太陽の祭り
太陽の祭りを三日後に控えたある日、緋の谷の村に派手な身なりの使者がやってきた。
「このアイユに、ミカイという少女はおるか?」
アイユの長老は慌てふためいてミカイの家を案内した。アイユの人々も何事かとぞろぞろと出てきて、長老と使者のあとにくっついてミカイの家に押し寄せた。
突然のことに驚いているミカイの前で、皇帝の遣いだという使者は命を伝えた。
「先日、クスコに持ってきたチャスカの花は、非常に珍しく価値のあるものである。今年の祭りでそれを太陽神に捧げることとなった。ミカイ自身が持参し献上するように」
そう言うと、祭りで身につけるための色鮮やかな衣装、裾まであるショールとそれを留めるピン、頭に被る長い長い頭巾、そして磨かれた様々な色の石を糸でつなげた美しい首飾りを差し出した。
使者が帰ったあと、アイユの人々はミカイを担ぎ出して口々に褒め称え、長老も自らミカイに祝福を与えた。この寂れたアイユから、一時的とはいえ、巫女役の娘が出るとは。緋の谷のアイユにとってこんな名誉なことはない。
ミカイ自身は、突然のことに事態がのみこめず、混乱していた。
「どうしてあたしの名が分かったんでしょうか?」
「皇帝さまは何でもお見通しなんだよ、ミカイ。きっとこのアイユに良いことが起こる前触れだ。しっかりおつとめしておいで」
長老がそう答えると、ミカイの顔は一気に明るく輝いた。
「はい、長老様。一番良い花を選んで持っていきます!」
ミカイは期待で胸がいっぱいになった。
それが実はカパックの計らいであることは、誰も知る由はない。
アイユの人々は、ミカイの美しさがクスコに伝わったのだろうとか、市での行動が都の人々の目に留まったのだろうとか、いろいろな憶測をしながらも、誰もが皆『幸運な娘』という憧れの目を向けているのは同じだった。
インティ・ライミの日の朝早く、ミカイの母親は慣れない着付けに苦労しつつ、娘を精一杯豪華に飾ってやった。
艶やかな黒髪を細かく分けて、細い三つ編みをいくつも編んでいく。見事な織りの入った長方形の一枚布の頭巾は、両脇から出たスカーフをあごの下に結び付けしっかりと頭に固定する。頭巾の前端には小さな丸い金の飾りがいくつも付いていて、揺れるたびに額の前でシャラシャラと涼しげな音を立てた。
袖のない上着の上に、それと同じ地の長い腰巻スカートを重ね、色鮮やかな織りの入った細い帯をしっかりと巻きつけて留める。
ミカイの体をすっぽりと包み込むほど大きなショールを両肩にかけ、端と端を重ね合わせて長いピンで留める。ショールには、スカートの裾に施されたのと同じ幾何学模様がびっしりと織り込まれ、目にも鮮やかだ。
巫女の衣装の着付けを終えたミカイは耀くばかりに美しかった。
「昔一度だけ、こんな衣装を着た姫さまを見たことがあるのよ。あのときの姫さまにも負けないくらいきれいだよ。ミカイ」
母親は自分の娘の晴れ姿に思わず涙を流した。
昨日一日かけて山で摘んだチャスカの花を籠いっぱいに盛ると、それをリャマの背に乗せて、ミカイの一番上の弟が引いていくことになった。
ふたりは夜明け前にアイユを出発した。
重たい巫女の衣装は動きにくく、クスコまでの道のりは普通の何倍もかかる。しばらく歩くと緊張も手伝って、ミカイの息は荒くなってきた。弟が言ういつもの冗談にも口の端を引きつらせることしかできない。太陽が昇るころには会話もなくなり、もくもくと歩くことしかできなくなっていた。
ようやくクスコの街を見下ろす丘の上に立ったのは、昼過ぎだった。
すでに祭りは始まっていて、賑やかな太鼓や笛の音と人々のざわめきや歓声が響いてきた。大勢の人々がひしめき合って、街の中心を囲む巨大な蛇のようにうごめいている。その人々を覆うように色とりどりの旗やのぼりがはためいていた。その盛大さに二人は思わずため息をもらした。
「なんてすごいの?」
「姉さん、大丈夫?」
「倒れてしまいそう!」
「頑張って。ぼくはここで待っているから」
弟と別れ、ひとり花籠を抱えてふもとに下りると、運良く捧げ物の籠を頭の上に載せた女性たちの列を見つけて入り込むことができた。その列は街の外側からはるか彼方のクスコの中心広場へと続いている。ミカイの後ろにいた年配の女性が話しかけてきた。
「見事な織りの着物だこと。自分で仕立てたのかい?」
「いいえ、皇帝さまにいただいたの」
女性は目を丸くして「はああ」と驚いた声を上げた。
「そんなたいそうな着物を着ているのに、あなた、祭りに参加するのは初めてなんだね。 そんな危なっかしい手つきじゃ神殿までたどり着くことはできないわよ。籠はこうして頭の上に掲げるの。広場の中央の祭壇で皇族のおひとりが祝福の祈りを捧げて下さるから、その方の前に来たら、籠を頭の上に掲げたまましっかりと跪くのよ。決して皇族方のお顔を間近で見てはいけないよ。その祝福をいただいたら、神殿の前に籠を捧げておしまい。
列は長いから、神殿に行くまで相当時間がかかるわよ」
ミカイはめまいがしそうになった。
長い長い列はじれったいほどゆっくりゆっくりと進んでいく。頭の上に置いた籠を支える腕がしびれてくる。重たい衣装も動きにくい。ときどき後ろから例の女性が腕を支えて励ましてくれた。
「しっかりね。お譲ちゃん」
よくよく周りを見ると、ミカイより年上と思われる人がほとんどだ。腰の曲がった老女もいる。しかも籠の中は、とうもろこしや、ジャガイモや、反物や、重そうなものばかり。女の人の籠も生糸の束がびっしりと入っていた。花の籠の重さなど比べ物にならない。
ミカイは前かがみになってきた姿勢を取り直して堂々と歩く事にした。
「はい。あたし、頑張ります!」
女性が苦笑いしながら言った。
「せっかく皇帝さまからいただいた着物を着ているんだから、言葉にも気をつけたほうがいいわね。『あたし』ではなくて、『わたし』よ」
ミカイは大きな声で「はい!」と返事をした。素直なミカイに女性は微笑んだ。
ミカイが祝福を受ける番が近づいてきた。その先で祝福の祈りを捧げている皇族はカパックだった。
顔を見てはいけないと言われると逆に気になってしかたがない。祭壇の傍に来ると、ミカイは籠の陰から上目遣いにカパックの姿を覗き見た。
虹色の羽飾り、色とりどりの刺繍が施された長いマント、黄金の冠と耳飾り、黄金の杓仗を持つ腕にも黄金の腕輪をはめている。太陽を背にしているので顔はよく見えないが、これほど美しい姿をした人を見たことはない。ミカイはぼんやりとその光る姿に見とれていた。 しかし自分の番がやってきたことを後ろの女性に肩を叩かれて気づき、はっと我に返ると、慌ててカパックの正面に跪いた。
籠に盛られたチャスカの花を見てカパックはそれがミカイであることに気づいた。籠に手をかざして祝福の祈りを唱えながら、カパックの方でもミカイの晴れ姿をまぶしく見ていたのだった。
しかしこんな場に慣れていないミカイは落ち着かない。カパックの祈りが終えると、あたふたと立ち上がって早足で神殿へと向かっていってしまった。
花籠を神殿の前に供えると、途端に力が抜けて神殿の正面にヘナヘナと座り込んでしまったミカイだった。
「よく頑張ったわね。名誉な役を立派にこなすことができたじゃないの!」
ミカイの後ろにいたあの女性がやってきて、ミカイの肩をポンと叩いた。
「こんなに大変なんて……」
ミカイが宙を向いたまま力ない声で呟くのを聞いて、女性は大声で笑い出した。
「最初にしてはよくやったものよ。でもね、太陽の巫女アクリャはこんなものではないわよ。常に皇帝のお傍で祭りを取り仕切っているんだから」
女性があごを軽くあげて祭壇のほうを見た。
広場の中心の高い祭壇の上には、皇帝の玉座が設けられ、その周りに侍っているたくさんの女性たちが見えた。彼女たちは太陽の巫女と呼ばれ、宮殿の一角に住み、滅多に一般の人の前に姿を現すことはないのだ。よく見れば、中にはミカイよりも年下ではないかと思われる少女もいる。皆、美しい顔立ちで、それを引き立てるような美しい衣装や飾りを身につけていた。
(まるで神の国の人だわ……)
ミカイはぼんやりとその華やかな光景を見つめていた。
そのとき、突然今まで騒がしかった音楽や人びとの声が止み、広場が静まりかえった。するとゆっくりと皇帝が祭壇の上に現れ、空に向かって祈りの言葉を唱え始めた。
ミカイは息を呑んでその様子を見ていた。
皇帝の低い祈りの声は静まり返った広場を突きぬけ、遠くにそびえる万年雪の山々にまで、悠々と響き渡っていった。
やがて皇帝の祈りが終わると街中から一斉に歓声が上がり、音楽はまた激しく鳴り始めた。それから祭りはさらに賑わいを増していった。
「はあ……」
帰り道、リャマの背に乗ったミカイは揺られながら何度もため息をついた。
「すごかったね。あんなに賑やかな街や大勢の人たちを初めて見たよ」
弟が興奮気味に言うと、ミカイもこっくりと頷いて、
「本当ね……」
と、またしみじみと思い返していた。
もう空には星がまたたいている。冬の夜の寒さは厳しい。ミカイはショールを脱いで薄い衣一枚の弟にかけてやった。
「姉さん、大丈夫だよ」
「いいのよ。ショールが無くてもこの着物一枚で十分暖かいの。しっかりと織り込まれた毛織物だから。宮殿で織られたものなのかしら。いくらお祭りのためといっても、小さなアイユの娘にこんな立派な着物を下さるなんて、皇帝さまって優しいのね」
ミカイは衣の生地をさすりながら、その贈り主を思った。
そのうち疲れから居眠りを始めていた。
アイユに近づくと、弟がミカイを起こした。大勢の人がたいまつを掲げてミカイを待っていた。皆、ミカイの姿を見ると大歓声をあげた。母親が真っ先に駆け寄ってミカイを抱きしめた。
「どうだったの? どうだったの?」
「ええ、無事に役を果たしてきたわ」
ミカイの言葉にまた皆が歓声を上げた。
「ご苦労じゃったな。わがアイユの名誉な娘よ」
長老に言われて、ミカイは自分が急に大人になったような気がした。