローにはなれない。虚しいもんさ」

 僕はそれを聞くと首を軽く二回振った。

 「いいや、僕はそうは思わない。例え動機や切っ掛けがどうであろうが、君は実際に悪と戦って、街を守っているんだから」

 すると、崎森は頭を垂れながら「それも、どうだかなぁ……」と呟くように言った。

 「“どうだか”って何だよ? 少なくともそれは事実だろう?」

 「いや、“守っている”と胸を張って言うには、俺達はあまりにも街を破壊し過ぎているって思ってな」

 「何を言っているんだ? 街を破壊しているったって、それは悪の組織の方が悪いんだろうが。ヒーロー達は仕方なく応戦しているだけじゃないか」

 確かにヒーロー達VS悪の組織の戦闘で、街が破壊され過ぎていて、怪我人すら頻繁に出ている現状に対し、文句を言っている人間達もいる事はいる。もう少し安全にはできないものか、と。しかし考えるまでもなく、その責任をヒーロー達に押し付けるのは酷だ。悪いのは悪事を働く悪の組織なのだから。それに…

 「それに、破壊された街に関しては、国が工事を行って直しているじゃないか。その対応で充分だと僕は思う」

 そう。かなり特殊なケースに分類される訳だけど、ヒーロー達の戦闘によって破壊された街は、国が公共事業の面目で直している。だから、民間に出費はないのだ。

 「だが、その出費は国の財政を圧迫しているだろう? 知っての通り、日本は財政が危機的状況だ。それは国民の生活を苦しくさせている。その対応がベストだとは俺にはとても思えない」

 僕はその崎森の言葉を聞いて感心した。さっき崎森は自分はヒーローには相応しくないというような事を言っていたが、それは違うとそれで思った。

 「いや、お前は凄いよ。ほとんどのヒーロー達が避けている話題を真っ向から受け止めているんだから」

 それからそう言うと、僕は崎森の手を両手で握った。

 公共事業には政治家や官僚の不正が付き物だ。ヒーロー達の戦闘で傷ついた街の修復もその例に漏れず、様々な悪い噂がある。ところが、ヒーロー達はこの手の話題は極力避けようとするのだ。仕方ないとはいえ、煮え切らない思いが残るのも事実だろう。だが、彼は逃げなかったのだ。それだけで賞賛に値する。

 「だが、そういった類の問題は、ヒーロー達には不向きだ。まさか、政治家や官僚達と戦う訳にもいかないしな。それではテロリストになってしまう。

 財政難を緩和する為、つまりは国民の生活を守る為、国の不正を暴くのは僕らのような記者の役割だ。待っていてくれ。少しでも君らヒーローが気持ち良く悪と戦えるように、僕らが努力をするから」

 僕はすっかりと熱くなって、気が付くとそんなセリフを吐いていた。“インタビュアがここまで感情的になって良いものだろうか?”と、言い終えた後で思ったが、まぁ、悪くはないだろうと自分に言い訳をした。それでも少し恥ずかしかったけれど。

 崎森はそんな僕とは違ってとてもドライだった。そういった反応も彼らしいと言えば彼らしい。

 その時はそう思っていた。

 「ああ、そうだな。期待している」

 と、そう抑揚なく応えた。ただ、それから思い出したようにこう続けもしたが。

 「だが、あまり無茶はするなよ。下手に突っ込みすぎると、命取りになるからな。ほどほどにしとけ」

 「ああ、わかっている」

 と、僕はそれに答えた。実を言うと、まったく分かっていなかったのだけど。

 

 ――。

 

 正義のヒーロー好きが高じてライターになった僕だけど、別にヒーロー専門で記事を書いているって訳じゃない。他の記事ももちろん書く。何しろ、仕事を選り好みできる立場じゃないからね。ただ、それでもいつも頭の片隅にはヒーローや悪の組織の事がある。ヒーロー達を助けたい。悪の組織に少しでも良いからダメージを与えたい。それに僕が気が付いたのも、そんな僕の“性質”の所為だった。

 僕は国がやっている公的年金の資金運用は怪しいと睨み、色々と調査をしていた。運用と偽って政治家や官僚などの懐に年金資金を仕舞い込んでいないか、或いは、不正な利用方法をしていないか、大いに疑ってみるべき価値があると思う。

 例えば、年金資金を原子力発電所関連の事業に投資しているかもしれない。もちろん、普通ならこの投資は失敗する可能性がある訳だけど、詐欺的な手段を使えばその可能性を低くする事が可能だ。何故なら、国は原発関連において投資家達に負担をかけないと表明していて、廃炉や核廃棄物にかかるコストなどを電気料金として徴収しようとしているからだ(驚いた事に再生可能エネルギー分野にも、この負担を強いようとしているなんていう倫理観を疑わずにはいられない話もある)。

 もし、これが本当だったら、本来は年金資産運用に失敗していて、確りと国民は被害を受けているのに、電気料金のコスト増という分かり難い形に変えられてしまっているが為に、それに気づかないでスルーしてしまう可能性だってある訳だ。もちろん、他の何らかの不正を行っている可能性もある。だからこそ、僕らマスコミが監視の目を光らせる必要があるのだ。

 そう思って僕は、国のやっている公的年金の運用関連を色々と洗っていた。仮に悪事の明白な証拠が出なくても、恐らく得るものはあるだろうと考えて。ところが、その結果として僕は非常に怪しい投資先を見つけてしまったのだった。

 資金運用機関は兵器開発に関わる企業へ投資を行っていたのだ。ここまでは特に不思議な話ではない。近年、日本は主に中国の脅威に対抗する為に軍事力の増強に力を入れ始めている。国が税金で兵器を買い取る事が分かっているのなら、(違法取引である疑いが強い上に、国民に隠れて軍事増強を行っている訳だけど)投資先として有望なのは分かる。だが、問題はそこから先だ。その企業が具体的にどんな業務を行っているのか僕は調べてみたのだが、探っても探っても何も出てはこなかったのだ。つまり、ペーパーカンパニーである可能性がかなり高い。

 ――どうしてペーパーカンパニーを使う必要があるのだろう?

 僕はそんな疑問を思った時に、ふとこんな想像をしたんだ。

 ――もしかしたら、この投資資金はそのまま悪の組織へと流れているのではないだろうか? それを隠したいが為に、ペーパーカンパニーを使っているんだ。

 これは正義のヒーロー達も同じなのだけど、悪の組織の資金源は謎に包まれている。それを突き止める事がどれだけ重要かは説明するまでもないだろう。その資金源を断てたなら、悪の組織を壊滅させる事も可能だ。

 そんな想像をした時、僕は静かに興奮していた。表面上はあまり分からなかったかもしれないが、それはまるで熾火のように僕の行動原理を熱くしていた。

 ヒーロー。

 僕の頭の中には、その文字が浮かんでいた。或いは、無自覚の内に崎森へのインタビューで、触発されていたのかもしれない。弱者達の為に悪と戦う者をヒーローと定義するのなら、誰だって本当はヒーローになれるんだ。ライターとなった今の僕だって。そんな想いが僕の中に渦巻いていた。

 しかも、もし資金が流れていく先を追って、悪の組織に辿り着いたのなら、大スクープだ。社会の敵である悪の組織の資金源が国の税金である事になるのだから。いや、ヤクザに税金が流れているという話もあるくらいだから、それはそれほど意外な話でもないのかもしれないけど。

 ――動いてみるしかないだろう。少なくとも、その価値はある。

 僕はそう考えた。

 そして僕は、まずはペーパーカンパニーであろうその企業の住所となっている場所を当たってみる事に決めたのだった。

 

 悪の組織に国が資金を流す理由はいくつか考えられる。まず一つは公共事業の確保だ。先にも述べたけど、破壊された器物等は国によって修復される訳だけど、そこに民間業者との癒着があるのは事実なのだ。その利権を支える為には、悪の組織に街を破壊し続けてもらわなくては困る。

 だから、国の連中は悪の組織を保護しているのではないか?

 もう一点は、軍事兵器開発だ。

 何度も書くが、国は財政難に陥っている。しかも自分達の利益も減らしたくはない。その条件下で、軍事拡大をしたいと思ったのなら、効率良く兵器開発を行う必要があるだろう。合法化できない兵器を開発したい場合や、合法化できない手段で兵器を開発したい場合は、隠してそれを行うしかない。

 或いは、“悪の組織”はその為の秘密の実験組織なのではないだろうか? 公にはできない兵器開発を行い、それを国にフィードバックする。もちろん、極秘裏に。

 考えてみれば、悪の組織が暴れる理由が分からないというケースも実に多い。テロリスト達のような政治思想も窺えないし、利益を得る事を目的にしているようにも思えない。目的が不明だからこそ、資金源の特定や予想は困難だったのだけど、実験だとするのならその事情も違ってくる。

 圧倒的に潰し易くるはずだ。

 資金を流す理由としては、その他にも悪の組織が官僚達の天下り先の一つになっているからという可能性だってある。そんな事の為に、と思う人もいるかもしれないが、厚生労働省は血液製剤によって“エイズに感染する可能性がある”と知りながら、天下り先確保の為にそれを市場に流通させ続けたんだ。これは国に“国民の死よりも金を取った”という実績があるという事だ。決してあり得ない話ではないと思う。

 

 ……予想通り、国の投資先となっている、実態の不透明な企業があるとされている場所には何もなかった。

 表札すらなく、鍵は閉まっていたので中は確認できなかったが、近くのビルから覗いてみると少しも人の気配はなかった。暗い。机や椅子はあるようだったが、使用されている形跡がまるでない。

 やはり実体のない企業なのだ。

 僕はそれを確かめると、職場へと帰る為に歩き始めた。

 歩きながら考える。

 投資先がペーパーカンパニーでは、普通ならば利益は得られないだろう。しかし、このケースおいては、かなり迂遠な回りくどい方法で利益がある事になっているらしかった。

 ただ、いくつもの金融機関や仲介業者を経て債権の形で利益を取り戻しているから、そこから資金の流入先を見極めるのははっきり言って困難だ。金融の素人の僕では特に。かと言って、ペーパーカンパニーから資金の流れを追うのも難しい上に危険でもあるだろう。

 ……ならば、どうするか?

 真っすぐ帰る気分じゃなかったので、僕は駅まで少し遠回りする事に決めた。どうせ時間はあるのだ。大通りを避けて、裏通りを歩く。綺麗で清潔な街並みが、一瞬で暗く薄汚れた風景に変わる。人が住んでいるかどうかも分からない家屋。何故か、炭酸飲料の缶が棚の上に無数に並べられてあった。まるで妖怪でも住んでいるみたいだ。

 僕にはその街の様相の変化がこの人間社会を象徴しているように思えた。表面上は、無難に取り繕ってはいるが、ほんの少しの薄い皮を捲れば正体不明の化け物達が笑っている。しかもたくさん。

 それは、正義のヒーローにも倒せない。何故ならそれは、人間そのものだからだ。

 ……そんな事を考えて、僕は自分は青いなとそう思った。

 いつまでも無意味に遠回りし続ける訳にもいかないので、僕はいい加減職場に戻ろうと道を曲がった。高架の上を走る車が見える。その下には川が流れている。川の上なら立ち退きを迫る必要もないし買い取る必要もないから、東京都は川の上に道を造ったなんて話を聞いた事がある。それが嘘か本当かは知らないが、東京の川は元々交通機関だったから、理に適っているように思えなくもない。それに、余計な悲劇がそのお陰で起こらなかったのかもしれないし。

 ただ、高架道路の所為で、あまり光が当たらない川は、少なからずどんよりと濁っているようにも思えた。

 正直、あまり気持ちの良い光景ではない。

 駅まで戻る為、軽い傾斜のある道路を歩いていると、突如、その先にある広場の方から悲鳴が聞こえて来た。

 「キャー! 誰か助けてぇ!」

 若い女性の声だ。悪い予感を覚える。僕は急いで道を駆け上がった。すると案の定、広場の真ん中、人の輪の中心に怪人が現れていて、若い女性を人質に取っていた。片腕でその女性を身動きできないようにしている。目的が何かは分からないが、悪事を働いていることだけは確かだろう。

 「誰か警察を呼べ……、いや、ヒーローだ! ヒーローを呼ぶんだ!」

 誰かがそう叫んだ。

 それを聞いて怪人は慌てたような様子で声を上げようとした。しかし、「フゴォー! フゴォー!」というまるでできそこないの金管楽器のような音しか響かない。何かを訴えているようにも思えるが、恐らくあれは威嚇行動のようなものなのだろう。

 その怪人は着ぶくれした姿の巨体で、ガスマスクようなものを顔に装着していた。だから正体が何者かは分からない。だが、法律上で怪人には人権が認められていない。つまり、仮に怪人の正体が人間だったとしても、既に怪人と化してしまっている以上、殺しても傷を負わしても何ら罪に問われることはないのだ。

 これについては憲法違反ではないかという指摘があるが、人命に関わる事柄でもあり、現行、ほとんど問題にはされていない。

 「取り敢えず、カメラで撮影をしておこう」

 僕はそう決めると、人ごみの合間を縫って進み前の方に出て、怪人の写真を数枚撮った。そして写真を撮りながら気が付いた。広場のベンチの下に爆弾のようなものがある。何かは分からないが、怪人はあれを設置していたのかもしれない。

 そのうち人質になっている若い女性が「助けて…… 苦しいっ! この人、力が強くて!」と訴え始めた。どうやら怪人の女性を捕らえる力が強すぎるらしい。僕はそれを見てこう叫んだ。

 「オイ! 何をやっているんだ!? それ以上強く絞めたら殺してしまうぞ! そうなったらお前にとってもまずいはずだ。人質の価値がなくなる!」

 すると怪人は「フゴォー! フゴォー!」と叫びながら首を横に激しく振った。それを見て僕は思う。

 ――もしかして、力が制御できていないのか?

 仮に僕の説が正しいとするのなら、怪人は何らかの戦闘兵器の実験体という事になる。ならば開発途中の欠陥品を装備している可能性も大いにあり得る。

 ――このままでは、ヒーローや警察が来る前にあの女性は絞殺されてしまうぞ!

 僕はそう思うと、カバンの中からアーミーナイフを取り出した。説明しなくても分かるかもしれないけど、ヒーローに憧れている僕は一応は常に武器を携帯しているのだ。

 僕はそのアーミーナイフを握りしめると、真正面から怪人に向って突っ込んでいった。僕に攻撃を仕掛けてくるのならそれでも良い。それで女性を捕らえる腕の力が弱くなるかもしれない。

 僕の動きに直ぐに反応して、怪人は片腕を僕の方に真っすぐに向けた。ただ、何も武器らしきものは持っていない。しかしそれでも相手は怪人だ。恐らくは何か攻撃の手段があるのだろう、そう思った瞬間だった。ヒュンッという空気を切る音が聞こえた。

 なんだ?

 何も見えない。しかし不気味だと思った途端、炎が僕の脇腹の横を突き抜けたのだった。火炎放射器の可能性も考えたが、それよりもずっと細くて想像以上に熱く、しかも爆風すらあった。体勢を崩した僕は、アスファルトの地面の上を数メートルは転がった。

 怪人は転がった僕に向けてまた腕を伸ばした。やはり空気を切る音がする。ただ、今度は微かに見えた。怪人は何かワイヤーのようなものを高速で飛ばしているんだ。そしてそのワイヤーが爆風を伴った強烈な炎を発する。聞いた事もない武器だ。

 僕はそのワイヤーの炎をかわす為に、地面を転がった。まだ開発中で精度が悪いのか、それとも元々対多人数戦を想定して作られた武器だからなのかは分からないが、とにかく、なんとかかわせた。

 ――しかし、次はないだろう。そこまで甘くはないはずだ。

 そう思っていると、怪人は今度は腕を横に構えた。あのワイヤーを振り回すつもりでいるのか、とそれで僕は思う。かわし切れる自信がない。しかも身体に巻き付かされたら確実に終わりだ。

 僕は死を覚悟したのだけど、その時だった。突然、銃声が響いたのだ。怪人の片腕が撃ち抜かれ、それで捕らえられていた女性は自由になった。女性は怪人の腕から解放されると、そのまま無事に脱出した。良かった。一体誰が銃を、と思って見てみると僕の反対側に銃を構えた男の姿があった。彼が銃を撃ったのだろう。警察ではない。しかも、持っている銃は普通の銃じゃなかった。次元大介がかぶるような帽子に大きな異形の眼鏡。間違いなく、ヒーローだ。もちろん、僕はそのヒーローを知っていた。

 エナジー・ガン。

 それがそのヒーローの名前だった。驚くほどの精密射撃を得意とする男で、彼だからこそ人質がいるこの状況下でも銃を撃てたのだろう。お陰で助かった。

 怪人は直ぐに僕から攻撃目標をエナジー・ガンに切り替えた。投げるような動作で、ワイヤーを放とうとする。しかし、投げ切る前に再び銃声が響いた。

 怪人の腕が撃ち抜かれている。中途半端に飛び出たワイヤーが空中で炎を発して、大きく曲線を描いた。武器の相性が悪い。勝負にならない。いや、障害物がたくさんある状況下なら分からないけど。

 怪人は撃ち抜かれた所為で、だらりと両腕を垂らしてエナジー・ガンに向き合った。睨みつけている。そして、一歩ずつ足を前に出して進み始めた。よく見ると、まだ例のワイヤーを腕から出している。もっとも、それを放つ力は残っていないようだったが。

 「勝負あったな……」

 僕はそれを見てそう呟いた。後は警察の到着を待ってあの怪人を逮捕してもらえばそれで終わりだ。

 が、

 ダーンッ!

 と、そこで銃声が響いた。エナジー・ガンが銃を撃ったのだ。それは怪人の頭部に命中をし、それからゆっくりと前のめりで怪人は倒れていった。

 僕はそれを見て思わず叫んだ。

 「何をしているんですか?!」

 とてもじゃないが、止めを刺す必要があったようには思えなかったからだ。その声を聴いて、エナジー・ガンは僕を見た。そして細かく何度も頷きながら近づいて来た。

 「見ていたよ。君は女性を守るために飛び出した勇敢な人だね。君が注意を逸らしてくれていなかったなら、銃撃のチャンスはなかったかもしれない。ありがとう」

 そして、そんな事を言った。僕の言葉は無視だ。

 それはいかにもヒーロー然といった感じの綺麗な発音と整った口調だった。

 「だが、少々苦言を呈さなくてはならない。さっき君はあと少しで死ぬところだった。今回は助かったが、それは偶然で結果論に過ぎない。今度からは民間人が怪人との戦闘に参加してはいけないよ。いいね」

 彼の言うことは理解できる。しかし、今問題にしているのはそんな点じゃない。

 「何故、殺したんですか?」

 僕は殺された怪人を見ながら言った。

 エナジー・ガンは首を軽く傾げると、こう尋ねて来た。

 「何故とは?」

 「殺す必要があったようには思えません」

 それを聞くと彼はゆっくりと肩を竦めた。それからこう言う。

 「あれを見てみたまえ」

 そして怪人に視線を向ける。その次の瞬間、シュゴォッ!という花火が火を噴くような音と共に火花が散り、その後で怪人はドンッという音をたてて爆発してしまった。

 「な!」

 僕は思わず目を見開く。カラカラ… と怪人の破片が僕の直ぐ横を転がった。

 「あの怪人は自爆をしようとしていたんだよ。人がたくさんいる所であれをやられたら、どんな惨事になっていたかは分かるよね?」

 得意げな口調でエナジー・ガンはそう言う。僕は茫然となりながら、「は、はい……」と素直にそう答えた。

 流石、ヒーローだ。僕には少しも分からなかった。まさか怪人が自爆しようとしていただなんて。やはり素人が口を挟むものじゃないと僕は自分を恥じた。

 それからさっき怪人によって人質にされていた女性が僕らの方にやって来て頭を下げた。それほど役に立ったようには思えないが、それでもエナジー・ガンと同じ様に僕にも感謝をしてくれた。

 もちろん、それで僕は少なからず嬉しい気持ちになれた。ちょっとだけだけど、ヒーローに近づけたような。それに、今回の件は、ライターとしても価値があるだろう。当事者として、ヒーローの記事が書けるのだから。恐らく話題になるはずだ。

 僕は会社に戻ると、直ぐに記事を書き始めた。こういうタイプのニュースは速報性が命。少しでも早く他社よりも記事をアップして目立った方が良いのは言うまでもない。

 そして、記事を書きながらふと僕は気が付いたのだった。

 もし本当に悪の組織の活動目的が兵器の開発であったのなら、あの今回の怪人の使っていた見た事もない武器(僕は仮に“炎上ワイヤー”と名付けた)も、もしかしたら、いずれ軍事兵器として使われるようになるのかもしれない。だとするのなら、当然、今までだって、それと同じ事が行われていたと考えるのが自然だ。

 ならば、最近になって新開発された兵器を調査し、かつて怪人達が使っていた武器と照らし合わせれば、似たようなもの、或いは同じ原理のものが見つかる可能性が高い。そんな事実がもしあったなら、それは国と悪の組織が繋がっている可能性を示唆しているのじゃないか?

 そう思った僕は今回の記事を早々に書き上げると、直ぐに調査を開始した。幸い、軍事関連に詳しい知り合いがいるのでここ数年で採用された最新兵器を簡単に説明した資料が楽に手に入った。後は過去十数年の間に悪の組織の手先である怪人達が使用していた武器を丹念に調べ上げていくだけだが、これはもちろん僕の得意分野だ。

 照らし合わせてみると、怪人達の武器との類似性が高い兵器や、原理を応用しているのではないかと思われる兵器がいくつも見つかった。軍事兵器の中には一般には公開されていないものも多数あるだろう点を考慮するのなら、恐らくこれは氷山の一角に過ぎないだろう。捨て置けない事実だ。

 気が付くと、僕はその作業に没頭していた。そして驚くほど短期間で、国と悪の組織が繋がっている可能性を示唆するその記事を書き上げたのだった。

 もちろん、この程度じゃ証拠としては弱いから、表現には気を付けなくちゃいけない。しかしそれでも充分に世間に向けて発表する価値はあるだろう。

 

 記事を書き上げた僕は編集長にそれをメールで送った。今回の記事には自信がある点と、もしかしたら悪の組織の資金源を断てるかもしれない旨も書き添えて。

 悪の組織の活動を弱められたなら、どれだけ社会的に意義があるのか分からない。だからこそ僕はその記事の重要性を確信していた。

 記事をメールで送った後に一休みしていて、僕はふと崎森の事を思い出した。彼にも一応、今回の件を伝えておいた方が良いかもしれない。

 そう思ったのは、崎森が僕に「あまり突っ込みすぎるな」と忠告をしていたからという事もあったのだけど、きっとそれよりも彼に自分の成果を誇示したかったのだろうと思う。彼がヒーローになったと知って傷つけられたプライドを少しでも回復したかったのだ。僕は。

 ……だが、これが間違いだった。

 「それは凄い。お前もお前の立場で戦っているんだな。やっぱり、本来はお前みたいな奴がヒーローになれる世の中の方が正しいんだと思うよ」

 崎森は僕の成果を聞くと、素直にそう認めてくれた。

 「何を言ってるんだ、君に比べれば……」と、僕はそれに応えたけれど、実を言うと彼の賞賛を聞いて、浮かれ、誇らしい気持ちになっていた。まるで先生から褒められた子供みたいに。

 いや、僕は本当に子供だったのかもしれない。

 疑うことを知らない純粋な子供。

 

 目が覚めると、僕は何処かの廃屋の中にいた。いくつもの大きな建物が窓から見え、車が行き交う音が聞こえるから、きっと都心部だ。壁紙が剥がれかけている。薄汚い段ボールが山のように積まれていて、僕はその中央に投げ出されていた。まるで段ボールをベッドにして寝ているみたいだった。ゴミの類が散乱している他は、その部屋の中には何もなかった。

 僕にはどうして自分がこんな場所にいるのか、まるで分からなかった。確か残業してかなり遅い時間に会社を出、自宅に戻る道を歩いていたはずだ。飲み屋に寄った記憶も酒を買った記憶もない。酷く疲れていたから、早く帰ってシャワーを浴びてさっさと寝てしまおうと思っていた。

 ――とにかく、外に出よう。ここを出たら時間を確かめて、出勤時間を過ぎているようだったら会社に連絡をしなくては……

 そう思いながら僕は身体を起こした。その時に違和感を覚えた。妙に身体が重かったのだ。

 おかしいな?

 それから歩き始めてその違和感は確信に変わった。やっぱり身体が重くなっている。まるで金属製になってしまったかのようだ。僕は病院に行くことを考えながら、廃屋の外に出た。

 廃屋の外は空き地になっていて、廃屋の裏手に道路があった。僕はその道路に向かおうと前に進んだ。近くには人家もコンビニもなかった。寂しい場所だ。身体が重いのでゆっくりとしか進まない。しかし、それから異変が起こった。歩いているつもりなのに、加速度が異常なのだ。瞬く間にスピードが上がっていってしまった。

 風景が物凄い速さで、背後へと流れる。目指していた道路があっという間に目の前に。僕はその想定外の速度に混乱した。しかも上手く止まれない。

 なんだ? なんだ?

 そのままでは道路に突っ込んでしまいそうだったので、慌てて方向転換をしてなんとか曲がり切った。しかし、それでもスピードは落ちなかった。そのまま道を進む。僕は道路の車と並行して走っていた。はっきり言って、人間が出せる速度じゃない。無理矢理に足を前に踏ん張ってブレーキをかけると、なんとか止まる事ができた。ズザァーッ という音と共に砂埃が舞う。

 ――何が起こっているんだ?

 僕は訳が分からないまま、とにかくさっきのようにスピードが出過ぎないようにと慎重に足を進めた。加速する事はなかったけど、身体は物凄く重かった。

 徐々に街の雰囲気が変わり始め、人家や小さな店などが見え始めた。手頃な店があったらここが何処なのか訊いてみよう。そう思って進むうち、前の方から人が歩いてくるのが見えた。サラリーマン風の男性だ。外回りの営業だろうか。

 ――ちょうどいい。あの人にここが何処なのか訊こう。

 近づいて来たそのサラリーマンは、僕を怪訝そうな表情で眺めていた。僕は不思議に思いながら手を上げて彼を呼び止めようとした。するとその途端に彼は大声を上げたのだ。

 「か、怪人だぁ!」

 僕はそれを聞いて驚く。

 ――怪人? 何処に?

 慌てて辺りを見回してみたけど、怪人などいなかった。ところが、その彼はそれから大慌てで逃げていってしまう。僕は一人その場に残されてしまった。性質の悪い悪戯をする人もいるものだと僕は不機嫌になった。

 仕方ないので僕は何処かに店はないかと探して歩いた。徐々に人の姿が見え始める。なんだか分からないが、皆が僕をジロジロと眺めていた。

 変に思いながらも街を進む。僕は小さなコンビニがあるのを見つけた。

 ――あそこで訊こう。

 店内に入ると、レジに店員だろう中年の女性がいた。何かの書類作業をしていて、僕には気が付いていない。

 ――あの…… すいません。

 そう僕は口を開こうとした。ところが、僕の喉はその言葉を発しなかった。その代わりにキュルキュルという高い怪音が鳴る。

 あれ?

 僕はその奇妙な現象に強烈な不安を覚える。何かを喋ろうと声を発しようとしてもキュルキュルという怪音しか出ない。その音で流石にレジの女性店員が僕に気が付いた。一瞬の間の後で目を大きく見開くと、「キャー! 怪人よぉ!」と彼女は大きな悲鳴を上げた。

 僕はそれを聞くと首を激しく左右に振った。「違う」と言おうとしたが、人の声が出ない。ただキュルキュルと音が鳴るばかりだ。それではもちろん相手には通じない。中年女性は警報機のボタンを押した。警報音が鳴り響く。

 僕はその時、先日見たあの着ぶくれ怪人が必死に声を出そうとしながら首を横に振っていたのを思い出した。

 ――もしかして、あいつはあの時、必死に「違う」と言っていたのか?

 僕はそれから慌ててトイレに飛び込んだ。速度が出過ぎてしまって、風圧で雑誌や雑貨などをまき散らしてしまう。止まり切れなくて壁も破壊してしまった。だけど、構っている余裕なんかない。それからトイレにある鏡で自分の姿を確認して僕は愕然となった。

 そこには昆虫を思わせる姿をしたとても醜い姿の怪人がいたからだ。こげ茶色をしている。

 ――これが僕? そんなバカな…

 僕は絶望で頭がクラクラとなった。こんな現実、受け入れられっこない。一体、どうして? いや、今は考えている場合じゃない。このままここにいたら、下手したら警察……、いや、ヒーローに攻撃されてしまう可能性すらある。怪人だと思われている僕は殺されてしまうかもしれない。

 ――とにかく、逃げないと

 逃げて時間を稼いで、僕が本当は怪人じゃないと分かってもらう方法を見つけるしかないだろう。

 僕はそれから急いで店を出た。やはりスピードが出過ぎてしまって店を少し破壊してしまった。「ごめんなさい」と言ったつもりだったけど、キュルルルという音しか出なかった。店から出ると猛ダッシュする。コンビニの警報音は遠ざかっていくけど、信じられない速度で走る異形の姿の僕を見た人々は悲鳴を上げている。当然、警察やヒーローに通報されてしまっているだろう。僕を退治してくれ、と。

 案の定、そのうちパトカーのサイレンの音が響いて来た。

 ――ちゃんと言葉が喋れないのなら、筆談しかない。

 逃げながらそう考えると、僕は自宅を目指す事に決めた。何処かの店に入って、筆記用具か何かを借りても良いけど、スピードがコントロールできない今の僕が狭い店内を移動したら下手すれば誰かを殺傷してしまいかねない。自分の物を取りに行く方が無難だ。今の僕のこの怪速なら、自宅にまで無事に辿り着けるかもしれないし。

 僕は看板を見つけて大雑把な現在位置を確認すると、それから自宅を目指して大きく方向転換をした。歩道を行くより安全に思えたので、車道を選んだ。本気で走り始めると車よりも速く僕の身体は進んだ。本当に驚異的な速度だ。パトカーのサイレンの音が離れていくのが分かる。

 ――よし! これなら、警察を振り切って自宅まで行けるかもしれない。

 ところが、そう思った時だった。

 僕の直ぐ横に、赤い影がいきなり浮かんだのだ。そしてその赤い影は、僕にいきなり蹴りをあびせて来た。

 ――なっ?!

 僕は弾け飛び、歩道の向こうのフェンスに激突してしまう。幸い誰もいなかったけど、もし誰かいたら大怪我をしているところだ。

 「なんて事をするんだ! 誰かが怪我をしたらどうする?」

 僕はそう叫んだつもりだった。しかし、やはり人の声にはならない。キシャア!キシャアッ!という威嚇音のような音が響いた。

 赤い影は僕の声を受けると、僕にそれほどダメージがないと判断したのか、真っすぐに突っ込んできた。その姿には見覚えがあった。ソニックレッド。もちろん、ヒーローの一人だ。彼は高速移動を得意としている。

 ――くそう! ヒーロー相手に戦う訳にはいかない。

 僕は身体を起こして直ぐに逃げようとした。しかし、僕の身体は何故か逃げてはくれなかったのだった。自由が利かず、勝手にヒーローに向っていってしまう。

 ――なんだ?

 動き始めた僕の身体は思いっ切り姿勢を低くすると、勝手に走り始めた。四足歩行。驚いた事に、二足歩行よりも速度が出ている。そのトリッキーな動きと予想外のスピードにソニックレッドは対応し切れなかったようで、僕の突撃を足元にくらうとそのまま地面を激しく転がった。地面を転がったソニックレッドに止めを刺す為か、僕の身体は向きを変えた。やはり自由に動けない。その光景を見ていた人々から悲鳴が上がる。

 「キャー!」、「逃げろー!」、「ヒーローがやられるぞぉ!」

 僕は激しく首を横に振った。

 ――違う。僕はこんな事がしたい訳じゃないんだ!

 そこで僕はまたあの着ぶくれ怪人を思い出した。彼はナイフを持った僕に攻撃を仕掛けて来たけど、あれは本人の意思ではなかったのではないか? 今の僕と同じで、何らかの方法で身体を他者にコントロールされていたんだ。

 ――くそう! このままじゃ、僕がソニックレッドを殺してしまうぞ。

 僕は走り出そうとする身体を何とか止めようと必死に足に力を入れた。すると、直進ではなく、歪んだ動きで前に進み始めた。だが、その程度じゃヒーローへの攻撃を止めることはできそうにない。僕は苦悩した。

 ――どうする?

 ところが、その時だった。

 ダーンッ!

 と、銃声が響いたのだ。地面に銃痕ができている。見ると、道路の先にヒーローのエナジー・ガンの姿があった。彼が銃撃を放ったのだろう。歪んだ動きをしていたお陰で、狙いが逸れて弾丸が道路に当たったんだ。

 それにより、今度は僕の身体はエナジー・ガンに狙いを定めたようだった。まずい!と僕は思う。銃撃を得意とする相手に真正面から真っすぐに突っ込むなんて“撃ってください”と言っているようなもんだ。しかし、無情にも僕の身体は進み始めてしまった。さっきのように進行方向を曲げてみるしかない。もっとも、彼なら一度見たあの程度の動きには対応できてしまうかもしれないが。

 エナジー・ガンに向かって突っ込んでいく僕の身体。彼はゆっくりと銃を僕に向けた。銃を撃つタイミングで方向を変えるんだ、それしかない。それを見て僕はそう思う。もっとも、タイミングは勘に頼るしかないが…

 猛然と進む僕の身体。エナジー・ガンがなんとなく微笑んだような気がした。

 ――ここだ!

 僕はそう思うとさっきと同じ様に必死に力を込める。すると、上手い具合に僕の身体は曲がってくれた。ただし、僕の動きに合わせてエナジー・ガンは銃口を微調整している。このままでは銃殺される。恐怖を覚えた僕は更に力を込めた。もっと進行方向を曲げなくては。

 しかし、次の瞬間にアクシデントがあった。

 車道に子供が飛び出して来たのだ。しかも僕のすぐ目の前に。このままではぶつかってしまう。そう思った僕は無意識の内に急ブレーキをかけていた。その所為で体勢が狂う。そして僕はレース中の車が激しくコースアウトしていくように、大きく跳ね上がって車道の外に飛び出してしまったのだった。

 視界が何回も高速度で回転し、気が付くと僕は脇道に転がっていた。全身が痛んだが、何とか動く。ただし、嬉しい誤算が一つ。敵であるヒーロー達が視界から消えてくれたお陰で、身体の自由が利くようになっていたのだ。

 ――よし、このまま逃げてしまおう!

 僕はそう思うと地面を蹴った。先にスピードが速いと学習した四足歩行で進む。しばらく進むと、背後からソニックレッドが追って来ているのが見えた。直線的な動きでは、彼の方が速いらしい。このままでは追いつかれてしまう。僕はそう考えると、大きくジャンプをした。そしてビルの壁に張り付くと、それから素早く裏に回り、別のビルに移ってまた裏に回った後で屋上を目指した。

 僕は何故か自分にならそんな動きが可能だという事を知っていた。ソニックレッドに素早く壁を登る技能はないはずだ。ビルの屋上に身を隠せそうな建屋を見つけると、僕はそこの隙間にうずくまった。

 ――ここでヒーロー達をやり過ごそう。

 祈るような思いで息をひそめる。しばらくが経ったが、ソニックレッドがやって来る気配はなかった。

 ――良かった。取り敢えず、助かったかもしれない。

 安堵の息を吐きだす。

 だが、そこから出ようと一歩外に出た時、僕は首元に衝撃を感じたのだった。

 

 ――。

 

 ……気が付くと、僕は寝転がっていて、直ぐ傍には黒い影があった。しかも、手に何かの破壊された電子機器を掴み、悠然と僕を見降ろしている。その手に持っている破壊された電子機器は、どうやら僕の首元からはぎ取ったものらしかった。

 「崎森……」

 気付くと僕はそう呟いていた。

 黒を基調とした衣装を身に纏ったヒーロー。ガーディアン。正体は崎森。僕の子供の頃の親友。幼馴染。

 彼はこう淡々と説明した。

 「この辺りのビルの屋上で張ってたんだよ。もし仮に、お前があのヒーロー達から逃げられるとしたら、この辺りに来ると思ってな。上に逃げるしかないだろう? あのソニックレッドが相手なら」

 それから彼はゆっくりとこう続ける。

 「しかし、流石だな、村上。まさか、オートパイロット機構に逆らってみせるとは思わなかったぞ」

 僕はそれを聞くと慎重に何かを確かめるようにこう言った。

 「何を言っているんだ? 崎森?」

 そこで気が付く。

 ――あれ? 人の声が出せるようになっている。

 僕が戸惑っているのを察したのか、崎森は淡々とこう言った。さっきの破壊された電子機器を見せながら。

 「こいつをはぎ取ったお陰で、喋れるようになったんだよ。あのキュルキュルって音は、まぁ、民間人を騙す為の演出みたいなもんだ。お前に秘密をばらされちゃ困るからってのもあるが」

 その言葉に僕は表情を歪める。

 「民間人を騙す?」

 「そうだよ。怪人は正体不明の“社会の敵”であってもらわなくちゃ困るからな。コミュニケーションを取れないように、不気味な鳴き声しか出せないようにしてあるんだ。因みに、攻撃を受けると自動的に反撃を開始するオートパイロット機構もこれで壊れたはずだ。もう身体が勝手に動き出すなんて事はないよ。もっとも、俺の知っているバージョンから変化していなければ、だが」

 僕は崎森の説明を信じられない気持ちで受け止めていた。

 「ちょっと待ってくれ。君の話が本当なら、怪人達にはそもそも戦う意思がなかった事になるぞ?」

 「そうだよ。なかったんだ」

 僕はそれに反論する。

 「いや、しかし、おかしい。怪人達は悪の組織の活動を実際に行っていて……、前の着ぶくれ怪人だって、公園のベンチに爆弾を設置しようとしていたはずだぞ。僕はそれを写真で撮ったんだ」

 「ああ、“あれ”か。あれも演出だよ。あの着ぶくれ怪人は、何かの着ぐるみに見えない事もなかったからな、怪人だって分かってもらうために、爆弾を設置しているところを民間人に発見させて騒がせたんだ。後はお前と同じ。攻撃されると自動的に反撃するオートパイロット機構でお前やヒーローと戦ったって訳だ。

 しかし驚いたよ。お前は子供を守るために、そのオートパイロット機構に逆らった。ほぼ条件反射的に動いたって事だ。頭の奥底まで、お前には誰かを守るって行動がインプットされているんだな」

 僕にはまだ崎森の言葉が信じられなかった。

 「バカな……。なんで、そんな事をしなくちゃいけないんだ?」

 すると崎森は肩を竦めた。

 「分かり切った事を訊くなよ。お前みたいな邪魔者を、“社会の敵”として抹殺する為に決まっているじゃないか。ヒーロー達は、その執行者だよ」

 「邪魔者を抹殺?」

 「そうだよ。政治家や官僚、権力者達にとって邪魔な存在を合法的に排除するには、相手を悪者にして排除するのが一番だ。今も昔も人間は同じ様な事をしてきた。治安維持法に、人権擁護法案。最近出て来た“テロ等準備罪”ってのも或いは似たようなもんなのかもしれないぞ」

 ――なんだって?

 「じゃあ、今まで殺されて来た怪人達は皆、何の罪もない人々だったっていうのか?」

 「“何の罪もない”かどうかは知らない。今の権力者達にとっての邪魔者が、全て罪なき人々かどうかは分からないからな」

 僕は震えながらこう叫んだ。

 「冗談じゃない! そんな事の為に、国はわざわざ怪人やヒーロー達を作り出したっていうのか?」

 崎森は首を横に振る。

 「それだけじゃないさ。お前が予想したように、軍事兵器の開発って意味もある。街を破壊してくれれば公共事業も増えるしな」

 それはもちろん分かっていた。だからこそ僕はこうして罠に嵌められたのだろうし。

 「やっぱり、怪人とヒーロー達を戦わせて、新兵器の性能を試していたのか……。つまり、悪の組織の正体は国だったんだな。まさか、ヒーロー達までその一員とは思わなかった」

 「ああ、その通りだよ。一応断っておくと、もちろん、怪人には勝ち目がないように設定されている。ヒーローだけは正しい存在と疑わなかったのは、いかにもお前らしい。

 因みに、どれくらいでヒーロー達が怪人を仕留めるのか、官僚や政治家達は賭けて楽しんでいるらしいぜ。今回お前が逃げ切れば大穴だな」

 僕はうつむきながら尋ねた。

 「僕があの記事を書いたのを国の連中に知らせたのは、お前か?」

 「正確には違うな。俺の通話は常に監視されているんだよ。だから、お前が俺に電話をかけて来た時点で既に知られていた。お前に少しでもヒーローを疑う気持ちがあったなら、俺に電話なんかかけなかっただろうに」

 僕はそれを聞くと堪らなくなった。

 「この国は、狂っている!」

 と、そう叫ぶ。

 それを聞くと崎森はニヒルな笑みを浮かべた。

 「そんなのはずっと前から分かり切っていた事だろう?村上よ。

 狂っているんだよ、この国は。国が今までどれだけの数の悪事をを行って来たのか、お前だって知っているはずだ」

 一呼吸の間の後で、悲しそうな瞳を見せると、崎森は続けた。

 「エイズウィルス入りの血液製剤を国がばら撒いて、国民を殺した薬害エイズ問題。国内であるエイズ患者が見つかった時、国内初として騒がれたが、実はそれ以前から国が血液製剤でエイズ患者を産み出していた。そのエイズ患者は国がそれを誤魔化す為に、意図的に取り上げたと言われている。卑怯で姑息だな。

 同じ様に国が病原菌をばら撒いた薬害肝炎問題では、罹患者のリストを国は隠していた。早期発見すれば死に至る事はない病気だから、これも殺人だろう。

 病気関連で言うなら、最近では、子宮頸がんワクチンの重い副作用で多くの少女達を苦しめているのに、国はそれを認めようとしない。倫理観が崩壊しているな。虚栄心に満ちた醜いプライドを晒している。

 まだまだあるぞ。

 利権確保の為に、国は何千億という予算をかけて、地震予測を行っているが、これが全くの出鱈目。この内容を信じて、脆弱な耐震設計が行われたお陰で東日本大震災や熊本地震の際にたくさんの建物が倒壊をしてしまった。その所為で、どれだけの命が犠牲になったか分からない。もちろん、この地震予測は福島原発事故が起きる原因の一つにもなった訳だが、未だに反省されず野放しだ。

 その原発の安全性についての対策も酷い。そのコストカットで被害を受けるのは国民だってのにな。以前から、原発は強い地震には耐え切れないという忠告を受けていたにも拘わらず、国はそれを無視し続けた。真っ当なリスク評価能力があるとは思えないが、これも福島原発事故を引き起こした原因の一つになった。

 これで反省をしたのならまだ分かる。しかし反省をしたようには思えない。事故後も通常の原発よりも遥かに危険なプルサーマル方式の高浜原発を稼働させようとし、緊急停止させなければいけない事態に陥った。もし爆発していたら、日本は致命傷を負っていただろう。原子力産業に日本全体を犠牲にする程の価値がないのは自明だが、それをまったく分かっていない。

 核廃棄物の処理も不安だ。本来なら、核廃棄物をテロ利用される危険性を考慮して、労働者には注意を払わなければいけないはずだが、どうやら安易に選んでいるらしい。核廃棄物を盗まれて、水源でばら撒かれでもしたら悲惨な事態に陥るが、恐らく、危機意識はないだろう。もちろん、原発自体のテロ対策も脆弱過ぎる。

 お前なら分かっているだろうが、まだまだこんなのは序の口だぞ? 狂っているとしか思えない国の所業は! 特定秘密保護法が施行されたが、一体どれだけの悪事を隠しているか分かったもんじゃない。国って機関こそが、この社会の最大の悪の組織なんだよ!」

 僕はその漏れて溢れ出したような崎森の告白を聞き終えると、こう言った。

 「……そう思っているのなら、お前はどうしてヒーローをやっているんだよ?」

 すると崎森は自嘲的に言った。

 「だから、俺みたいな奴じゃないと、ヒーローは務まらないんだよ。俺は何度も言ったよな? お前みたいな奴がヒーローになれる世の中の方が正しいって。

 どうだ? 失望したか、村上? これがお前が子供の頃から憧れていたヒーローの真実の姿だよ」

 正直に言うと、色々な事が起こり過ぎていて、自分がショックを受けているかどうかも僕には分からなくなっていた。

 僕は少し考えると、こう返した。

 「どうしてお前は、僕にそんな事を教えてくれたんだ?」

 崎森はその質問に少し固まる。

 「勧誘しに来たんだよ、村上。お前をな。こうなってしまった以上、お前が助かる道は一つしかない。ヒーローになれ。俺と同じ様な国の手先に。そうすればお前は助かる」

 僕はその返答を聞くと少しだけ微笑んだ。

 「なるほど。僕を助けに来たのか、崎森」

 崎森は肩を竦める。

 「そんないいもんじゃねーよ。お前を俺と同じ様に汚してやろうと思っただけさ。未だに子供の頃みたいなキラキラした目をしやがって。まったく、むかつく」

 その彼の言葉が照れ隠しである事は簡単に分かった。いや、もしかしたら、僕の願望かもしれないが。僕はそれにこう返す。

 「ありがたい申し出だが、断るよ」

 「正気か?」

 「正気だよ。実は編集長にあの記事を送ってあるんだ。だから、僕がこの姿で訪ねて、経緯を説明すればきっと分かってくれる」

 しかし、崎森はそう言った僕を「ハッ!」と笑って馬鹿にするのだった。

 「相変わらずお人好しだな、村上。無駄だよ。出版社も国と繋がっている。どうしてお前が俺に直ぐにインタビューできたのか考えなかったのか?」

 「なんだって? じゃあ、あの記事は……」

 「揉み消されているよ。ほぼ確実に。権力者にとってマスコミってのは邪魔者だ。だからさっさと支配下に置こうとするもんさ。さぁ、どうする? お前の希望は断たれたぞ。これでもまだヒーローになる気はないのか? 一応断っておくが、国に対抗しようとすればお前はテロリストの烙印を押される事になる」

 僕はそれを受けて固まった。確かに彼の言う通りだ。八方塞がりかもしれない。しかし、

 「ない」

 と、僕は気付くとそう答えていたのだった。何か考えがあった訳じゃない。ただ、僕にはその選択肢しかあり得なかっただけだ。そして崎森をじっと見つめる。

 そんな僕を崎森は睨み返して来た。もしかしたら、ヒーローにはならないと言った僕を、これから彼は退治するつもりでいるのかもしれない。そんな不安がよぎる。

 しかし、それから「ふぅ」と息を吐きだすと、彼はこう続けたのだった。

 「負けたよ、村上。お前は本物の馬鹿だ。俺の手には負えない」

 そして肩を竦める。

 「しかし良かったな、村上。運良く俺がオフ状態で。普段なら、俺はお前を殺さなくちゃならないところだった。国の人間達に、お前を見逃した事がバレるからな」

 僕はそれを聞くと軽くため息を漏らした。

 「わざわざオフ状態にして、僕に会ったのだろう?」

 「さぁな」

 それから崎森は、こう続けた。

 「仕方ないから教えてやる。可能性はかなり低いが、お前が助かるかもしれない方法が実はあと一つだけある。

 良いか? よく、聞け。

 悪の組織とヒーロー達がグルで、国と繋がっている事に気付いている連中がいる。お前が無事に逃げ切れたと知ったなら、絶対に接触をしたがるだろう。なんとかそいつらを見つけ出して協力を求めるんだ。お前のその体には、メンテナンスが必要だからあまり時間はない。さっさと行動に出ろ」

 僕はそれを聞くと、「分かった。ありがとう」とそう言った。

 逃げ道を見つける為、ビルの裏手を少し覗いてみると、誰の姿も見えなかった。辺りはもう暗くなっているから、そこからこっそりと降りれば、誰にも見つからずに道路まで行けそうだ。

 道路に降りたら、マンホールを探し、地下を通って逃げ、崎森が言った連中を探そう。

 僕はそう考えると、崎森にお別れの挨拶をしようと思って振り返った。が、その時既に彼の姿はそこになかった。

 非常に彼らしい。

 「さて、行くか」

 そう独り言を言うと、僕はビルの壁を降り始めた。素早く慎重に行かなければならない。壁を降りながら思う。

 ――大体、正義が悪い。

 世の中、案外、そんなものなのかもしれない。だから、いかにもな綺麗事を聞くと不安になるんだ。

作中で、テロ”等”準備罪にも触れましたが、人間社会の歴史を多少なりとも知っている人なら、誰でもこの手の法律には不安を覚えますよね。

本当に大丈夫なのでしょうか?

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