1.加賀祐次(60歳)の元日
「ええと・・・・・、今年は、おっ!そうか、平成20年なんだ。」
自宅で年賀状を受け取った加賀は、その束を一枚一枚捲りながらそう呟いた。
そう言えば、年末の忙しい時期に年賀状を書きはしたが、最近ではパソコンとプリンター任せにしていることもあって、受け取った賀状を見て初めて「平成20年」なのだと意識をする。
「お父さんも、今年はいよいよ卒業ですねぇ。」
雑煮を食卓に準備しながら、妻の房江がそう言う。
「卒業か・・・・・。うまいこと言うなぁ。」
そうなのだ。
祐次の勤める工作機械メーカーでは、一応の定年は60歳である。
60歳の誕生日を過ぎた3月31日が定年退職の日と定められている。
つまり、この3月31日には定年退職することになる。
希望者には「再雇用制度」が設けられているが、給料がそれまでの6割になることもあって、案外と希望する人間は少ないようだ。
「それで、決めたの?」
房江が言葉を続ける。
「何を?」
「定年後のこと。」
「・・・・・・・・・・・。」
祐次はまだ迷っていた。
現職は本社工場の副所長である。
工場長は取締役だから、実質的には現場のトップの立場だ。
本音を言えば、このまま仕事を続けたい。
今、新製品の生産開始に向けて、新たな製造ラインを構築中で、その完成が5月中旬の予定だ。
それを見届けたい。
現場を任された立場からすれば、それは当然の思いである。
だが、制度は制度だから、と上司の工場長は祐次の我侭を許してはくれない。
「再雇用」の制度を使ったとしても、副所長の職責からは外れることになる。
恐らくは、本社工場から出されて地方工場のポストに就くことになるだろう。
現在の上下関係の中では、このまま本社工場内にとどまることは出来ないだろうと思うのだ。
それでは、会社に残っても・・・・、との思いもあった。
「この正月休みの間には決断をしないといけないな。」
年賀状の束を一枚一枚捲りながら、祐次は少し気が重たかった。
(完)