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風になって(3)



 遠い北の地で命を終えたカパックの魂は、スウッと吹いてきた北風に乗ってクスコの街へ飛んでいった。美しい石造りの建物が整然と並んだクスコの街は、以前と変わらない姿でそこにあった。やわらかい高原の空気がカパックの中に郷愁の想いを溢れさせた。


 彼には確かめなければいけないことがあったのだ。


 懐かしいクスコの街に着くと、宮殿の辺りを吹き抜けて皇帝の姿を探した。しかし宮殿にも神殿にも皇帝の姿は見当たらなかった。


 今度は南風に乗り、クスコの北の郊外を目指す。兄が晩年のために建設していた離宮、『風の宮殿』の方角だ。


 クスコの北には深い渓谷と緑なす山々がいくつも連なる。いくつかの山の頂を越えた先の、ある山の頂に『風の宮殿』が姿を現した。

 下界から隔てられた険しい山の頂を覆うように、見事な石造りの建物がいくつも並んでいる。皇帝の別邸の『宮殿』ではあるが、ひとつの街といえるほど多くの建物と畑が造られ、何人もの人々が賑やかに行き交っていた。

 まだ建設途中の建物も多く、周りには切り出した大岩が転がっている。

 天を突き上げるように聳える山の頂上に建てられたその街は、どこよりも天に近く、強い太陽の光に照らされて神々しく耀いていた。

 そこは、国を背負って生きる皇帝の唯一の癒しの場であった。


 その街の中でもとくに目立つ真新しい石造りの建物。高い塔のようなその建物は、街を見守る神殿だ。

 果たして皇帝はその建物の中に居た。眩く耀く黄金の太陽神像の前にひとり跪き、静かに祈りを捧げている。


 高窓から吹き込むそよ風とともに神殿に入り、カパックは皇帝の周りを漂った。皇帝の心の呟きがカパックに伝わってくる。


(カパック……。ユタよ……。

 何故お前は邪神に心を奪われてしまったのだ。最も近くで、父なる太陽と私のために活躍することを期待していたお前が、何故……。

 いやしかし、私とお前が普通の民の兄弟であったのなら、たとえお前に恐るべき雷神の力があったとしても、お前を敵とはしなかったであろう。ときに衝突することがあったとしても、共存していく方法を模索していたであろう。

 皇帝である私は、大勢の民の訴えに逆らうことができなかったのだ。国を背負う皇帝という立場から最後にはお前を追い詰めることしかできなかったのだ。

 わが子同様に大切に育て、最も期待を寄せていたお前を、私自身が滅ぼすことになろうとは思わなかった……。

 お前の亡骸に復活の祈りを捧げてやることさえできない愚かな兄を赦してほしい。

 愛する弟よ……)


 カパックは、あれほど慕っていた兄自らが自分を滅ぼそうとしたことが何よりも悲しく、納得できなかったのだ。兄に(かたき)と見なされたことが、どうしても赦せなかった。

 しかし今、兄が自分を本当は愛してくれていたことを感じ、ようやく安堵した。

 偉大な兄が、神像の前に小さく蹲るようにして自分のために祈りを捧げている姿を見ると、彼はようやく穏やかな気持ちを取り戻した。そして静かに高窓から出て、優しいそよ風とともに『風の宮殿』を後にした。



 彼にはもうひとつの気がかりがあった。ミカイだ。

 彼女が元気でいてくれたら、そのまま透明な空気に溶けて天に昇って行くはずだった。

 やがて緋の谷にたどり着いたカパックは辺り一面を吹き渡った。


 しかし彼女の姿はどこにも見えない。


 カパックは少し強いつむじ風となって、焦って彼女を探し回った。

 緋の谷のアイユの片隅に群がっているアイユの人々が見えた。その中心にいるのはミカイの家族だ。


(どうしたというのだ?)


 耳を澄ますカパックに長老の声が聞こえた。


「神よ。山で命を落とした哀れな娘、ミカイの魂をお救いください」


 それはミカイの葬式だったのだ。この途端、カパックの心は引きちぎられるように痛み出した。


 ―― オオオオーン ――


 ものすごい音を立ててカパックは大きなつむじ風となり、アイユの草を一気に空へと吹き上げた。そのまま勢いを増し、つむじ風は山のほうへ流れていった。

 山ではその風はますます強く吹き荒れた。


 カパックの魂を運ぶ風は、彼が嘆くたびに山々に大嵐を巻き起こした。彼がどんなに叫んで探し回っても、ミカイをみつけることはできなかった。

 その後もしばらく山々には大嵐が続いた。麓の人々はみな、その風の音がまるで誰かの激しい嘆きのようだと感じていたのだった。





第二部 完


第三部へと続きます。

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