2.相続
帰りの黒塗りのセダンの中、妻の和子が健吾に言った。
「もっと、粘るかと思ったのに、あっさりしたものね」
「ふん、一億あればいいさ。あんな呪われた屋敷、誰も買い手なんかつかないだろうし、何よりあの亜矢は普通じゃない。美樹さんも血のつながりが無けりゃとっくに逃げ出してるだろうよ。まあ、光子はどうするか知らないが、俺は兄貴の様になりたくないからな」
「お義兄さんて、『NAC』の科学者だったのでしょう?確か事故で亡くなったって言ってたわよねえ」
「ああ、でもこの話は止めよう、俺も光子も生涯忘れる事にしたんだ…」
高速に駆け上がるころには、健吾はすでに相続する一億の元手で、できるうまい商売を数案思い付いていた。一方妹の光子は、まだ亜矢を諦めていなかった。
「冗談じゃあ無いわ、亜矢にそんな大金、いくら兄さんの子供だからって…。それに美樹さんが後見人だなんて、あの女の妹に何の権利があるって言うのよ。この私が後見人になるのが当たり前でしょう」
光子は派手な赤いアウディの自動車電話を外した。
「ああ、吉井。例の男に屋敷、いえ別荘に来らせてちょうだい。やっぱりあなたが行った通り、亜矢が橘の遺産をほとんど継ぐことになったわ。おまけに後見人は美樹よ、言わなくても解るわね。夕方5時に別荘に来るように、伝えて。そうそう、あなたは来なくていいわ用件が用件だから」
ハンドルを握る友明の指がかすかに震える。
「光子、お前まさか」
「心配しないで、あなた。私はいつも見張られている、生涯亜矢にね。滅多な事はしやしないわ。でもあの男は亜矢の事を知らない、あの娘が特別だってこともね。少し試してみたくなったのよ、今でも『あれ』が亜矢を守っているかをね」
友明はそれを聞くと実験台になる事も知らずに、別荘にやってくる「殺し屋」に少し同情した。赤いアウディはその一時間後市街の別荘に滑り込んだ。案の定、光子から大金を受け取ったその男は、3日後の深夜、路上で熊にでも引きちぎられたかのような死体で発見された。
「お金だけにしてもらったらよかったのにね、あんなものまで相続するなんて。亜矢ちゃん」
その新聞記事を見た光子は二度と亜矢の事は口にしなくなった。
そして、また満月が近づいた。また嫌な予感がする『スーパー・ムーン』の夜はいやに青い。