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果ての夢(1)

 私は暗い山道をひたすら歩き続け、彷徨っている。


 木々はいつものようにさわさわと優しく揺れてはいない。

 まるで覆いかぶさるように枝をきしませて、私の行く手を阻もうとする。

 いつも味方だった優しい山は何かに(いか)るように荒れ狂っている。

 大雨に打たれ、服も濡れそぼり、何度も滑って転んだので、足は傷だらけになった。


 それでも行かなくては、あの場所へ。彼の待っているあの場所へ……。


 私はようやく頂上の大岩の上に立った。

 しかしそこでがっくりと膝をついた。

 私と彼の思い出の場所……。チャスカの花の夢のような野原は今、あらゆる雑草が生い茂り、荒地と化していた。朽ちた老木が横たわり、尖った草が伸び、チャスカの小さな葉の陰すら見えない。


「ユタは、もう、いない……」


 私の中のかけらほどの期待が、音を立てて崩れ去った。

 

 もうどこを歩いているのか分からなくなっていた。

 ただただ、北の方角に向かって歩き続けた。

 しかし嵐はますます激しくなり、唯一の目印である太陽さえどこにあるのか分からない。

 何もかも見失って、ただひたすらに歩き続ける。

 服はボロボロになり、裸足の足は傷だらけになった。それでも歩いていくしかなかった。


 暗い山道の向こうに、微かに光が見えた。


「やっと、北の太陽のもとに着いた!」


 私は嬉しくて、最後の力を振り絞って駆け出した。


「ユターっ!」


 パアッと視界が晴れ、私の足は空の上にあった。


 ガクン!


 私の体は突然、物凄い勢いで下へ吸い込まれていった。

 そこは絶壁で、私は足を滑らせて転がり落ちたのだ。


 私の頭に、生まれから今までのことが凄いスピードで駆け抜けていった。

 父の顔、母の顔、兄弟の顔、アイユの人々の顔……。 


 そして最後に見えたのは、ユタの笑顔だった。


「さようなら……」


 私は覚悟して目を閉じた。



 誰かが私の体を包み込んでいる。

 懐かしい、優しい感触だ。母でも父でもない。でもとても懐かしい感触……。

 どのくらいの時が経ったのだろうか。神の国にたどり着いたのだろうか。

 薄く目を開くと、私をしっかりと抱えたままその人も意識を失っていた。

 まだ視界がぼんやりとしていて、その人の顔がはっきりと分からない。

 でも……。


(もしかして……)


 『ユタ?』


 私の呼びかけに、私を抱きかかえた人がうーんと低くうなって意識を取り戻した。  

 私の顔をじっと見つめる。


 私はもう一度、訊いてみた。 


『ユタなの?』

 

 彼が小さく掠れる声で訊いた。


『君は……、ミカイ?』


『やっぱり、ユタなのね!』


 私は彼の首にしがみついて泣いた。


『私たち、逢えたのね!』


『ミカイ。逢いたかった……』


 彼も私を抱きかかえる腕にぎゅっと力を込める。


(神の国に来たんだ……)


 私は彼の腕の中で安心した途端、再び意識が混濁していった。


(ユタが私を抱きとめてくれた。そして私は彼の腕の中で、温かさと幸せを感じていた。

 ユタに逢えた。やっと……)




「コマチ、コマチ……」


 懐かしい声が聞こえる。誰のことだろうか?

 違う国の言葉なのに、何故分かるのだろうか?神の国とはそういうところなのかもしれない。


 ゆっくり目を開くと、わたしは何か柔らかい物に寝かされていた。

 白い、狭い空が見える。

 そして見知らぬ女の人と男の人がふたり、私を覗き込んでいる。けれど、どこかで見たことがある顔なのだ。その格好はどこか異国のものなのに。

 でもユタがいない。

 私は覗き込む彼らに訊いた。


『ユタはどこ?』


 三人は驚いたように顔を見合わせ、さらに私に顔を近づけて言った。


「何を言っているの?小町?

 大変だわ。先生を呼んでこなくちゃ!」


 女の人がバタバタと走って行く音が聞こえる。

 私は、残った二人の男の人にもう一度訊いてみる。


『ユタはどこ?』


「小町、おかしくなっちゃたよ。親父!」


「小町? お前、何語を話しているんだ?」


―― 変な言葉を話すこの人たちは、一体だれ?

  ユタはどこなの?せっかく逢えたのに! ――


 私は体を無理やり起こした。全身が壊れるかと思うほどの激痛が走った。

 それでも起き上がって必死に辺りを見回す。

 

―― 全く違う世界だ。見たこともない壁に囲まれて空も土もない。

  ユタの姿もどこにもない。 ――


『ユタはどこに行ったの?』


 わたしが前より大きな声で言ったので、二人の男の人が困惑している。


―― どうしよう……。どこにきたんだろう。――



「小町? 小町?」


 何度も彼らに呼びかけられるうち、何かの記憶が段々と蘇ってくる。


―― 小町? ――


 色々な記憶がすごい勢いで頭の中を駆け抜けて行った。

 そのあと、ぼんやり何かが分かりかけてきて、突然、すべての記憶が鮮明になった。


―― そうだった!私は小町。花岡小町という名前! ――


「お兄ちゃん? お父さん?」


 私は二人に呼びかけた。


「ああ、よかった。ちゃんとしている」


 父も兄も安心して気が抜けたらしく、脇の椅子と床に崩れるように座り込んだ。


「先生、頭の打ち所が悪かったみたいで、目が覚めたんですけど、さっきから意味の分からない言葉を……」


 母だ。母が医者を連れてパタパタとスリッパの音を響かせながらやってきた。

 医者は起き上がっている私の手の脈を測り、胸に聴診器を当てた。慎重に体のあちこちを調べたあと、


「名前は言えますか?」


 と訊いた。


「はい。花岡 小町です」


 すると医者はにっこりして、母のほうを向き直った。


「お母さん、良かったですね。もう大丈夫ですよ」


 母が頬に手を当てて涙を流す。


「ああ良かった。小町。大丈夫なのね」


「うん、お母さん」


 見ると、手足にも身体にもこれでもかというくらい包帯が巻きつけられている。頭も幾重にも包帯が巻かれているようで、顔が窮屈で重たい。


「私、一体どうしたの?」


「登山中に転落事故に遭ったのよ。覚えていないの?」


 母の顔がまた曇った。


「きっと転落の途中から意識がなくなってしまったのでしょう。他の事は分かるようですから、頭の方は大丈夫ですよ。

 それよりまだ安静にしていなくてはいけませんよ」


 医者が母に説明しながら、私の身体を慎重に抱えて横たえた。

 仰向けになって白い天井を見つめながら、思考を巡らす。



―― 転落事故って?


 その事故の途中で、あの変な夢と記憶が一緒になってしまったのかなあ。

 それにしても、今回のはあまりに鮮明で長い夢だった。

 それじゃあ、あの人も夢なの?

 私の事を『ミカイ』と呼んだ。今もまだ切ないくらいに覚えている。


 そうだ。

 夢の中で私はどこか違う国のミカイという娘で、ユタという青年と恋をしたのだ。

 でも別れ別れになって……。

 それでも逢えると信じ、彼を探して彷徨いつづけ、やっと逢うことができたのだ。


 最後にユタに抱きかかえられた私は、確かにひとの温もりを感じていた…… ――


 私は痛みに耐えながら、ユタという彼にしがみついていた腕を上げた。そして掌を広げ、それをじっと見つめた。


―― この手にまだしっかりと感触を覚えている。――


 なんだか分からないけれど、涙が溢れてくる。

 突然泣き出した私に、家族はまたオロオロし始めた。

 でも私の中の切ない気持ちはあとからあとから溢れ出してきて、涙を止めることができない。


―― ユタに逢いたい! ――





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