58.ルツ
「ジグ、あなたを傷つけてごめんなさい。さあもうそこからでできても大丈夫よ」
なるほど、あれ程いた原人たちはただの一人もジグの目には映らなかった。それだけではなく、酷く傷ついたはずの右目の痛みもすっかり消えさっていた。
前足に力を込め、ジグは原人の掘った落とし穴から這い出ると、ぶるるっと身体を震わせた。
「助けてくれたのか、なぜ俺の名を知っている。毛の無いサル、お前の名前は?」
「ルツチ、サラム」
「ルツか、何故俺を助けた」
「あなたが、私と同じように最後のマンモスになってしまったから。残された者同士だから……」
「残された者、おまえもそうなのか……」
ジグは長い鼻でルツをそっと巻くと、背に乗せ歩き始めた、彼女はしばらくしてこうひとりごちした。
「勿論、わたしには役目があるけれど」
ルツはジグが思ったとおり、原人達よりも遥かに高度な知能を持つ「サル」だった。後に言う、新人「クロマニヨン」だ。
あの日以来、ジグは危険な目には合わなかった。ルツが指し示す方向には原人どもが現れる事がなかった。しかし、ジグはそれよりも不思議な事に気づいた。
「あれからどれくらい経ったのだろう……」
ジグはとうに寿命が尽きても不思議のないマンモスになっていた。それなのに体にはまだ力がみなぎっていた。やがて原人たちは唯一人も見ることもなくなり、気候さえ変わってきた。しかし二人の体には、全く変化はなかったのだ。何度も巡り来る、雪の降らない日も再び少なくなりはじめて行く。
「ルツ、キミは何故いつまでも変わらないんだ」
何度か迎える厳しい冬、ジグはようやく見つけた草を長い鼻で搦め捕り、口に運ぶ。それを奥歯ですり潰しながら尋ねた。出会った頃と変わらず美しいルツにジグは思い切って尋ねた。
「わたしには、まだお迎えがこない……」
ジグにはそれだけで伝わった、ルツは残されたのだ。それは誰かが何かをルツにさせるためにちがいないだろう。ジグがそれを聞いたのは草原がめっきりと少なくなってきた頃だ。ジグはある集落に立ち寄った時、寒さに備えて毛なしのサルが器用に布を織り、その体を覆っているのを見た。
「なるほどうまいことを考えるものだな、いったい誰が教えたのだかしらないが。それに新人たちはみるみるうちに新しい言葉を覚えていく。……」
生きるための術を新人たちは、口づてに伝えていき、次第に無駄な事をしなくなった。
不思議そうにそれを見つめるマンモスの背中でルツは寂しそうだった。
「彼等がいつか私を仲間の元に運んでくれる、その日まで私は仲間を探し続けるの、それが私の役目」
「仲間?」
「パラサイト・シードという生き物のこと。それが私たちの仲間の名前」
「パラサイト・シード」
「そう、永遠の命を持つ、死ねない生き物、それが私たち」
ルツはそう言うとジグの背中から地面に飛び降りた。
「ごめんね、ジグ。あなたまで巻き込んでしまって……」
「俺を巻き込んだ……」
ルツはジグに涙をはじめて見せた。
「そう、あなたも私と同じ、死ねない体にしてしまった」
時間など何も意味を持たない、何も食べなくても死にはしない。しかし、ジグは草を噛む事は止めなかった。味もないのにだ、その「そしゃく」する行為こそ、彼がマンモスだった証なのだ。
「俺は死ねない化け物なのだな、ルツ……」
ジグはいい様も無いむなしさのまま、背中の不思議な少女に問うた。しかし、その日ルツはもう一言も話さなかった。




