詐欺師な妾妃様
【策士な王妃様】の続きで別視点話のようなお話です。
先に前作を読まれる事をお勧めします。
むかしむかしあるところに、とある少女がおりました。
陽光を浴びて鮮やかに輝く黄金色の髪に、最高級の宝石を思わせる緑の瞳。
日に焼かれた健康的な肌に、すらりと伸びたしなやかな肢体。
少女の浮かべる向日葵を思わせる天真爛漫な笑みは、見る者をそれはそれは幸せな気分にさせてくれました。
少女は幼くして母を亡くし父を知らずに育ちましたが、心優しい街の人々に支えられて健やかに育ちます。
少女が浮かべる向日葵の様な微笑みは誰の心をも虜にし、その微笑みに魅せられた者達は彼女を一目見ようと毎日の様に少女の元を訪れました。
そうして真っ直ぐ純粋に育った彼女に魅せられた者の中に、一人の精悍な青年がおりました。
青年は何とかして自分の思いを伝えようと連日の様に少女の元を訪れ、一途な青年の思いに胸を打たれた少女はとうとう青年と心を通わせます。
街のどこにでも起こりえそうな、素敵な恋の物語。
少女は一途に自分を愛してくれる青年と共に、幸せな毎日を過ごしておりましたが……――。
* * * *
「この度、隣国よりこの国の正当な王妃となられる御方が到着致しました」
「……存じ上げております」
「生まれも育ちもどこの馬の骨ともわからぬ貴方に比べることすら烏滸がましい程の姫君です。くれぐれも陛下のご寵愛を誇り、見苦しい真似を致しません様に」
「……判っております」
「ならばよろしい。――ふん! これで、粗野な妾妃が我が物顔で王宮内を闊歩する様なことが無くなり、私としても一安心ですとも。ははは……」
顎髭を撫で付けながら、偉そうな老人が室内から出て行くと、それまで隣部屋で控えていた三人の侍女達が部屋の真ん中で消沈した雰囲気の妾妃の元へと我先に駆け寄りました。
老人の心ない言葉に傷つけられた娘の側に駆け寄ると、かいがいしく世話を焼き始めます。
「お気になさることはありませんわ。どのような相手であれ、貴女様の敵ではありませぬもの」
「そうですわ。大臣様も心ないこと……。一時は王妃殿下の美しさに惑わされたとしても、陛下が愛するのはただ一人、貴女様だけですわ」
「お忍び中に見初められ、数多ある障壁を押しのけてまで思いを貫かれた陛下ですもの。そこまでした女性相手に無碍になさることはありますまい」
三人の侍女達はくすんでしまった金髪に丁寧に櫛を通し、噛み締められた唇に口紅を塗ります。
王室御用達のお店より取り寄せた一流の香水を妾妃へと振りかけて、濡れた目元にハンカチを柔らかく押し当て、潤んだ目元を拭いました。
「ほらほら。陰気なお顔は似合いませんわ。どうぞいつもの様に笑って下さいな」
「そうですとも。貴女様の微笑まれるお姿には、陛下すらも虜になったのですから」
「ありがとう、でもごめんなさい。少しばかり、一人にして欲しいの……」
侍女達が微笑み、未だ顔を伏せたままの妾妃へと近寄って励ましの言葉を口々に告げます。
ですが妾妃は寂し気に顔を左右に振ると、か細い声で主思いの侍女達に一人きりにしてほしいと頼みました。
普段は向日葵の様な微笑みを浮かべ、天真爛漫に振る舞う娘の弱々しい姿にほっとけないと思いはしても、重ねて頼み込まれてしまっては断れる筈がありません。
最後の侍女が物言いた気な顔をしながらも、部屋から下がったのを見る事無く確認して、今まで伏せられていた妾妃の顔がゆっくりと持ち上げられました。
下ろされた前髪に隠れて、妾妃が今どのような感情を瞳に浮かべているのかは定かではありません。
ですが、横一文字にひかれた唇が先程までの妾妃の思いを露にしている様で、そうして――。
――――にぃ、と薄い唇が持ち上がりました。
「――っふ、くっくくくっ!」
一歩間違えれば高笑いになりかねない笑い声が、不気味に室内に響き渡ります。
誰もの心を和ませる向日葵の様な微笑みとは思えず、むしろ狩りを成し遂げた後の達成感に満ちた獣の哄笑。
まず間違いなく、先程までいた侍女達が目撃したら惚ける事だけは断定できます。
「くはっ、はははははっ!! ようやく来やがったぜ、この時が!!」
座していた椅子を蹴飛ばす様な勢いで立ち上がった妾妃が、その場でくるくると踊り出します。
幸か不幸か、この場に誰もいない事が最大の幸運でありました。
何せ、一人高らかに笑いながら兇悪な笑みを浮かべている妾妃の姿は、先程までの彼女の姿しか知らない者が見たら直後に卒倒する事でしょうから。
「苦節二年! あの糞忌々しい兄貴からの借金を盾にやらされた狭苦しい妾妃業も今日で最後だぜ! 嬉しすぎて泣けてくらぁ!」
ひゃっはー! とすらりとした白い足を惜しげもなく長いスカートの裾から伸ばして椅子の上に行儀悪く片足を乗せている姿は、先程までの慎ましやかな妾妃の姿とは一変しておりました。
向日葵の様な微笑みを浮かべ見る者を幸せにする天真爛漫な妾妃の姿は既になく、そこにいたのは肉食獣の笑みを浮かべて野性的な雰囲気を纏い、思わずゾクリとする程の色気を漂わせた妾妃であった娘でした。
「まさかカモだと思ってイカサマを仕掛けた相手が腹違いの兄貴で、自分の意中のお姫様を妻にするためだけにこんな馬鹿げた芝居に付き合わされる事になるだなんて、二年前には思いもしなかったぜ。けど、これで晴れてお役御免だな。つくづく『銀の月姫』様は拝んでも拝み切れねーぜ」
「あらあら。随分とご機嫌ね。折角似合っているのに、もう元の姿にお戻りになられるのかしら? 妾妃様」
「エバ・セラーレじゃないか。そっちこそ大事なお姫様に付いていなくて良かったのか? 今頃、妾妃の存在を知って泣いてるんじゃねーのかよ?」
耳に心地よい、官能的な響きを有した女の声。
揶揄する様な娘の声に決して機嫌を損ねる事なく、妾妃の振り返った先にて静かに佇む女は艶やかに微笑みます。
紅を差さずとも赤い唇に、妖艶なる輝きを宿した黒檀の瞳。
艶めく黒い髪を大雑把に括り、真紅の薔薇を挿しています。
大雑把に括っているせいで黒髪が幾筋かうなじに落ちているにも関わらず、それがまた何とも色っぽいこと。
おまけに真紅のドレスに包まれたふっくらとした胸は、同性異性問わずに一度は見惚れてしまうでしょう。
周辺諸国に美姫として名高い『銀の月姫』の隣に並んで立っていたとしても、決して見劣りする事のない美女の姿を目の前に、妾妃様は嫌そうな表情を浮かべました。
「つーか、今更何のようなんだよ。あたしが糞兄貴と交わした契約は、お目当ての月姫様が結婚するまで妾妃の振りをする事、だっただろ? だとしたら、今日の結婚式でその契約はとっくに切れた筈だぜ?」
「うふふ。二年も前の事なのに、よく覚えているわね」
「たりめーだ。あのときあんたがあの事言わなければ、しこたま儲けていた上にこんな窮屈な生活をする必要もなかったんだぜ」
け、と吐き捨てるように呟いた妾妃様がどかりと椅子に座りこみます。
裾の長いドレスを身に着けていなかったら、まず間違いなく胡坐をかいていたことでしょう。それほど荒々しい動作でした。
「うふふ。ばれる様なイカサマをする方が悪いのよ?」
「あたしのイカサマはあんた以外にバレた事はなかったんだよ」
拗ねたようにそう言ってそっぽを向いた妾妃の姿に、エバ・セラーレは愉しげに微笑みました。
「んで? あたしとしてはとっととこんな窮屈極まりない場所から出ていきたいんだが、出来るのかい?」
「お望みであれば、今すぐにでも。血筋も生まれも正しい他国出身の王妃に遠慮して妾妃を王宮から遠ざけましたとでもいえば、皆様納得なされるでしょうし」
「――へぇ。それはいいな」
ボキボキと首の骨を鳴らす妾妃の姿。
妾妃として王の傍らにて微笑んでいる彼女の姿しか知らない者が見れば、卒倒間違いなしでしょう。
「もうそろそろ兄君でおられます国王陛下があたくしのお姫様にネタばらしをなさっておられるでしょうから、それまでには王宮から離れておいた方が無難かもしれませんわね?」
うふふ、と妖艶に微笑むエバに、妾妃は僅かに首を傾げました。
育ちのせいで充分な教育を受けていなかったとしても、妾妃は決して愚鈍な娘ではありません。寧ろ意味深なエバの呟きに込められた意味をその獣めいた感性で察して、肉食の獣を思わせる表情を浮かべてみせました。
「おいおい、エバ・セラーレ。今回の結婚式で何を企んでやがったんだ?」
「まあ、人聞きの悪い。あたくしはただあたくしのお姫様が望む様な相手と結婚できる様に取り計らっただけでしてよ?」
「……あたしも人様に誉められない事はしてきたが、それでもあんたは充分に質が悪りぃな」
この国の王様が、つまり妾妃の兄が側室として妾妃を迎え入れたのは二年も前の事です。
それが今回の結婚の時に事前に下調べしていた筈の月姫達が知らない筈がありません……つまり。
「ははぁん? さては『銀の月姫』様は王の寵愛を受けている妾妃がいるのを知ってて来たんだな? ――っつー事は……お姫様は真面目な結婚をする気はなかったんだな?」
「あたくし、貴方のその勘のよろしい所が好きでしてよ?」
異性どころか同性までも虜にさせてしまう様な微笑みを浮かべるエバへと、妾妃はやや呆れた様な眼差しを向けました。
自分の兄が随分と昔からあの美しい姫君に惚れ込んでいる事を知っている妾妃からしてみれば、エバのした事は質の悪い嫌がらせにしか思えなかったからです。
「そこであたくし、妾妃様に一つ提案がありますの」
「へぇ? このあたしに? 言っとくけど、高く付くぜ?」
ニヤリ、と荒くれ男共も裸足で逃げ出したくなる様な微笑みを浮かべた妾妃。
それを臆する事なく見つめ返し、エバ・セラーレはにっこりと微笑みました。
「妾妃をお止めになるのでしたら、その演技力を生かしてお姫様付きの侍女になって下さいませんか? あたくし、幾ら夫とはいえ、陛下にお姫様の意思を無視してまで好き勝手させる気は全くありませんもの」
「つまり、国王夫妻がくっ付きかけるのを阻止しろって事か? よし、乗った!」
今までの、妾妃の振りをしなければならなかった生活のせいで、かなり鬱憤が溜まっていたのでしょう。
妾妃はそれこそ一瞬も躊躇う事なくその提案に頷いてみせました。
「くっは、腕が鳴るぜ! 王都一の詐欺師と謳われたこのあたしの演技力を持ってすれば、昨日の妾妃が今朝の侍女へと様変わり!! あの糞兄貴に公然と嫌がらせが出来る立場なんて最高だぜ!!」
「うふふふ。それでこそ貴女様ですわ」
「言っとくけど、あたしはあんたの事許した訳じゃねーからな。糞兄貴への嫌がらせに満足したら、今までのツケをたっぷりと支払ってもらう事にするから、覚悟しておけよ?」
「まあ、怖い事」
ぐるぐると腕を回しながら、妾妃様は挑発的な微笑みを浮かべます。
その笑みの頼りがいのある様子ときたら、それこそ粗野な荒れくれ男であろうと「どこまでもついてきますぜ、姉御!」と鼻息荒く叫びたくなる事でしょう。
「お姫様の気持ちが陛下に向けられるまでは決して手は出さない様にと、婚姻前から国王陛下に固く誓わせてはおりましたけど、万一の事がありましたらいけませんもの。よろしくお願い致しますわね」
「任せとけって! 百万が一の確率で月姫様が糞兄貴に惚れたとしても邪魔してやるよ!」
「まあ、心強い。これで安心して国に帰れますわ」
うふふ、おほほ、と笑い合う妾妃達。
端から見てみれば目の保養にもってこいな美女達ですが、きっと彼女達の間で交わされている会話の内容を知れば多くの者達が夢破れて涙を流す事でしょう。
――斯くしてお姫様どころか国王陛下も知らない所で保護者と妾妃との間で密約が取り交わされましたが、知らぬは本人達ばかりでございました。
*登場人物紹介*
妾妃様
…先代国王陛下のご落胤。幼くして母を亡くし苦労の末に、今では王都でも名を馳せた立派な女詐欺師へ。たまたまお忍びで城下に下りていた国王陛下に目をつけて有り金ふんだくろうとしたのが運の尽き。隣にいたエバにイカサマを見破られ(イカサマと過去の悪行を見逃す条件で)詐欺師として磨いた演技力を買われて二年間の妾妃業に精を出す羽目になる。
この人のせいで国王陛下の恋路がかなり険しい物になるのは確かである。