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大地の衝突(1)



 カパックの軍はワヌコの街を後にした。


「ワヌコの国は本当にもう大丈夫でしょうか?」


 ワヌコを発ってからしばらくして、アリン・ウマヨックの代わりとしてカパックに付き従って歩くクッチが心配そうに訊いた。


「そうだな。まだ厳しい生活は続くだろうが、水さえあれば段々ともとの力を取り戻していけるだろう。私たちを見送ってくれたワヌコの民の顔は、初めて見たときとは全然違っていた。必ず美しい国に生まれ変わっていくだろう」


 クッチがプッと口に手を当てて笑った。


「なんだ?」


 カパックは怪訝な顔で振り返る。


「カパックさまは北の遠征に出て以来、何か神がかっていらっしゃる。まるで人々を救って歩く万能の神『ビラコチャ』のようですよ!」


『ビラコチャ』とはスーユの皇帝の祖先であり、創世主とされる神のことだ。

 伝説では、ビラコチャ神は広い大地を旅しながら、それまで原始的な生活をしていた人間に秩序と知識をもたらしたとされる。


「ははは……。そんなに偉い神に成れていたら、私はこんな危険な道を地道に歩くこともないだろう」


「なるほどー。それもそうですなあ」


 北に進むにつれて道は益々険しくなっていった。切り立つような山々が折り重なるように続き、渓谷はその底が見えないほど深く、山の斜面にわずかな足場を見つけて渡っていくしかない。先にこの奥地に分け入ったワイナ軍が進んだ跡を辿って、カパックたちも慎重に慎重に進んでいるのだ。

 しかし少しでも気をゆるせば奈落の底にまっさかさまに落ちていってしまう。北方の谷は深く深く入り組んで侵入者を寄せ付けようとしない。命が惜しくばここで引き返せと警告しているかのようだった。


 命掛けの行程を経て、険しい断崖の道がようやく終わりを告げ、はるか向こうになだらかな谷間が見えてきた。険しい山の道は緩やかな下りになって、カパックたちをその広い場所へと導いた。

 両側は相変わらず険しい山に挟まれているものの、その谷間は今までとは違う広い河原であった。ようやく平地に降り立って、兵士たちは今までの緊張が一気にほぐれたようだ。

 河原で小休止を取り、こんどはその谷間の道を北上していった。


 河は蛇行し、ときどき変化に富んだ地形を見せるものの、人が通れるほどの広さのある河原は奥地まで続いているようだ。険しい断崖の道を進むよりはよほど早く進める。


 河沿いの道をかなり奥へと進んでいったところで、天幕を張る大勢の兵士の姿が見えて来た。そこにはワイナ将軍と彼の軍隊が陣を張っていたのだ。


「おお、カパック! これから遣いをやるところだったのだ」


 カパックの姿を見つけて、ワイナ将軍が駆け寄ってきた。ワイナの表情から緊迫した様子が窺える。


「どうされた?ワイナ殿」


 ワイナはカパックの両肩を掴んで力を込めた。


「よく聞け。数日前から北方の国々の様子が変わった。

 ティムーがクイスマングやその付近の国々と団結し、兵を挙げたのだ。

 偵察の話では、連合軍はティムーとクイスマングの国境辺りに集結している。準備が整って出発すれば、早ければ十日ほどでこの谷に近づくであろう。

 われわれはクイスマングの周辺の部族を介してその動向を探ってきたが、北方ではティムーやクイスマングに絶対的な信頼を置いている部族が多い。南下してくる先々でティムーの同盟者はさらに増えるだろう。そうなればその規模は我々の軍など比較にならない。真正面から勝負しては歯が立たないだろう」


 カパックはワイナの話を固唾を呑んで聞いていた。


「しかしその一方で、味方も多く得た!」


 ワイナが兵士たちを指示すとその中には、クスコの衣服とは異なったものを身につけた人々が何群か混じっていた。


「この周辺の部族だ。スーユの贈り物を喜んで受け取り、スーユの配下になることを承諾してくれた」


 ワイナは調査をしながら周辺民族の説得も行っていたのだ。ティムーに味方する部族が多い土地で、それはまさに命掛けの行動だった。しかし苦しい飢饉にあえぐ小国は、スーユからの恩恵を期待して同盟を結ぶ者も少なくなかったのである。


 ティムーは大昔から栄える大国である。彼らのプライドが、スーユと同盟を組むことを良しとしなかった。そしてその驕りからスーユの領土など力づくで奪うことができるだろうと考えたのだ。

 残された道は全面対決しかなかった。


「クイスマングとティムーは暑い地域での戦いに慣れています。

 これ以上北に進めば我々が不利になります。できればここで敵を一気に討ちたい」


「しかし、早く先に進んで連合軍が多くの味方を付ける前に討ち破ったほうがいいのではないか」


「これ以上進めば反対にスーユの兵士たちが暑さでやられ、戦える兵士の数が減るでしょう。どちらにしても真正面から対決するのは不利です。ティムーが自ら出向いてくるのです。それこそ我々が望んでいたことだ。ここで作戦を立てて迎え討ちましょう」


 今までとは違い、強気な姿勢を示すカパックを、ワイナは意外な顔で見つめながら言った。


「しかし両側を険しい山に挟まれたこの渓谷で、いったいどういう作戦が立てられるというのだ……」


 そのときカパックの頭にあったのは南方へ向かう途中で奇襲をかけてきたチャンカの戦士たちだ。彼らは山を巧みに利用して戦いを仕掛けてきた。


「アンコワリョの知恵を借りるのです。チャンカ族は地形を利用したさまざまな戦い方を知っている」


 

 陣の中央に張られた天幕の中で、両将軍とその側近たちが顔を揃え、アンコワリョの話に真剣に耳を傾けていた。


「このような渓谷では、両側の山の上から奇襲をかけるのが有効です。軍が大きければ大きいほど、奇襲をかけたときに、敵は身動きが取れなくなる。混乱に乗じて敵陣の中央になだれ込み、敵の大将を狙うのです」


「すると、ここはその作戦に最も適した場所ということだな」


 ワイナが天幕の隙間から、両脇にそそり立つ崖を見上げて言う。


「その通り。しかし一気に崖を駆け下りるのは、訓練を積んだ戦士にも難しい。奇襲をかけようと下っていっても、敵にたどり着かずに転げ落ちたり、何の策もなく敵陣に飛び込んでも無駄死にするだけです。

 奇襲はわれわれチャンカの戦士が請け負いましょう」


「しかし人数が圧倒的に足りないではないか」


 ワイナはアンコワリョを睨みつけた。


「スーユの最大の武器は、石を切り出し加工する技術。それを利用します。この渓谷の狭まった場所に岩を積んで防御壁を作り、敵軍の前進をくい止めます。前方を塞がれ立ち止まった軍に、上から岩を降らせるのです。その後、渓谷の両側から我々が奇襲をかけます。スーユ軍は、谷の手前と防御壁の向こうに分かれて忍び、敵軍の混乱に乗じて、前方と後方から敵を挟み討ちにするのです」


「壮大な作戦だな」


 睨みつけていたワイナは、感心して頷いた。

 カパックは心配になって聞く。


「しかしここにいるチャンカの戦士の多くは若い。戦いを経験したことのない者が多いのではないか?」


「チャンカ族は、戦いに関してはあらゆる知恵を絞り身を挺して臨みます。若い戦士たちも父親たちからその戦い方を学んできています。不幸にも実践の場を与えられなかった戦士たちはここで喜んで活躍するでしょう」


 かつて宿敵だった部族にも、生き抜くために受け継がれた伝統があったのだ。彼らは今、その伝統を自分たちを滅ぼした部族のために使おうとしている。


「アンコワリョ、その作戦を使わせてもらおう。

 命運はチャンカの戦士たちにかかっている。しかと頼んだぞ」


「はい。もちろんですとも!」


 アンコワリョは胸を叩いてみせた。




 その数日後、いよいよ敵軍が南下を始めた。

 偵察の者たちは、驚くべき速さで中継地点を繋ぎながら、いち早い情報を持ってきた。

 また数日後の報告は、さらに深刻さを増していた。


「北方の主だった部族が続々とティムー軍に合流しています」


 報告に急かされるように、防御壁の工事と崖の上の大岩の設置が進んでいく。その早さと技術は見事なものだ。見る見るうちに谷間に巨大な防御壁が立ち塞がった。


「カパックさま、防御壁と大岩の準備は万全です。しかし果たしてこのようなもので、本当に敵の大軍に打ち勝つことができるのでしょうか?」


 工事を指揮するワラッカは自分の技術に自信を持っているものの、見たことのない敵軍の襲来を恐れた。


「わが国の石を扱う技術は他に類を見ない。なかでも一流の技術を持ったそなたがこの工事を指揮したのだ。この壁は滅多なことでは破られないであろう。そしてチャンカの戦術と我々スーユ軍の戦力を持ってすれば恐れることはない!」


 カパックはそう励ましながら、自らをも奮い立たたせていたのだ。



「ティムー王が自ら出征してきました」


 偵察隊は、敵の大軍の中にひときわ映える黄金の鎧をつけ、立派な輿の上に乗った『王』の姿を発見した。金銀の豊富なティムーの王族は、全身に黄金を纏い大きな黄金の冠を被っている。多くの兵士が担ぐ輿に乗るのは王だけに許された特権だった。


「明日にはこの谷に到着するでしょう!」


 丁度そのとき、リワ王女を見送ったあとすぐに援軍に向かっていた北の砦の兵士たちが、今まで併合してきた部族や、王自らが率いるワヌコの兵士たちを伴って到着した。

 リワ王女に付き従った兵士を除くスーユの全軍が集結し、さらに味方につけた部族も参戦して、クイスマングとティムーの連合軍に劣らない大軍隊が集結した。


「いよいよだな。決戦を前に軍の心をひとつにするのはお前の役目だ。カパック」


 ワイナはカパックに黄金の矛を握らせると、集まった全軍を見下ろせる大岩の上に立たせた。カパックはぐるりと自分を取り囲む軍を見回すと、矛を天に向かって突き上げ、声を張り上げた。


「とうとうこのときが来た! 相手がいくら大軍であっても、我々は知恵と技術を持って準備してきたのだ。恐れることはない!

 我々、タワンティン・スーユ軍は、この谷で北方軍に必ず勝利する!」


 カパックの言葉に、兵士たちはそれぞれの武器を振り上げて、谷が揺らぐほどの雄叫びを上げた。




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