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邂逅(2)

 


 俺の頭の上で風花が大きな声でお気に入りの歌を歌っている。覚えたばかりでマイブームなのだろう。昨日も一日中その童謡をエンドレスで歌っていた。背の高い(くさむら)の中を風花を肩車して歩く俺も、思わず一緒になって歌っていた。すると、風花は負けじと大声を張り上げて、空に伸び上がって手を伸ばした。


「風花、楽しい?」


「たのしいーぃ。」


 力強くそう答えた風花に、ふとあのときの自分が重なった。あのとき俺は、あの男に肩車されてこの叢の中を進んでいた。そう、夢じゃない。確かにあの男の肩からこの景色を見ていた。


―― こんな場所に生まれて来て、幸せだな ――


―― うん! ――


 無邪気な年頃だった俺は全身の力をこめてそう答えた。男に担がれていなければまるで林のようだったこの叢も、今は腰の丈ほどしかない。

 叢を抜けて、一面に芝生のような草が生えた草原に出ると、風花は感嘆の声を上げて肩から下りたがった。


「遠くに行っちゃダメだぞ!」


 草地に下ろしたとたん、一目散に走り出した風花に声をかけるが、夢中になって駆けていく彼女には聞こえなかったようだ。しかしまだ幼いので、いくらもいかないうちに立ち止まってしゃがみこんだ。虫でも発見したのだろう。今度はしゃがみこんだまま、そこから動かなくなった。俺は、ほっとしてゆっくりと風花に近づいていった。

 島にいたときと、全然変わらないこの場所。誰に荒らされるわけでもなく、賑やかな潮騒の音と、強く吹きぬける潮風と、頭上の海鳥の叫ぶような声と、そしてチチ……と僅かな虫の声だけが聞こえる。

 懐かしさで胸がいっぱいになる。

 親に叱られたとき、姉や友達と喧嘩をしたとき、飼っていた犬が死んだとき、何か嫌なことがあると、ここへ来て雄大な景色と海風に慰められていた。


―― 島の人たちを裏切らないというのなら、俺たちが自分の目的を見失わないことじゃないか? ――


 そのとき俺は心を決めた。俺は二度とここへは戻らない。ふたたびここへ来るときは、目標に挫折したときか、すべての目標を達成して老いたあとだ。だからこれからここで暮らすことになる風花にこの場所を教えておこう。幼いときの俺と同じように、ここが彼女の心の拠り所となるように……。

 突然、しゃがみこんでいた風花が立ち上がり、向こう側を向いて歩き出した。彼女の歩く先には断崖がある。俺は焦って駆け出した。風花が俺から逃げるように走り出した。


「待て風花!そっちに行っちゃいけない」


 四歳児に追いつかないはずはないのに、何故か風花との距離が離れていく。必死で手を伸ばすのに、風花を摑まえることができない。


「ゆうにぃ!」


 風花がそう呼んで誰かに飛びついた。風花を抱きとめたのはあの男だった。幼い俺が出会った昔風の着物を着た長い髪の男。その男が誰だか今なら分かる。夢の中に出てきたカパックという男……。


「風花、ゆうにぃはこっちだよ!そいつから離れるんだ!」


 しかし俺の声は届いていないようだ。そのうえ俺の足はその場に根を生やしてしまったかのように全く動かなくなっていた。俺と、その先にいるふたりの間にはまるで透明のスクリーンが掛かっているように、向こう側が違う世界の出来事のように見えている。


 風花は男に向かって手を伸ばし、ぴょんぴょんと飛び上がる。男は風花の脇を持ち上げその体を肩の上に乗せた。男に肩車された風花がさっきと同じように空に手を伸ばして歌を歌っている。男もそれに合わせて楽しそうにリズムを取って、メロディを口ずさむ。男の表情は穏やかで優しく、幸せそうだ……。


 ふと思い出す。あの夢の男の人生を。地位も名誉もあり、自分の理想とする生き方を真っ直ぐに進んだ男。ただ叶えられなかったのは、家族を持つことと穏やかに暮らすこと……。もしもあの男の人生にその先があったのなら、彼はそれを望んでいたのかもしれない。その先があったなら…………。


―― 会いに行かなくては…… ――


 あのときの言葉が頭に蘇ってくる。それはミカイに逢うことを意味していただけではなかったのだ。あの男が会いたかったのは、その先の人生でもあったのだ。あの男……あれは自分自身。そして会いたかったのは今の自分であり、この先の未来だ。


 紺碧の空とその向こうの藍色の海と緑の大地が混じるその広場で、ひとしきりはしゃいでいたふたりだが、やがて男は風花をそっと肩から下ろすと、手を繋いでこちらに向かってきた。男は俺の目の前に来ても立ち止まらず、そのまま向かってきた。「ぶつかる」と目を閉じた瞬間、男の姿は消えていて、俺は風花の手を繋いで立っていた。


「帰ろうよぉ」


 風花がじれったそうに繋いだ俺の腕を大きく振った。


「ごめんごめん、帰ろうな」


 俺は風花の手を引いて、来た道を戻っていった。




 運命とは自分の想いが引き寄せるものなのだということを、それから半年経って知ることになる。

 相変わらず沖縄で研究を続けていた俺たちを、その日、国際学会から戻ってきたばかり教授が呼びつけた。


「君たちの出した仮説が、今国際学会で話題になっているんだよ。以前出した海水温の上昇のメカニズムと世界の気候変動についての論文だ。若いから随分と奇抜な説を説くものだと思っていたが、あの説を偉く気に入った学者がいてね。君たちを現地で観測を続ける国際チームに加えてみてはどうかと提案してきた。行ってみないか?」


「現地というと……」


「ああ、南米ペルーだよ。十年から二十年周期の観測だからな。行ったら日本には戻って来れないと覚悟しなくちゃならないが。でも研究を続けたいならこのチャンスを逃す手はないぞ」


 小町の住むペルーに俺を誘ったのはあいつなのだろうか。あいつだったとしても、あれは俺自身。俺は自らの運命を引き寄せて歩いていく。自分の理想とする生き方と、そして前世で叶えられなかった運命の人との再会の、どちらも手に入れるために。





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