表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/62

ワヌコの国(1)

 カパックたちの開拓した村からさらに渓谷を北上していくと、低い丘に囲まれた広い盆地に行き着いた。

 四方を丘に囲まれているものの、その中央は広大な平原で、そこには木や泥レンガで造られた壁に藁の屋根を葺いた家が、放射状に伸びる通りに沿って無数に並んでいる。

 放射状の通りが集約するのは中央の小高い丘で、その上には石造りの立派な王城が建っている。

 それがワヌコの王が住む城だった。


 ワヌコの街に入り、まっすぐに王城に伸びている通りを歩いて行くと、そこには砦近くの村で見たのと同様の光景が広がっていた。

 街が大きいだけに飢えて苦しむ人の数も多く、目を覆いたくなる有様だ。人々はやせ細り、虚ろな目をして家の前に座りこんでいる。通りの隅にはミイラと化した遺体が何体も転がっている。乾いた黄色い土ぼこりが、建物にも人々にも、そこらじゅうに転がる遺体の上にも降り積もり、街全体が黄色く霞んで見えていた。

 カパックは、両側に広がる悲惨な光景に眉をひそめながらも、まっすぐに王城のある丘へと向かっていった。打つ手も見つからない今は、まずは王に会って話をしなくてはいけない。しかし一刻も早く何とかしなくては……とカパックの中で焦りが生じていた。


 丘を押しあがってくる大規模な軍隊に、王城を守る兵が急いで集まってきて、一斉に槍を突き出した。


「お前たちは、何者だ!」


「我々は南方のタワンティン・スーユの軍だ。

 我らの領土を侵そうとしたワヌコ軍と戦い、ワヌコ軍を打ち負かした。大将は捕らえ、軍は我々に降伏した。もはやこの国を守る軍は存在しない。我々はワヌコの大将の願いでワヌコの復興に力を貸すためにやってきた。

 おとなしく道を開け、王城へ案内せよ」


 アリン・ウマヨックは、ワヌコの大将から託されたその証の首飾りを見せて番兵に告げた。番兵はその話とスーユの大軍隊に恐れを成し、慌てふためいて王城の中へと案内した。

 カパックは軍を王城の外に待機させ、アリン・ウマヨックと護衛の兵とともに兵に付いて中へと入った。


 石造りの王城は、手前に彼らの崇拝する神を祀った神殿、その奥に王の住まいである宮殿と、ふたつに分かれていた。

 王は神殿にいるらしく、兵はカパックたちを神殿の建物へと案内した。

 神殿の一番奥の間で、まだ若い王が、彼らの守護神であろう動物を(かたど)った神像の前に跪き、祈りを捧げていた。

 カパックたちが神殿に入っていくと、王は慌てて振り向き、近くにあった槍を手に取って構えた。

 カパックは王の前に静かに進み出てうやうやしく跪き、頭を下げたまま王に向かって話し始めた。カパックの言葉をアリン・ウマヨックがワヌコの言葉で通訳する。


「我々は南方のタワンティン・スーユの国の軍です。貴方の国の軍を討ち、こちらにやってきました。

 ワヌコ軍の大将は降参し、スーユに忠誠を誓うと約束しました。その代わりとして、私たちがワヌコの街の復興を手伝う事を約束してきました。

 お力になりたいと思います」


 ワヌコの王は悲痛な表情になった。


「ぐ、軍は全滅したのか?」


「いえ、半数の兵は生き残り、捕虜としてスーユの都に送りました」


 王は、怒りからか絶望からか、小刻みに震えていた。


「一体、この国をどのように復興させるというのだ?水も食糧も何もないというのに……」


「私たちは、灌漑工事の技術を持っています。できるだけのことをやってみましょう」


 王は突然現れた怪しい異邦人を鋭い目つきでじっと睨みつけていた。槍の先は今にもカパックを突こうとしている。

 カパックはひるまず顔を上げると、真剣な眼差しをまっすぐ王のほうに向けた。

 しばらく睨みあっていた二人だったが、王は突然、槍をガランと床に捨てた。


「もはやわれわれに味方する軍はいない。ここで抵抗したとて無駄死にするだけだ。

 ご覧のとおり、この国にはそなたたちが奪い取って得するような物はもはや何もない

のだ。

 そなたのことを信用したわけではないが、そなたの思うようにするがよい」


 王は崩れ落ちるように床に腹這いになると、うなだれた。

 カパックはさらに王に近づいて誓った。


「今は敵だと思われるのはもっとも。

 しかし我々も同じ人間です。苦しむ人々を平気で踏みにじる真似は決していたしません。

 天が我々に味方してくれるかどうかは分かりませんが、できる限りの力を尽くすとお約束いたしましょう」


 王はゆっくりと顔を上げると、(やれるものなら、やってみるがいい)というようにカパックを睨みつけた。


 次の日からワヌコの街の周辺の調査が始まった。

 前の村のように険しい場所ではないが、街が大きいために、全てを潤す水路の整備、その水をどこから引いてくるのかがとても大きな問題だった。兵士たちは街の周辺の地理を念入りに調査した。

 ワヌコは高原にあり、周りを小高い丘が囲んでいる地形で、山の水脈から水を引いてくることはできない。ワヌコを流れる川はほかと同様、干上がってしまっている。

 しかし、ワヌコ郊外の山の向こうに調査に行ってきたアンコワリョたちが有益な情報を持ってきた。


「カパック殿! あの山の向こうに大きな湖がありますぞ。少し距離がありますが、時間をかければ水路をひけるのではないかと!」


「そうか! まずその工事に取りかかりましょう!」


 ワラッカがポンと手を叩いた。


「ということは、山に穴を通すのですか?」


 慎重なアティパイが怪訝な顔で尋ねた。


「そうだな。それしか考えられない」


 カパックが言った。


「かなり難解な工事ですな」


 スンクハも腕組みをして難色を示している。


「クスコの労働者が早く着いてくれればいいのだが……。

 だがそれを待っていることはできない。ここにいる兵士たちで出来る限りのことをやってみよう」


 急ぎ、ワラッカの元にクスコの灌漑工事に関わったことのある兵士たちが集められ、この大規模な工事の計画が練られた。


「湖の方角から水路を築き山に穴を掘る隊と、街の方角から山に穴を掘る隊に分かれ、できる限り早く穴が通じるようにする」


 カパックは計画に従って早速兵士たちを分け、指示を出した。

 

 ワヌコの街の者たちは、突然やってきて総出で街に堀を作り始めた兵士たちに、最初の怯えた視線ではなく、何か奇妙なものを見るかのような視線を向け始めた。


『なんだ、あいつらは。敵ではなさそうだが、変なことを始めたぞ』


『何かの呪術ではないのか?』


『この苦しい街に、また厄介な人間が入ってきたもんだ』


 ワヌコの人々はカパックたちの行動を不審に思いながらも、遠巻きにその様子を伺っていることしかできなかった。


 アンコワリョとチャンカの兵士は、山の向こうの湖から水路を伸ばし、山に突き当たるとトンネルを掘って水路を通す役目だった。ハトゥンの率いる兵士たちは、街の方から水路を築き、チャンカ人と反対方向からトンネルを掘り進んでいく。ふたつの隊が出会ったときに、そのトンネルが開通するというわけだ。

 ワラッカの率いる隊は、ひたすら石を切り出し、平らにしては運ぶ。それは水路を丈夫にするために敷くためのものと、トンネル内の岩盤が崩れないよう補強をするためのものだった。

 アティパイの隊は、街から緩やかに山に向かって伸びる傾斜面に、砦近くの村に築いた物と同じ階段状の畑を築いていった。

 スンクハの隊は、山を越えて湖から水を運び、野山にいる動物たちを捕まえたり、野草を採ったりしながら、ワヌコの市民やスーユの兵士の食糧を調達した。


 工事は休みなく、何日も何日も続けられた。立派な水路や畑が少しずつ形を成していく度に、ワヌコの街の様子も変化していく。

 やがて、スーユの兵士たちに不審な眼差しを向けていたワヌコの街の人々も、毎日必死になって水や食糧を調達する姿や、汗を流して大掛かりな工事に取り組む姿を目にする度、この不思議な異邦人に親しみと感謝を感じるようになっていったのだった。そして、もしかしたらこの異邦人たちが自分たちを救ってくれるかもしれぬという期待が、瀕死の状態であった人々に生きる希望を与え、彼らの命を永らえさせていたのだ。


註)


カパックの征した部族は、記録書(クロニカ)では

『ワンカ』という名のものがあります。

しかし、チャンカなどと似た名前になってしまうため、

この物語では、実際に現在でも残っている地名『ワヌコ』を使いました。

しかし、実在の土地とはまったく関係ありません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ