パラサイト 1.遺言
読経が流れる中、彼女はいつしか眠っていた。80歳は大往生であろう、祖父の通夜は小学生の亜矢にはまだよくわからない出来事だった。祖父の傍らで眠る、彼女の夢にはやさしかった祖父が出て来た。
「亜矢、お前はひとりぼっちではない。いつも見ているからな」
「おじいちゃん…」
その頃、親族は持参金付きの亜矢を巡って争奪戦が繰り広げられていた。そう、橘亜矢は数十億の資産家の孫娘だった。両親は既に交通事故で死んだと聞かされていた。彼女は祖父に引き取られた小学5年生だった。
「兄さんのところは、無理でしょう。力君、受験生でしょう」
「光子のところもさやかちゃんがいるだろう。それに転校しないといけないぞ、亜矢ちゃんが転校先でいじめに会ったらどうするんだ!」
「あら、さやかは同い年だし女の子同士、話も合うと思うわ」
「俺は反対だな、何より妹のところへ姪を預けるなんて、世間体を考えろよ」
「とかいって、兄さんの魂胆は見え見えよ」
「お前こそ、友明君の会社うまくいってないんだろ。金が欲しいって顔に書いてあるぞ」
「何ですって、兄さんこそせっかく譲ってもらった父さんの会社を潰したくせに、家の抵当抜けないんでしょ。ちゃんと知ってるんですからね」
それぞれの妻も夫もそっちのけで兄弟は「持参金付きの姪」を引き取ろうとして争っていた。居間のドアが開き、執事の山崎が書類の入った薄い鞄を開いた。真っ先に口を開いたのは、次女の光子だった。
「で、山崎、今後のお父様の財産はどうなるって?」
光子がくわえた葉巻に矢賀友明がすぐ火をつけた。友明は投資に失敗し、光子の父に援助してもらい、それ以来光子には頭が上がらない。
「遺言によると、会長『橘善三』様の遺産相続については法定通りになります」
「という事は、俺と光子と亜矢で三分の一ずつという事か?まあそうだろうな」
次男の健吾は頭の中で既に金の計算をしていた。
「まあ、亜矢のも合わせて6億は下らないだろう、会社を興すには十分だ」
「亜矢様の様子を見てきましょう」
そう言って立ち上がったのは、亜矢の母の妹で姉が死んでからずっと屋敷で亜矢の面倒を見ていた『稲荷美樹』だった。彼女が部屋から出るのを確認して、光子が意地悪く言った。
「残念だけど、美樹さんは部外者。遺言には亜矢の事は書いてあったの、山崎?」
「はい、これは皆さんが全員揃ってから読めとの事ですので」
「まあその方が、いいかな。おっ来た来た、あれ亜矢は寝たのか?」
相当大きい亜矢を背負って、美樹が部屋に戻って来た。ソファーに寝かせたのを見て山崎は封筒から一枚の便せんを取り出した。
「では、善三様の遺言です」
部屋には亜矢の寝息が響いていた。
「山崎、何ですって、遺産はたったそれだけ?」
光子が叫んだのは無理もない、遺産として善三名義のものは3億円と随分すくない。一人1億円ずつ、それを十分と感じない金銭感覚が異常なのだが二人には不満だった。
「待てよ、光子。この屋敷や別荘や土地が会ったろう。それも含めてか、山崎」
「はい、この屋敷は亜矢様に贈与されています。それに亜矢様が今後通われる中、高、大の学校はお二人と同じく既に授業料も支払済です。そして別荘その他の不動産は全国のデベロッパーと全て契約されています。その賃貸料は亜矢様のものになっています」
「なんてこった、小学生に莫大な遺産がいっちまった」
「まあ仕方ないわ、あの兄さんの一人娘だから父さんにとっては可愛いばっかりだものね。でも今後の暮らしはどうするのよ、まだまだ一人では」
(そうか後見人、その手があった)
光子は亜矢を養女に、健吾は息子と結婚させてしまえばいいのだと心の中でそろばんを弾いた。山崎は至って事務的にその夢を断った。
「遺言では成人までの後見人は美樹様にとの事です」
そう言って善三の遺言を拡げて皆に見せた。
「まったく、鳶に油揚さらわれたって、こう言う事か」
葬儀の途中で何度も電話をする健吾だった。
「ああ、せっかくの物件だがね、今回は遠慮するよ」
そのほとんどはテナント契約のキャンセルや仕入れ先への電話だ。
「あっははは、兄さんもう次の会社の事考えてたの。残念ね、当てが外れちゃって」
「お前こそもう親父から援助はないぞ、大事に使えよ暮らしていけるくらいは残ってるか、友明君?」
「まあ、なんとか。これで借金は無くなりますから」
「光子の贅沢さえ無けりゃあな、まあがんばれ」
あっさりしたもので、二人はさっさと帰り支度を始めた。そしてそれ以来亜矢の前に姿を現す事はほとんどなかった。金に困った時をのぞけばだが。