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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ドールハウス

作者: 花凜

熱したフライパンにバターの固まりを落とすと、じゅわ、と小気味いい音が上がった。そこにたっぷりの卵と牛乳、砂糖を染み込ませたパンを滑りこませると甘く香ばしい香りが広がった。トイは鼻をひくつかせながら兄の手元を覗き込んだ。

「おい、近寄るんじゃない。バターがはねるぞ」

「だってあんまり美味しそうなんだもの。見るくらいいいじゃない」

「フレンチトーストが焼きあがるまでに紅茶を入れておいてくれないか」

サレに言われ、トイは踏み台から降りると薬缶に水を入れた。電熱式のキッチンのコンロは三つある。フライパンの右隣に薬缶を置いてスイッチを入れた。熱伝導の良い薬缶はすぐに湯気を立ち始める。

「今日はどのお茶にする?」

「そうだな。今日はアールグレイにしよう。お前の好きなオレンジの風味が付いたやつ」

トイは慣れた手つきで缶を開けると、ティポットにスプーンで茶葉を入れる。これはぼくのぶん。これはサレのぶん。これはティポットのぶん。サレに教わった淹れかただ。すこし冷ました薬缶の湯を注いでミトンを被せた。砂時計をひっくり返せばあとは待つだけ。

「ほおら、焼けたぞ」

丸いお皿に黄金色のフレンチトーストが盛り付けられている。ホイップクリームが添えられ、フレンチトーストの熱で溶け始めていた。

「いただきま~す」

トイは手を合わせるとフォークを掴んでフレンチトーストを頬張った。中まで卵液が染み込んだフレンチトーストはとろけるようで、まるで飲み物のようだといつも思う。サレはフレンチトーストには手を付けず、飲み頃になった紅茶をカップに注いだ。自分の分には角砂糖を二個。トイの分には一個入れた。紅茶を一口飲んでからフォークを持つ。

「うまいか?」

「うん、おいしい」

サレが切れ長の目を細めて自分のフレンチトーストを口に運ぶ。ホイップクリームはもうほとんど溶けかけていた。


腹ごしらえを済ました二人は外に出た。満月が真上にある。納屋から二人乗り用の自転車を運び出してサレが前に乗った。トイもよじ登るようにしてサドルに跨る。サレは足はかろうじて足が地面に付いているが、トイの足はペダルに乗せるのがせいいっぱいだ。

「行くぞ」

サレがペダルを踏み込んだ。自転車はゆっくりと動き始める。

二人を乗せた自転車は舗装されていない砂利道を進む。月明かりに照らされているが、周りに外灯はない。自転車のライトと、ハンドルにかけたカンテラの灯りだけが頼りだ。しばらく進むと森に着いた。二人は自転車を木に寄りかからせて森の中に分け入っていく。

「サレ、サレ」

トイがサレの上着の袖口を引っ張った。

「なんだ」

前を行くサレがカンテラを掲げて弟の顔を見る。トイは琥珀色の目をふせると恥ずかしそうに言った。

「……おしっこ」

「だから紅茶を飲みすぎるなと言ったんだ。ほら、そこの木の陰でしてこいよ」

「真っ暗で何も見えないよう。サレ、付いてきて」

「おれは連れションする趣味はないぞ」

ぶつぶつ言いながらも、この兄が付いて来てくれることは分かっていた。トイは半ズボンのチャックを下ろして用を足す。先端から出てくる液体が湯気を上げた。

「わあ。ぼく薬缶みたい」

「莫迦なこと言ってないで早くしろよ」

「はあい」

小用を済ましたトイの手を引いてサレは森の小道に戻る。ふくろうの鳴く、ほうほうという声がどこからか聞こえてきた。しばらく歩くと、二人の目指す場所に着いた。

「着いたぞ」

「わあ。たくさんなってるね」

トイがかがみこんで赤い実を摘もうとする。それをサレが押し留めた。

「ディアボロベリーを直接触るんじゃない。お前はカブレなくても、その汁がついた指で触られるのはごめんだ」

「あっ、ごめんなさい」

「ほら。この皮手袋をはめろ」

トイは小さな手には大きすぎる皮手袋をはめて赤く熟した果実を摘んだ。そうっとポシェットに入れる。十数分で二人のポシェットは一杯になった。

「これくらいあればとうぶんジャムには困らないな。さあ、帰ろう。そろそろ月が傾いてくる」

トイは頷き、皮手袋を外してサレに渡した。サレも手袋を外すと弟の手を握る。

「……つめたいな。帰ったら熱い風呂に入ろう」

「うん」

二人は森から出ると、再び自転車を漕いで来た道を戻る。サレは嫌うが、トイはこのガタガタと揺れる道が好きだった。


猫足のバスタブはトイのお気に入りだ。シャボンを山盛りに泡立てたところに裸になった二人は飛び込んだ。サレの黒髪は濡れるとカラスの羽のように光った。サレがトイのまあるいひざ小僧やひじ、耳のうしろまで指を滑らせて丹念に洗う。わきの下を洗おうとするとくすぐったがって身をよじった。

「がまんしろ」

「だってくすぐったいんだもん」

「ちゃんと洗わないと。め、つむって」

「はあい」

トイが両手で目を覆うと頭上からお湯が降ってきた。サレがバスタブに浮いたシャボンを頭にのせ、トイの白に近い金髪をやさしく洗う。トイはサレに頭を洗ってもらうのが大好きだった。シャボンのいいかおりに包まれて心地いい。いつも眠ってしまいそうになる。

「流すぞ」

ざばん。うとうとしていたトイは慌てて目をかたくつむった。口を閉じるのを忘れて、少しお湯が入ってしまう。

「うえっ」

「おまえ、また口をつむらなかったのか」

「だって、サレに頭を洗ってもらうときもちよくてねむたくなるんだ……」

「まだ寝るなよ。体を拭いて髪を乾かしてからだ」

サレも手際よく自分の頭を洗いバスタブから出た。ふわふわのタオルでトイをくるむ。スモック型のパジャマを頭から被らせてストウブの傍に座らせると、象牙の櫛でトイの髪をすいてやる。

「ねえ、サレ」

「なんだ」

「サレも小さい頃はおかあさんに頭を洗ってもらっていたの?」

「……ああ。そうだよ」

「おかあさんに会いたい?」

「ぼくはトイがいればじゅうぶんだ」

サレがトイの体をうしろから抱きしめた。風呂上りにたがいの体に塗りこんだカミツレのボディクリームの香りがトイをつつむ。そのままトイは眠りに落ちていった。



カーテンの隙間から日が差し込み、サレが起きだす気配がした。トイはまどろみながらサレの細い手首を握る。

「もういっちゃうの?」

「ああ。おまえはまだ寝ていろ」

衣擦れの音を立ててサレがベッドを抜け出す。しばらくするとキッチンから甘い香りが漂ってきた。サレの朝食兼トイの昼食を作っているようだ。サレ(塩)という名前なのに彼は大の甘党だ。というか甘いものしか食べない。トイも砂糖をふんだんに使ったお菓子が大好きなのでぜんぜんかまわなかった。

太陽がてっぺんに昇る頃、トイはようやくベッドから出た。シーツをはがしてランドリィボックスに入れる。新しいシーツを被せればベッドメイキングは完了だ。ダイニングテーブルにはワッフルが置いてあった。サレと一緒のときは紅茶だが、自分ひとりの時はココアを飲む。キャビネットから片手鍋を取り出すとココアパウダーをスプーンに二杯。そこにお湯を入れてぐるぐるとかき混ぜる。コンロの上で香りが出るまで練ったら牛乳を入れた。沸騰する寸前まで温めてカップに移して蜂蜜をたらす。ふうふうと息を吹きかけながらココアを飲む。木の椅子に腰掛けて足をぶらぶらさせながら頬杖をついた。こんな様子をサレに見られたら怒られる。サレは行儀作法にめっぽう厳しいのだ。

ワッフルとココアの昼食を済ましたトイは歯を磨いて顔を洗った。おかっぱに切りそろえられたサラサラの髪は寝癖がほとんどつかない。シルクのシャツブラウスに着替えて半ズボンを履きリボンタイを結ぶ。襟の高いシャツブラウスには繊細な刺繍が施してあり、端正な顔立ちのトイが着るとまるでアンティークドールのようだった。

長いまつ毛に縁取られた目は透き通っていてガラス玉みたいにキラキラと光を反射する。

コンコンとガラスを叩く音がして、トイは窓辺に小鳥が来ていることに気がついた。サレからはあまり窓際に行ってはいけないと言われている。色素をほとんど持たない彼は重度の日光アレルギーで、太陽の光を浴びると火傷してしまうのだ。昼間でも分厚い遮光カーテンに覆われた家の中でなら自由に動き回ることが出来る。

トイにとって兄のサレは唯一の家族だった。人形師の父と母が火事で亡くなってから兄弟二人きりで暮らしている。トイは火事で大量の煙を吸って生死の境をさまよった。その時のショックで記憶が曖昧なところがある。今でも火が怖くて、近寄れない。トイのためにこの家の熱源はすべて電気だった。

サレは昼間、学校に通っている。優秀な彼はトイの自慢だ。太陽の下で活動できない弟のために夜の散歩に付き合ってやったり、トイの食事や身の回りのことをすべてしてくれる。サレが居ればトイは寂しさも不自由も感じなかった。同じ年頃の子どもと遊んでみたいと思わなくもないが、そんなことを漏らせばサレの機嫌が悪くなるのは分かっていた。お互いの存在と甘いお菓子。それだけあればトイの世界は満ち足りている。


サレのいない日中、トイはジグソーパズルをして時間を潰した。子ども部屋の床一杯に広げられた作りかけのパズルは父親の遺したものだ。ピースをなくすとサレに怒られるので、トイはパズルをするときだけは慎重になった。今作っているのはユニコーンと子どもが空を飛び回っている絵柄だった。このパズルを作り始めたのはいつからだったろうか。この家には時計もカレンダーもない。時間に縛られる必要のないトイにはどちらも無用の長物だった。サレは懐中時計を持っていたが、彼は目覚ましがなくてもちゃんと朝になれば目を覚まして学校に行く。


遮光カーテンが一日の役目を終える頃、サレが帰ってきた。腕には紙製の買い物袋を抱えている。食料品や日用品の詰まった袋は彼の体を半分くらい隠してしまっていた。

「おかえりなさい」

「ただいま」

トイはサレが脱いだコートを受け取るとハンガーにかけた。部屋の中はシャツ一枚で過ごせるくらいに温かいが、サレの持ち物には外の冷気がまとわりついている。サレの頬を触るとひんやりしていた。

「今日はどんな日だった?」

「なにもかわらないよ。起きてワッフルを食べてパズルをしてた。サレは?」

「ぼくもいつもと同じ。学校に行って勉強をして昼はピーナッツバターサンドを食べた。変わらないことはいいことだ」

「ええ、ピーナッツバターサンド食べたの?いいなあ」

「おまえにも作ってやるよ。ピーナッツバターとジャム両方入れたやつ。そっちのほうが上等だ」

「わあ。それ、ぼくの大好きなやつだ」

「手を洗ってくる。おまえは材料を出しておいてくれないか」

トイはキッチンに買い物袋を持っていくと中身をつぎつぎと出していく。小麦粉、バター、牛乳、砂糖、蜂蜜、チョコレート、バニラビーンズ、ドライフルーツ、ナッツペースト……。どれもこれも二人の好物だ。サレの作るお菓子は素朴なものが多かったけれど、とても美味しかった。昨晩とって来たディアボロベリーもすぐにジャムにしてくれた。この果実は触るだけでカブレてしまうため生食は出来ないが、ジャムにするとめっぽううまい。あまりの美味しさに虜になるところからディアボロ(悪魔)のベリーという名前が付いていた。トイだけはこの実を触ってもカブレることがなかった。

気がつくとトイの背後にサレが立っていた。

「あ、サレ。ディアボロベリーのジャム食べようよ。ピーナッツバターに合うと思う」

「……おまえ、父さんの部屋に入ったのか」

サレの冷たい声がトイを怯えさせる。

「えっと、あのう。パズルをね、してたんだ。そうしたらピースが足りないことに気がついてそれで……」

「勝手にあの部屋に入るなと言ってるだろう」

「兄さん、待ってよ。ぼくなんにも触ったりしてないよ」

「ピースを探しに入ったんだろう?見つかったのか」

サレの黒曜石のような瞳がトイをじっと見据える。ふるふると首を横に振るトイの手を握ると跪いて顔を覗き込んだ。

「おまえは兄さんとの約束を破った。そうだな?」

こくんとトイが頷くと、サレはそっとトイの頬を撫でた。形のいい唇を親指でなぞる。

「……お仕置きが必要だな」

サレはトイを長椅子に腰掛けさせるとハイソックスを脱がしていく。むき出しになったくるぶしに唇を押し当てた。足の甲に唇を這わせ、指をねぶる。堪えきれなくなったようにトイが声を漏らした。

「……ぅんっ」

「誰が声を出していいと言った。おれがいいというまで出すな」

トイは自分の口を袖で覆った。じわじわと溢れる唾液がシルクに染みを作る。サレの唇が徐々にトイの中心に向かって進んでいった。サレがツイードの半ズボンを脱がせると、トイはシャツだけの姿になった。サレは自分の黒いネクタイを解いてトイに目隠しをする。視界を遮られたトイの触覚はさらに刺激に敏感になる。はだけたシャツの隙間から裸の胸をすうっと撫でられただけで全身のうぶ毛が逆立つような気がした。

サレの細い指がトイの股間に伸びる。トイは体をびくりと震わせた。

「……っっ」

トイを背中から抱え込むようにしてサレがトイの耳に息を吹きかける。ぞくぞくと悪寒にも似た快感が体中を駆け抜けた。

「がまんできるか?」

こういうときのサレは本当にいぢわるだ、とトイは思う。太ももを合わせて内股にしようとすると、サレの足がねじ込まれる。

「力ぬいて。……声、出してもいいから」

サレの手の動きが早くなる。赦しを得たトイは喉を震わせて快感の波に身をまかせた。


ベッドの中で毛布にくるまれたトイに皿が差し出される。いつもならテーブルに座って食べないと怒るのに、こういうときだけサレは自分を甘やかすのだ。齧りつくと濃厚なピーナッツバターと甘酸っぱいジャムの味が口いっぱいに広がった。トイの口の端に付いたジャムをサレが舐め取った。

「……うまいな」

シーツにトイの金色の髪が広がる。兄と自分とお菓子。この世界は甘くておいしいものだけで出来ている。




両親の居ない兄弟の生活を支えているのは人形師の父親が遺した人形(ドール)だった。父親の作った人形は一部のコレクターからは絶大な人気を誇り、とんでもない値段が付いた。

二人が住んでいる母屋と長い渡り廊下で繋がった部屋が父の仕事場で、そこに人形が保管してある。たまに買いたいという人間が訪れることがあり、そんなときは兄のサレだけが応対した。

「どうしてぼくはお客様に会ったらいけないの?」

「おまえはまだ小さいから客人の前に出すことはできない。おれにまかしておけば大丈夫だから」

こういうときのサレの表情は頑なで、トイはそれ以上何も言うことができない。たしかに兄はしっかりしているし、別段トイが客の前に出て行く必要などないのだから。


ディーゼルエンジンの特徴的な音が聞こえてくる。車は悪路を進み、屋敷の敷地内に入って停まった。

「お客様?」

「ああ。俺が応対する。おまえはここにいろ」

サレは黒いビロードのジャケットを羽織ると渡り廊下に通じるドアに向かった。一人部屋に残されたトイは退屈でしかたがない。パズルは昨日完成させたばかりだ。サレに教えてもらって簡単な文字は読めるものの、特に読みたい本もなかった。

サレの消えたドアにそうっと開ける。足音を立てないようにゆっくりと進んだ。父の仕事部屋の鍵はサレが持っていて、普段は固く施錠されている。今日は鍵が開いていた。トイは仕事部屋に辿り着くと細くドアを開けて中をうかがった。

サレと客人と思われる声がぼそぼそと聞こえてくる。トイは意を決して中に入った。部屋の中は薄暗く、無数の少年が椅子に座っていた。トイは思わず声を上げそうになる。手で口を塞いで叫びたくなるのを必死で堪えた。

自分と同じくらいの年頃の少年たち。それは全て精巧に作られた人形だった。今にも動き出しそうな彼らは、トイに話しかけたそうに見えた。


その時、サレと客人がこちらに歩いてくる気配がした。トイは咄嗟に空いている椅子に座り人形のフリをする。

「ほう。これはこれは。どれも素晴らしい出来ですね。実に美しい」

「ありがとうございます。すべて手作りの一点ものです」

サレの声はいつもより低く、落ち着いて聞こえた。トイに話しかけるときとは別人のようだ。客の男はカンテラで人形の顔を照らしていく。トイの前で足を止め、灯りを向けた。

「この人形は特別美しいですね。おいくらですか?」

「……あいにくこちらは売り物でないんですよ」

「ほう。それは残念だ。あなたの作品ならさぞかし高値で売れたでしょうに」

「それはどうも」

あなたの作品?トイは耳を疑った。だが、人形のフリをしている以上動くことはできない。

男はトイを買うことを諦め、他の人形を買うことにしたようだ。サレが男を促して隣の部屋に移る。トイは二人が出て行った途端ふうっとため息を吐いた。サレに後でこっぴどく叱られてしまうだろう。トイは落ち込んだ気持ちで再び渡り廊下を通って母屋に戻った。





気がついたら眠ってしまったらしい。髪を撫でる気配で目が覚めた。

「あ、サレ……」

「おまえ、人形のフリするのうまかったな」

ジャケットを脱いだサレがネクタイを緩める。その仕草にトイは体の芯が疼くのを感じた。唾液を飲み込むトイを見て、サレは唇の端をゆがめた。 

「ごめんなさい。仕事部屋には行ったらいけないって言われてたのに」

「驚いたか?」

「うん。男の子の人形がたくさんあってびっくりした。それもみんな生きてるみたいで……。あの中にいたら、ぼくも人形になったような気持ちになったよ。お客様はなにか勘違いしてるの?あの子たちはお父さまが生きているときに作った作品で、サレはそれを管理しているだけだよね?」

「いいや。あそこにあったのは全ておれが作ったものだ」

「えぇっ?どういうこと?あんなの大人じゃなきゃ作れっこないよ。いくらサレの頭が良くて器用でもそんなこと……」

サレは父親の書斎に向かうと、一冊のアルバムを持って戻ってきた。それはすごく古いもののようだった。埃を被り、表紙は朽ちかけている。ページをめくると、セピア色に変色した写真が目に飛び込んでくる。

「これって父さんと母さん?」

髭をたくわえた男性と、上品そうな女性が並んで微笑んでいた。

「そうだ」

サレがページをめくる。すると、今度は利発そうな男の子と、美しい顔立ちの男の子が写っている写真があった。

「こっちがサレ?隣に写っているのは……」

写真はとても古いもののようなのに、サレの見た目はその写真とほとんど変わらないように見えた。そして、その隣に写っている少年はトイにそっくりだった。

「こいつはシュクレ。おれの弟だ」

「弟?ぼくの他にも弟がいたの?」

「トイ、お茶を淹れよう」

サレは立ち上がると台所で紅茶を淹れる支度を始めた。

「お茶なんかあとでいいよ。早く説明してよ」

「まあ焦るな。ゆっくり話してやるから」

サレはとっておきの茶葉の入った缶を開けた。適切な手順と温度で抽出された紅茶をカップに注ぐと、芳醇な香りが部屋に広がった。

「ほら、飲めよ」

トイは言われるがままに紅茶に口を付けた。

「おいしい」

「そうだろう。いつもお前に淹れてもらってるからな。人に淹れてもらう茶っていうのはうまいんだ」

「それで、どういうことなの」

「どこから話したらいいのか……」

サレは紅茶には口を付けず、遠くを見るような目つきをした。まるでそれは記憶を辿る老人のようだった。









サレとシュクレは仲の良い兄弟だった。二人は子犬のようにいつもじゃれあって遊んでいた。サレの父は腕の良い人形師で、マリオネットを専門に作っていた。

ある日、二人が森で遊んでいると小屋を見つけた。好奇心旺盛なサレは入ってみようとシュクレを誘った。シュクレは怖がったが、サレに手を引かれてしぶしぶ付いてきた。

「この小屋、なんだか良い匂いがする」

甘いものが大好きなシュクレがくんくんと匂いを嗅ぐ。

「おまえは本当にお菓子が好きだな」

「しかたないじゃないか。シュクレ(砂糖)って名前なんだから」

お腹のすいていたシュクレはがまんが出来なくなって窓枠に齧りついた。

「わあ。これ、チョコレートだよ!すっごく美味しいよ。サレも食べてみなよ」

「おれは甘いものは苦手なんだ。遠慮しとくよ」

「美味しいのになあ。ぼくがサレの分まで食べてあげる」

シュクレはお菓子の家を夢中で食べた。怖がりのはずなのに、何かに取りつかれたようだった。

「おい、シュクレ。もうその辺にしとけよ。お前ちょっと変だぞ」

サレの言葉はもうシュクレには届いていないようだった。サレのほうも見ずにお菓子の家を食べ続けている。その時、家の中から声が聞こえた。

「私の家を食べているのは誰だい?」

お腹の底に響くような恐ろしい声だった。サレは驚いて飛び上がると一目散に駆け出した。気がつくと一人で森を出ていた。シュクレのことを連れ戻そうとしたが、それっきりその小屋は見つからなかった。


「たぶんあれは魔女の家だったんだと思う。あとから、子どもを好んで食べる魔女がいるって聞いた。ぼくはそれ以来成長が止まって歳を取らないんだ。普通の食べ物が受け付けられなくなり、甘いお菓子しか食べられなくなった。弟を見捨てて逃げた呪いだろうね」

淡々と語るサレの瞳は海の底のように静かだった。

「シュクレはその魔女に食べられてしまったの?」

「どうだろう。あれから一度もあいつには会えていないんだ。ぼくは父親から人形作りの技術を教わった。父も母も、まわりの人間が次々と死んでいって、一人になった。人形を作り続けていたら、ある日一人の魔法使いがぼくを訪ねてきた。そいつは自分の死んだ息子そっくりの人形を作って欲しいと頼んできた。ぼくはその依頼を了承して、生前の姿そっくりに作り上げたんだ。魔法使いは大喜びして、涙を流してぼくに礼を言った。数日後、その魔法使いが一人の少年を連れてぼくのところに来た。その少年は、ぼくが作った人形だった」

「え……」

「魔法使いは子どもが死んだことを受け入れられなくて、人形に命を吹き込んだんだ。禁じられた魔術を使ってね。そして、ぼくに囁いた。あなたにも会いたい人がいるんじゃありませんか、と」

サレはほとんど冷めかけた紅茶を一口飲んで唇を湿らせた。そして続けた。

「ぼくはすぐに人形作りにとりかかった。シュクレのことなら体のすみずみまで覚えていた。この指で何度あの肌に触れたことか……ぼくたちは愛し合っていたんだ。心の底から」

「シュクレそっくりの人形を作り上げたぼくは魔法使いを呼んだ。彼はなにも聞かずにぼくの願いを叶えてくれた。そして君が生まれたんだ……トイ」

「うそだ。ぼくは人形じゃない。人間だ。お菓子も食べるし夜は眠るよ。人形ならそんなことできっこない」

トイはふるふると体を震わせた。

「ああ。ほとんど人間とかわらないよ。でも、ディアボロベリーの実を触ってもカブレないだろう?」

トイはハッとして顔を上げた。

「ぼくの記憶は?火事になって死にかけて……それで火が怖いんだ」

「それはぼくが与えた記憶だ。火が怖いのは人形だったときの名残だよ」

「うそだ、うそだ……そんなこと信じない!」

トイは大きな瞳からぽろぽろと涙を零した。それをサレが優しく指で拭う。

「ごめんな。おまえはおれのトイ(玩具)なんだ」

トイはサレの腕をほどくと家を飛び出した。泣きながら走り続ける。まだ太陽は出ていたが、トイの肌は何の変化もなかった。日光アレルギーというのも嘘だったのだ。体の水分がなくなったんじゃないかと思うほど泣いて、トイは家に帰ることにした。どのみちあの家にしか自分の居場所はない。


家に帰ると、そこにサレの姿はなかった。テーブルの上にはサレの几帳面な字でしたためられた手紙が置いてある。

『トイへ ちょくせつおわかれがいえなくてざんねんだ。しんじつをつげると、おれのいのちはあるべきすがたにもどる。それがまほうつかいとのけいやくだった。おれはながすぎるほどのねんげつをすごした。すこしほっとしている。おまえとすごしたひびはとてもたのしかった。ありがとう。あいしている。 サレ』


トイは何度も何度も繰り返しその手紙を読んだ。二枚目の便箋には、困ったときはどうしたらいいのかが書いてあった。椅子の上にはサレが着ていた服だけが残っていた。








少年はゆっくりと目を開けた。金髪の美しい少年が優しく微笑んでいた。

「おはよう」

「おは、よう。きみはだれ?」

「ぼくはシュクレだよ」

「おれの名前……なんだったけ」

「サレ、だよ。わすれちゃったの?」

シュクレがサレをぎゅっと抱きしめた。サレの瞳からは、自然と涙が零れていた。

「あれ、なんで泣いてるんだろう」

「それはね、うれしいからだよ。これからはずうっと一緒だよ、サレ」

二人の少年は厳かなキスをした。冷たい唇に熱がこもるまで、そうしていた。




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