泣き虫ウサギと嘘つきピエロ
断罪シリーズ最終話!
どうぞお楽しみください。
少し音の外れたチャイムが、時間を告げる教室。机や椅子が散乱したそこの真ん中に、一人立ち尽くす少女の姿。
少女は、窓から差し込む月明かりを睨みつけると、拳を握り締めて呟いた。
「ーー今、行くからね」
彼女が、教室を飛び出して行くまで。
あと、13秒。
【快速】
爽やかな朝を迎えた住宅街を、懸命に走り抜ける。つまらなそう欠伸を漏らした黒猫が私たちを見て笑っているような気がした。
「刹那、早く来ないと置いてくからねー!」
前を走る少女は勢いよく振り返ると苛立ちをまじえてそう叫び、足を動かす速度を上げる。だが今まででもう限界に近いスピードを出していた私が、それについて行ける筈もなく。
「ちょ、えぇ!?待っ……」
息を切らしながら叫んだ静止の言葉は遥か遠くにいる少女には届かず、私ーー刹那は両膝に手を当てて荒い呼吸を繰り返した。このままでは本当に置いて行かれてしまうだろう。いやむしろもう追いつけはしないだろうし、走り去った少女が私を置いて行くつもりなのもわかりきっているが、私はここで諦めるわけにも行かなかった。追いかけるのを止めれば「なんで走って追いかけてこなかったの」と理不尽な怒りを受けなければならないのだから。確か24回目に置いて行かれたとき、そうやって怒られた。
疲れるのも嫌だが怒られるのはもっと嫌だ。
と、自分を奮い立たせて私身体を起こし、もう一度走り出そう試みる。
そして重い一歩を踏み出した途端
「……馬鹿なんじゃないの?」
背後からひどく冷静な声がかかって、体私はごと振り返った。
そこにいたのは、呆れ返った表情でこちらを見据える少年。
「、裁人?」
「それ以外の誰かに見える?」
「……いや、見えないけどさぁ」
「じゃあいいじゃん」
言うが早いか、少年ーー裁人はゆっくりと歩き始めて。いきなりのことにその背を呆然と見送っていた私も、慌てて後を追った。
「結局置いてかれるってわかってるのに、わざわざ毎朝一緒に登校するのが理解出来ない。歩いたって遅刻になるわけじゃ無いんだから、別々に行けばいいだけでしょ」
吐き出される、投げやりな言葉の羅列。
一歩後ろを歩く私の視界に入るのは僅かに揺れるランドセルだけで、彼の表情まではわからないけれど、おそらく相変わらず
の無愛想なのだろうとは思う。やけに頭が良い彼には、自分たちの子どもじみたやり取りは馬鹿らしく思えているのだ、とも。
「そーいう訳にもいかないから、困ってるんだよ」
とはいえ正論では解決できないのが人付き合いというもので、私は静かにため息を吐く。第一、私みたいな臆病者が『嫌われるかもしれないこと』をできる訳がない。たとえ本当の自分から逃げることになっても、嫌われて疎まれるよりは一生逃げ続けていた方がマシだ。現に今だってーーーー
今だって?
「って、あぁー!」
「な、何いきなり」
びくっと思わず平静を崩し振り返った裁人を気にする余裕もなく、頭を抱える。そう、こんなことをしている場合ではなかった。なぜなら私は、追いかけなければならなかったのだから。
もはや姿形も見えない、とっくに学校へ到着しているかもしれない少女を。
「ど、どうしよう……とりあえず、急いで行かないと、また怒らせちゃう」
目に見えて焦り出した私の様子をわけもわからず伺っていた彼もしばらくして意味を察したのか、あぁ。と気のない返事を返す。それから、気怠げに片手を伸ばして。
ぺし
「痛、い?え?」
私の無防備な後頭部を軽くはたくと、また歩き始めた。
それから、不意を突かれて不思議そうに自分を見ている私を一瞥して、彼は淡々と言葉を紡ぐ。
「そのときは僕が呼び止めたせいで遅くなったって言うから、歩いたら?」
ぶっきらぼうな、だけど躊躇いのない言葉。
「え、いやいや。そしたら裁人が怒られちゃうよ?それは駄目だよ」
「君と違って僕があいつに怒られる筋合いはないからね。その時は言い返すよ」
「あ。えと、」
「あながち嘘でもないんだし。何しようと僕の自由でしょ?」
そう言われてしまっては、反論する術はない。もともと年相応の語彙力しか持ち合わせていない私が、彼に口で勝とうというのが無謀なのだ。それは自分自身が一番良くわかっていた。
だから。
「……そうだねぇ」
さりげなく裁人の隣に並んで歩き、静かに伸びをする。急いでいたせいで気付けなかったけれど、見上げた青い空はこんなに澄み渡っていて、私は思わず大きく息を吸い込んだ。
「じゃ、歩いて行こうかな」
風に揺れるブランコ。
まるで街そのものが起き出したかのように
一斉に動き出す、沢山の人の気配。
咲き誇る朝顔も、流れる雲の群れも
また一日の始まりを告げて。
「ありがと、裁人」
「別に」
笑う私と笑わない少年の、限られた幼い日々が、今日も進んでいった。
【各駅停車】
ふと目を覚ました、白いシーツの上で。
私はぼんやりと天井を見つめていた。
「裁人、『君』」
思い出すのは、六年前。
まだ夢みたいな未来を信じていた、子どもの頃の幸せじみた記憶。もはやどれだけ思い馳せようとも遠い過去でしかないが。
彼ならば、私の嘘も見破ってくれるのかな。なんて。
「今頃、何してるのかなぁ……」
枕に顔を埋めて、着たままの制服に皺がつくのも気にせず寝返りをうつ。両親が亡くなったこの家は、もう夕方だというのに静まり返っていた。物音も、気晴らしにシーツをかき乱す音しかしない。
「あー、もう。早くご飯支度しないと」
こんなことをしていても仕方がないと、私は勢いよく起き上がる。強く押されたベッドのスプリングが鈍く軋んではすぐに跳ね返って、動きたがらない体を押し出した。
チクタクと無慈悲に時刻を刻む時計の音。
淡々と流れて行くだけの正確な日常。
中学卒業まであと少しとなっても、私は当たり前のように変化のない日々を送っていた。現実とか不可能から目をそらして、思い通りの自分を演じる毎日。それはきっと高校に入学してからも変わらないだろうというある種の確信も持っている。去年近くの駅で自殺したという、あの少年と似た道を辿らない限りは。
あれから八年、みんなみんな変わって行って
昔、一緒に仲良しのフリをしていたあの少女は信じられないいじめっ子になったって聞いた。
教室の隅で読書ばかりしていたあの子は行方不明になったらしいし
いつもグラウンドを走り回っていたあの子は罪を犯して檻の中へ入れられたんだって。
きっと無愛想な彼も彼の友だちも、やっぱり少なからず変化しているんだろう。
変わっていないのは私だけだ。
相変わらず臆病者で、進歩していない。
逃げることすら出来ないから、立ち尽くして。
もしかしたら私は、疲れてしまっていたのかもしれない。あるいは、追いつかれたと言うべきだろうか。何処か遠くに捨てて来た本当の『自分』に。
「つまんないなぁ」
唇から漏れたそんな言葉が、誰の心にも止まることなく窓の外へと消えていく、ひとりぼっちの午後6時。
だが、私の淡い欲求はその後
誰もが望まなかった形で叶えられることになる。
『断罪教室』の、始まりによって。
【急行】
「いや……!こんなの嘘だよ、こんなの!」
「落ち着いて明奈、きっと大丈夫だから」
金曜日。
黒板を見て悲鳴を上げた友人ーー河村明奈を宥めるように、私はぽんぽんと彼女の小さな背を撫でた。途端に制服を掴んで縋り付いてくる手に、こっちまで緊張が伝わって体が強張る。
唐突に始まった災厄のゲーム『断罪教室』。【容疑者】が【判決者】によって裁かれ、有罪になれば【執行者】に殺されるというふざけた仕組みのそれを、最初から信じた人はいなかった。
馬鹿げてると否定した生徒
異質な状況を面白がる生徒
とにかく、誰一人として本気にはしなかったのだ。だからこそ、「本物である」と痛感したときの衝撃は大きい。
月曜日の朝、黒板に書かれていた判決。有罪となった生徒の席は無くなっていて。教師も親も、大人は有罪者のことを忘れていて。彼らがーー有罪者が、【執行者】に殺されたのであろうことはあまりにも明らかで。
「どうしよう、刹那ぁ……私まだ死にたくない、死にたくない!」
「明奈、」
今では生徒全員が、私の腕の中で震える彼女のように、泣き喚いて助けを請うている。残虐な子どものゲームを続ける【判決者】に、あるいはその遊びに従い続ける【執行者】に。
「大丈夫。明奈は絶対大丈夫だから」
抱きしめる力を強めながら思わず口を付いたその言葉を心の中で嘲って、私はゆるりと視線を上げた。赤いチョークで書き記された容疑者の名前が、朝日に照らされ僅かに輝く。
ーー絶対?そんなのあるわけない。
連なった名前は一度は聞いたことのあるものばかりで、有名な不良だったり万引きの常習犯だったりといずれもまともな人はいなかった。何人死ぬのかはわからないけれど、せめて自分の友達な明奈は助かって欲しいと、頭の片隅で思う。
彼女のためなのか、自分の益のためなのかはわからずに。
「大丈夫、だからね」
『滑稽だなぁ』
ぽつりと浮かんだそんな想いを、私は無意識に押し殺していた。
そして、もう一つーーーー……
朝一番に来てしっかりと跡形も無く消した【紅月刹那】の文字が、他の誰かの目に映っていないだろうか。なんて不安も一緒に。
下校時間を告げる鐘が鳴る。
部活をしていた生徒が次々に帰り、とうとう無人になったグラウンドを、夕日が赤く染めていった。
そして私は、背を預けていた廊下の窓から体を離す。向かう先は生徒玄関、ではなく自分の教室。
「判決、もう出てるよね」
四階の一番端、【1年4組】の教室。ここが楽しい楽しい【断罪教室】の舞台。だけど【容疑者】にとってはーーーー
ガラリ。
「……刹那、!?」
まさに、死刑台そのものとなる。
「明奈。判決、は?」
青ざめた顔を私に向け、驚きつつも黒板を指差した明奈の震える手をしばらく見つめてから黒板を見る。
『判決!
田中は無罪!
神崎、河村、紅月は有罪、終身刑!!
お疲れ様でしたー!(^O^)/』
人を小馬鹿にしたような文章が綴られた黒板は、この状況とはひどく不釣合いで。【判決者】ってもしかしたら案外子どもかもしれないなぁ。とか、こんな機会でもなければもう話せなかった『彼』とも話せる可能性だってあるし、そう悪くもないんだよね。とか、どうでもいい上に意味の無いことを考えてみたり。
最近ようやくわかったけれど、誤魔化し続けるのも意外と大変で。現実を見ないふりして仮面を被って自分を演じてもやっぱりそれは自分じゃなくて。だけど幾重にも重ねた嘘は簡単には剥がれなくて。全部から逃げたくても逃げたくても逃げられないから、ただ真実が明らかになる日を恐れ続けていた。酷く退屈でつまらない日々が嫌いだった。なによりずっと、私は私が嫌いだったんだ。逃げるか飾るかしか選べない自分が。
それが今日、どう足掻いてもどうしようもなく私の人生は終わるのだ。理不尽に、残酷に。ほんの少しの救いを込めて。
『ようやく終わる』そう思った途端
笑みがこぼれた私へ何か言いたげに近寄ってきた明奈の、更に後ろでたった今ドアを開けて入ってきた【執行者】に向かい合う。
驚いて目を見開く、大好きだった彼の姿。
「久しぶりだね、裁人君」
「刹那、?なんで、ここに」
西日を反射してきらめくカッターナイフの刃が、目の奥に焼き付いたまま離れない。
覚悟も準備もしていたのに、口内が乾いて上手に言葉も紡げない。
こんなにも、『死』という概念が人を支配していたなんて予想外だった。
「私も、容疑者だったんだよ。実はね」
かろうじて動く舌で、いつの間にか得意になってた笑う演技をしながら、夕日と同じ赤色の裁人の目を確認する。
あぁ、やっぱり変わっていた。あんなに真っ直ぐな目だったのに、今ではゆらゆらと迷う人の目をしている。
多分、前進していたんだね。私が止まっている間に、ずっと遠くへ。
だからもうこの手は、君に届かないんだ。
「裁人君、」
「ちょっと刹那!?そんなこと言ってる場合じゃあ……!私たち殺されちゃうんだよ!?」
涙を溢れさせて訴える明奈の声が今だけは耳障りで、彼女に掴まれた手を払った。
その瞬間、【執行者】は一旦ぐらりとよろめいてから歩き出す。もちろん、私たちの方へ。
「や、やだ、いやあああああ!!!」
明奈の絶叫に導かれ、彼を返り討ちにしようと飛びかかった有罪者の一人の頸動脈を彼があっさりと切りつければ、それに伴って鮮血が空中を舞った。私の頬にまで飛び散ったその赤い液体は、まだ、温かい。
思わず明奈を伺うと、案の定彼女はあまりに生々しい光景に腰を抜かしていて。皆もこうやって殺されたんだなと実感した。逃げられなくて、追いつかれて。
断罪の時には逆らえなくて。
「一つだけ、聞いてもいい?」
彼からの返事は、無い。
「私、馬鹿だからさ。何が間違ってるとか誰が悪いとかわからないけど、でも」
無い、無い、ない。
「君のやってることは、本当に」
ただ、無感情な赤い目だけが晒される。
「ーー本当に、正義なの?」
ごめんね、卑怯だよね。
『正義』とか『希望』とか、どこにもないものなんだって
ずっと前から、知ってたのにね。
ぶつん。
【一時停止】
白、白、白の浮世離れした、というよりむしろ現実らしくない空間。音もなく匂いもなく、視覚以外の五感が狂ってしまったみたい。
そんな所に、私は居た。
いや、正確には私ともう一人。
「と。まぁそんなこんなで、貴女は死にました。ゲームオーバーでもリセットでも、お好きな風に比喩して下さい」
まるでリモコンを操作するみたいな気軽さで、私の人生の一部始終をだらだらと放映していた少女が映像を止める。どうやら勝手な記憶の上映会は、ここで終了らしい。
「なんだっていいけど、質問に答えてくれないかな?貴女は誰で、ここはどこなのか」
その場に座り込んだまま私がそう言うと少女は意地悪く笑い、片方の手を私に向けて差し出す。不信感を露わにして手を見つめた私を立ち上がって見下ろす少女の両目は、闇に似た黒で。彼の、鮮やかな赤い目とは正反対だった。
「私は【判決者】。ここは私の作った『繰り返す空間』」
こともなげに吐き捨てて、彼女はまた笑う。それに希望なんてどこにも存在していなかった。何もかもを、諦めてしまっているかのように。
「貴女はあそこで死にました。【有罪者】として死にました。そして、貴女を裁いた【執行者】も、あの男によって殺されました」
「裁人君、が」
「ーー大事な人、だったのですか?」
私を裁いたのは間違いなく裁人君だ。それだけは自信を持って言える。彼は【執行者】で、私は【有罪者】だったんだから。
でも。……でも。
裁人君が、死んだ?
「大事な人、だったよ。ずっと」
『なんで』、『どうして』と
少女を問いただしたくなる自分を必死に押さえつけて答えれば、彼女は一瞬悲しそうに目を伏せて口を開く。
「彼は私に頼みました。あなたを、生き返らせて欲しいって。彼は私の敵をたくさん殺してくれたから、叶えてあげようと思うんです」
少女の腕が空を切って、まっすぐ横へ伸ばされて。同時に、画像化された世界の一部が辺り一帯に広がった。増殖し続ける世界の破片たち。それに見入ってしまった私へ少女は静かに続ける。
「私はもう大事な人の顔も声も忘れてしまったから彼の気持ちはわからない。ただ彼の願いはあなたを救うことだった。
だからあなたに『もう一度』をあげるんです」
もう一度。
また生きなければならないのか。【有罪】のくせにのうのうと、過ぎ去るだけの人生を。
別に死にたかった訳じゃない。
生きたくない訳でもないけど、でも。
「っ、待って!」
気がつけば私は、叫んでいた。
「ちょっと、待ってよ、」
脳裏に浮かぶ、彼の表情。
一度だって笑いかけてはくれなかった。
同情も甘えも、許してはくれなかった。
だからあんなに厳しくて、暖かかった。
そんな彼が、私を救って死ぬの?
『もう一度』。
『もう一度』なんて。
「私は、そんなの欲しくない」
冗談じゃない。
「……そう」
顔を上げた私から顔を背けて、考え込むように目を伏せると少女はゆっくりと手を下ろす。途端に弾け飛んだ世界の破片がキラキラと私たちの頭上に降り注いだ。
今更だけど、彼女は本当に何者なんだろうか。普通じゃないのは確か。でもどこかで見た事がある気がする。それも、割と最近にーー
「怖くないの?貴女は死ぬんだよ?」
「怖いよ。凄く怖い」
光のなかった目が惑いに揺れて。
下ろした腕を爪が食い込むほど握りしめた彼女の震える問いに、私はただ微笑みを返す。
人一倍の臆病者で、向き合うことも出来なくて。逃げ続けてもう何年経っただろう。躊躇しては諦めて、一歩も前に進めていない。
それが、私。
「だけどね、今ならわかるんだ。これは、目を背けていいものじゃないんだって。裁人君はーー裁人は、私のために立ち向かってくれたんだから」
漫画やアニメと違って、人は簡単には変われない。身体に染み付いた恐怖心は消えないし、心の本質はどうやったってそのままだ。ただ、変わるきっかけは世界中に溢れてる。停止ではなく、前進するために。
だったら私だって、最期くらい変わってみたっていいじゃないか。
「もう逃避は必要ない。必要なのは、希望と未来だけだよ」
ありもしない奇跡を、追い求めることは間違いじゃないって信じたいんだ。
彼が私を、助けようとしてくれたみたいに。
髪に触れながらそう言い切った私を、驚愕に見開かれた黒い目が捉える。
そして、彼女はふっと笑った。
年相応の、柔らかい笑み。
ああ、思い出した。こんな風に笑うと、『写真』のままだ。
確か、この子ーーーー
「そっか。希望と、未来」
言葉の意味を噛みしめるように頷いて、それから彼女の腕が横薙ぎに振るわれる。だけど今度現れた破片は世界ではなく、真夜中の教室だった。それも無数にあるのではなく、たった一つだけ。
「じゃあ、試してみましょうか」
異常過ぎて遂に頭がついていかなくなった私に、少女は笑う。さっきとは打って変わった、少女特有の柔らかい笑顔。
「彼のために、巻き戻る覚悟はありますか?彼が、『紫月裁人』が殺される直前へ、貴女自身が【執行者】となって。助けられる確率はかなり低いし、助けられても【執行者】としてあの男を殺さなきゃいけなくなる」
殺せば解放してあげるけどね。
意地悪く付け加えて、わたされた片道切符。【執行者】になるということは、私も人形になるってことだ。彼女の、おそらくは『復讐』の。
……この子は、私にどうして欲しいんだろうか。目の前の希望に懸けて欲しいのか、それとも「希望なんて綺麗事だ」って見せつけて欲しいのか。やっぱり、考えてみたって私にはわからない。
人を殺す覚悟の大きさも、彼女の真意も。
だけど、迷っちゃだめだ。
「さぁ、どうしますか?ーーーーっ!」
やりたいようにやるしかない。
私は情けなく震える足で立ち上がり、駆け出して手を伸ばす。彼女の隣を通り過ぎて、真夜中の教室へと。
背後で僅かに息を飲む音がしても、今立ち止まる訳にはいかなかった。なんせ私は卑怯者だから、またすぐ逃げてしまうもの。
「なっ、」
「そうだ、これのお礼にいいこと教えてあげる」
指先が触れた瞬間、教室の風景が変わってだんだん体が呑み込まれて行く。仕組みが想像できないだけに恐怖もあるけれど、ただひたすら前へ。
こんな私が誰かの、それもずっと好きだった彼の役に立つかもしれないんだから、躊躇いなんかない。
「あなたの大事な人、『寺山周廻』って名前じゃないかな?多分。ううん、きっと」
「それじゃあ、またいつか会えるといいね。ありがとう」
ニュースに出ていた、駅に飛び込んで自殺した少年。その名を無責任に告げて、私は更に一歩画像の中へ踏み込んだ。少女の表情を伺う余裕も、返事をはっきりと聞く暇もなく。
「周廻、」
そして
ぽつりと聞こえた少女の声を最後に、私の意識は切れた。
今、行くからね。
裁人。
【特急】
【回送】
唐突に戻った意識。
夢の中みたいに不思議だった感覚もとっくに通常運転で、チャイムの音がやけに大きく聞こえた。
気を抜くと今の状況を忘れてしまいそうになるほど、平穏で平静な空間。どこか破綻してしまっていた少女も、血なまぐさい死体の山だってない。でも黒板に描かれた判決の文字は、相変わらずで。
『判決!
紫月は無罪、お疲れ様でしたー!(^O^)/』
握りしめたカッターナイフは、冷たい。
「どうか見ていてよ。証明してみせるから」
私は一人月明かりを睨みつけて、誰に言うでもなく呟いた。随分と見栄を張った希望論を。
ほら、まだ、何とかなりそうだよ?
「うん、!」
机やら椅子やらの間をぬって、そう広くはない教室を飛び出して行く。そのとき、ドアのガラスに少しだけ映った私の目の色は
いつの間にか、赤くなっていた。
廊下を走って階段を駆け下りて、時折躓きながらも進む。本当は肺も心臓も苦しくて苦しくてたまらないけれど、そんな風に言い訳して諦めるのにはもう飽きたんだ。
みっともなくてもとりあえず頑張ってさ
嫌な現実に立ち向かう方が割と格好良くて
ずっと憧れ続けた彼に、近づけるって思えるから。
靴も履き替えないまま外へ。向かう先は体育倉庫。重たい扉を開けたら、そこにはやっぱり君が居て。
「裁人!」
何も考えずに感覚だけで動かした体は、彼を殺そうとしていた人の、鋏を握った手を取り押さえた。と同時に、少女が言っていた【あの男】の正体も知った。
「驚いたなぁ、何で刹那がここにいんの?」
飄々とした態度で、言葉とは裏腹にたいして驚いた素振りもないまま【あの男】ーー否、『明智正義』君は言う。裁人と幼馴染であるはずの、彼。
「どうして、こんなことしてるの?」
「ん?」
体育マットの上から裁人が上半身だけを起こし、それを横目で見ながらも私の手を振り払おうとはしない。まるでこの危険すら愉しんでいるかのような彼は、私の目から見ても明らかに、狂っていた。
壊れていた。
今まで気づかなかったのが、不気味なくらいに。
「理由なんてないよ。俺は自分のしたいことをしてるだけだしね。恨んで殺すのも何でもなく殺すのも罪の重さが同じなら、俺は愉しんで殺す。ただそれだけの話だよ」
君たちだってそうでしょ?
地の底から響くみたいな黒一色の言葉たちが、鼓膜を震わせる。
これが、明確な悪。決して否定できない、人の本質をえぐり出す存在。初めてだ、こんな存在と相対したの。
だけど、だけどさ。
「そんなの間違ってる」
「……ふうん?」
私はもう、何からも逃げないって決めたんだ。
「誰かを殺したいって、きっと誰もが一度は思ってることだよ。でも、大半の人が殺さないんだ。だってーーーー」
「誰だって、それは駄目だって知ってるもの。法律とか道徳以前に、駄目なものは駄目なんだって。なのに人を殺してしまったのなら、疑いようもなく悪なんだって主張する義務がある。私たちは、生きてるんだから」
私が必死に言うと正義君は、わざとらしく声を上げて笑った。嘲笑、と言った方が正しいかもしれない。
「とか言っといて【執行者】は人殺しちゃってるじゃん。終身刑って誤魔化してるけど、ただの死刑じゃないか」
そう、私も同意見だった。きっと裁人だって同じだろう。真実は裁かれてみなければ、いや、彼女に会わなければわからないのだから。まぁつまりもう私は知っているのだけれど。
終身刑が、死刑ではないことを。
「さぁ、どうだろうね?裁かれてみたらわかるかもよ?」
ぎゅっと彼の手首を握りしめて、ピエロのようにおどけて笑う。すると、彼は不信げに眉を顰めた。
「俺が裁人に殺されろってこと?ちょっと嫌だなぁ」
裁人は、一言も口にしない。
彼が今、何を思っているのかは簡単に想像できた。多分、殺したくないって思ってるんだよね。友だち、だったんだから。【有罪者】と【執行者】である前に。
「違うよ。まだわからない?」
でも、ここにいる【執行者】は裁人だけじゃない。
「あなたを裁くのは、私」
銀に輝くカッターナイフを見た途端、正義君が反射的に私の手を振り払って距離を取る。視線が倉庫の出入り口に向いたから、きっと逃げる算段をしてるんだ。そんなに広くない倉庫。走られたら私じゃ追いつけないし、簡単に逃げられると思う。とはいえ【執行者】である以上、そうやすやすと逃がす気はない。彼女との約束ぐらいは、守らなきゃ。
また後悔しなくて済むように。
「刹那っ!」
「大丈夫だよ、裁人。私を信じていて。ちゃんと終わらせてみせるから」
とか強がってみても緊張に心臓が高鳴って、言い表せない焦りが急激に湧き上がる。人間の自己暗示はこの程度だってことなんだろう。
そりゃそうだよ。人殺しをするのに、無感動でいられる訳がない。だから上手に出来ないかもしれないけれど、どうせ上手くいかないのは七年前から想定内だ。伊達に失敗ばかり経験していない。
私に出来ることなんて、少しでも成功させるために全力で足掻くことぐらいなんだから。失敗も敗北も許容範囲。ただ、全身全霊で示すだけだ。
私なりの希望と、奇跡を。
ありったけの善意をもって。
「さぁ、最後の『断罪教室』を開始します!」
私は、遠くにいるあの子まで届くように大きな声で高らかと
終わりの始まりを、宣言した。
The end,
【始発】
急激な眩しさと遠くで聞こえる雑踏に、彼は目を覚ました。全身を支配する痛みと倦怠感に起き上がることも出来ないまま、ゆっくりと思考だけが動き出す。
「ど、どうしよう彼方君。この子傷だらけだよ」
「交番にでも連れてけば?あんまり関わりたくないし。見つけたの東雲なんだから自分で何とかしなよ」
「ええ!?彼方君も一緒に見つけたよね!?」
どうやらすぐ近くに二人の人間がいるようで、その女性と男性が自分のことを話しているのだとわかった。といっても、彼自身は二人の声に聞き覚えはないのだけれど。
ーーそういえば、あの子はどうなっただろうか?
突如として脳裏に浮かんだ、少女の姿。
ずっと好きで、ずっと隣にいて、何度となく殺してしまったあの少女。
「えーっと、大丈夫ですかー?し、死んでませんよねぇ?」
「あのさ、普通に生きてるでしょ。呼吸してんだから」
強い眠気に襲われながらも頬に触れた暖かい手の平はやはり彼女を連想させて、何故か泣きたい衝動に駆られる。
ーーごめん、ごめんね。
沈んでゆく意識。
霞んでいく話し声。
そんな中で、彼は『もう一度』彼女の名前を呼んでいた。
ーー雪凪。
いかがだったでしょうかー?
これにて断罪シリーズは完結となります。
ご意見ご感想、考察などをくだされば泣いて喜びます!
そして、Twitterにて断罪シリーズの裏話をする予定でございます!興味のある方は
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