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皇帝の弟(1)



 頭に戴く冠には、美しい七色の羽が揺れる。

 左右の耳たぶに大きく開いた穴に蓋をするように金の円盤がはめ込まれ、顔の両脇に重たく下がるそれらは、歩くたびにキラキラとまばゆい光を放って、 細い輪郭線と高い鼻筋をくっきりと映し出す。

 長身の体に、赤、青、黄、緑……鮮やかな色と複雑な模様が織りこまれた装束を纏い、まっすぐに伸びたつややかな黒髪を堅い組み紐で後ろにキリッとまとめ、長い朱色のマントをなびかせて、悠々と回廊を歩いていく。


 その姿は、宮殿の女性たちの間で大変な評判になっている。


『彼』はまだ若いのに、その物腰はいつも落ち着いて堂々たるものだ。

 武術に関しては人並み外れた腕前の持ち主で、それが彼の揺ぎ無い自信を作っているのかもしれない。



 時は十五世紀。現在の南アメリカ大陸の西側には、一人の皇帝の下に大きな国家が築かれていた。

『タワンティン・スーユ』―― 後の人が『インカ帝国』と呼んだ国である ――


 タワンティン・スーユはそのころ、歴代の皇帝の中でも特に有能で勇敢なことで知られる『パチャクティ皇帝』が治める黄金時代であった。

 パチャクティは若くしてその西方にあった大国チャンカを倒し、スーユの首都クスコを救った英雄である。人々を率いる能力に長けていたパチャクティは、皇帝に即位したのち、様々な伝統と制度を作り上げ、国家の形を築いていった。

 首都のクスコは繁栄し、沢山の人々で溢れかえる大都市へと発展していった。

 周辺の多くの部族との交流や融合をはかり、ときには武力を持って征服し、パチャクティ皇帝の下で、スーユの国土は飛躍的に拡大していった。

 

 『彼』とは、皇帝とはおよそ二十歳近くも年の離れた腹違いの弟だ。

 物心つく頃にはすでに兄は皇帝として君臨していた。その高貴で勇猛な姿を小さい頃からそばで見ており、兄の皇帝を敬愛してやまなかった。

 その影響か、幼いころから武術の修練にも学業にも熱心に取り組み、今ではあらゆる面で豊かな才能を発揮していた。


 『彼』は十六歳で成人の儀式を通過し、大人と認められた。それを機に、皇帝は『彼』を重臣として取り立て、『カパック・ユパンキ』という歴代の皇帝の名を与えたのだ。

 兄を敬愛するカパックはこれをとても誇りに思い、皇帝に生涯忠誠を尽くすことを約束した。


 カパックの仕事は、皇帝の名代として国家の祭事を仕切ることと、辺境の部族が反乱や暴動を起こすと、自ら赴いてそれを治めてくることが主だ。

 武術に関して宮殿内で右に出る者はなく、一人で四、五人を相手にしても負けないほどの彼だが、本来、真面目で温和的な性格なので、その腕前をひけらかすことも、力づくで他を従わせようとすることもなかった。

 部下たちは、年下でありながら彼には心から信頼を寄せていた。

 暴動を治めるために赴いた先でも、武力で解決しようとする事は滅多になく、友好的な話し合いで解決させることがほとんどだった。その人柄からか、どのような揉め事も、カパックが仲裁すると、不思議と平和的に解決するのであった。

 血の気の多い兄の皇帝は、ときどきそのやり方にやきもきさせられることがあったが、面倒な小部族の諍いを治めるカパックの貢献は大きく、彼を信頼して任せていた。


 カパックがこの仕事に従事して一年が過ぎた頃、スーユの国はますます大きく豊かになろうとしていた。



 クスコの街は、六の月になると、にわかに慌ただしくなる。

 一年で一番盛大な祭り、太陽の祭り(インティ・ライミ)が行われるからである。

 太陽の祭り(インティ・ライミ)とは、冬至に行われるお祭りで、一年の豊作に感謝するとともに、乾季(ふゆ)に入り太陽の遠ざかったスーユに再び太陽を呼び戻し、次の豊作を願う重要な行事である。

 したがってこの時期のクスコの街は、辺境の街からも村からも礼拝に訪れる人々でごった返すのだ。


 祭事を仕切るカパックは、六の月の初めから雑用で慌ただしく、多くの訪問者の対応にも追われて疲れ始めていた。

 ほかの仕事ではいかんなく才を発揮するカパックだが、各地の首領たちの接待だけは大変苦手で、何度経験しても要領よくこなすことはできない。

 皇帝の重臣とはいえ、まだ十七歳の少年。年配者たちの会話に長時間付き合っているのはとても苦痛だった。


 そんなある日、この時期には珍しく宮殿を訪れる訪問者がいなかった。好機とばかりにカパックは宮殿を抜け出し、街に出ようと企んだ。

 煌びやかな飾りをすべて体から外し、豪奢な模様の入った帯や着物を脱いで、どこから手に入れたのか庶民の普段着である麻袋のような貫頭衣をすっぽりと被った。

 最後に、貴族の印である耳にはめられた金の円盤を慎重に抜き、穴の開いた耳たぶは、長い髪の中にうまく隠して巻き上げ、頭の周りに麻のバンドをきつく縛りつけた。

 しかし着慣れない貫頭衣だけでは風が通って頼りなかったのか、さらに上から質素な模様の短いマントをまとって、青銅のピンで留め合わせた。

 庶民の男性が貴金属を身につけることはまず無い。質素な服を着て、女性のように金属のピンをつけたそのいでたちは、かなり奇妙であった。

 傍付きの召使いには、「インティ・ライミのために街に集まってくる様々な民族の様子を見ておくことも重要な役目」と言い訳したが、カパックには相次ぐ接待の疲れを癒すことが一番の目的だったのだ。


 カパックが街に出ると、その凛々しい顔立ちと奇妙ないでたちのちぐはぐさが目立ち、道行く人が何人も振り返った。しかし、ごちゃごちゃと人で溢れかえる街の中では、それ以上気に留める者はいなかった。

 クスコではふだん、(いち)が立つ場所は限られているが、インティ・ライミの前だけは違った。この機会に遠い地方から献上の品とともに運ばれてくるさまざまな珍しい産物が手に入る。クスコの広場や目抜き通りには、自分の土産をほかの物と交換しようと集まった人々が、おもいおもいの場所に品物を広げて呼び込みをしていた。


 そんな賑やかな(いち)の様子を見て歩いていると、たくさんの花を入れた籠を重そうに背負って歩く、ひとりの少女とすれ違った。すれ違いざま籠から覗いている花にはっと目を留めたカパックは、少女の行方を目で追った。

 少女は、籠を広場の端の空き地にドサッと無雑作に下ろし、ゴザを広げ、花束を並べ始めた。そして並べ終えるや否や、大声で花売りを始めたのだった。


「この花、高山でとれるとても珍しい花。飾って楽しむだけじゃあ終わらない。枯れたら乾かして酒に漬けておけば、打撲によく効く湿布になるんだ。

 さあ、買った。買ったー」


 美しい花の束と少女の元気な声で、小さな店にはぞくぞくと人が集まってきた。

 カパックも、人ごみの向こうからその少女の店を覗いてみた。


 かわいらしい顔つきに似合わず、どこかで丸覚えしたような威勢のいい台詞と、抑揚にひどく訛りのある言葉。

 人々は珍しがって、花は飛ぶように売れていった。

 物々交換のこの国。花籠には、代金の代わりのソラ豆や糸、ジャガイモなどが山盛りになった。

 最後に、干からびて売り物になりそうにない一束が残った。少女はその一束をソラ豆の中に放り込むと、さっさと店じまいを始めた。

 やっと人ごみもはけたので、カパックは少女に声をかけてみた。


「それはアプリマック川を遠く遡った高山の辺りにしか咲かないという、珍しいチャスカの花ではないか」


「あたし、この花の名前、しらない……。あんた、よく知ってるわね」


「……まあね。かなり険しい岩場に生えると聞いたが、誰が取ってくるのだ?」


「あたしよ。あたしひとりで集めてくる。

 母さんは弟たちの世話で忙しいし、リャマの放牧している父さんは、怪我で今、動けない。だから食べ物も手に入らない……。でも、お祭りのお蔭で食べ物が手に入った」


 カパックはしゃがみこんで少女の瞳をじっと見つめた。少女はこわがりもせず、恥ずかしがりもせず、じっとこちらを見つめ返してくる。あまり人に対する警戒がないらしい。

 黒い大きな瞳。日焼けして埃で汚れているが、きれいな顔立ちの少女だ。華奢な体つきで岩だらけの高山を登っていく姿はとても想像ができなかった。


「最後のその一束をくれないか?」


 カパックが聞くと、少女は何と交換するのか訊いた。

 カパックは服のあちこちを探ってみたが、交換できそうな物が見つからず、仕方なくマントを留めていた青胴のピンを差し出した。


「そんなもの役に立たない。だめよ」


 カパックは少し考えて、


「それじゃあ君の(アイユ)まで、その籠を持って行くというのはどうだ?」


 と、提案した。


「わかった。それなら……」


 少女が答え終える前にカパックは花束を受け取り、ピンでマントに留めつけると、籠をヒョイと持ち上げた。

 籠は思った以上にずっしりと重く、肩に食い込んだ。


「君。花だけなら軽いが、帰りに重たくなったこの籠をどうやって運ぶつもりだったんだい?」


「……考えてなかった」


 少女は屈託なく笑い、つられてカパックも笑い出した。





注)この物語の舞台は、南半球の国です。

  したがって、北は赤道に近くて暑く、南は寒いのです。

  季節も逆になります。

  日本の夏は冬に、冬は夏になります。

  四季はなく、雨季(夏)と乾季(冬)のふたつに大分されます。


  話が進むにしたがって、方角と季節の違いが多く出てきますので、

  念頭に置いた上でお読みください。


  

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