雷(いかずち)の力
迫り来るワヌコ軍の様子を、毎日偵察隊が交替で報告してきた。
敵軍の規模はかなり大きいと思われる。ワヌコは小国だが、生き残るか滅びるかという岐路に立たされている彼らは、兵士のほとんどを結集し、何とかして南の土地を奪い取ろうと考えたのだろう。
今のカパックの軍は半数が砦に残っており、さらに他の地に偵察に出ている兵士もいるため、ワヌコ軍とは互角と思われる。ましてや慣れない暑さと厳しい労働のあとで兵士たちの体力も心配される。正面から対峙すればスーユ軍には不利だということは明らかだった。
奇襲をかけて敵を混乱させるのが一番有利だろう。しかし木の少ない乾いた渓谷では、陰に潜んで奇襲をかける場所がない。
「集落の家々の陰に潜んで、敵を十分に引きつけてから一気に攻撃を仕掛けましょう」
アリン・ウマヨックが提案した。
「しかし決して家屋と畑を破壊してはならない。奇襲をかけたら、すぐさま敵を河原まで追いやるのだ」
カパックは部下たちに念を押した。
敵襲に備えて、集落の民はすべてスーユ軍の陣に移動させられた。住民たちは抵抗する気力もなく素直に兵士たちに従った。
スーユの兵士たちは無人になった集落の家の陰に潜んで敵が通るのを待った。
それからほどなくワヌコ軍が集落の入り口へと押し寄せてきた。
ワヌコの大将は集落に人気がないのを見て廃村だと思ったらしく、特に注意を払うことなくザクザクと列になって入り込んできた。
「いまだ!」
ワラッカの合図で高台にある家に潜んでいた投石部隊が飛び出し、一斉に石を放った。
突然降ってきた石の雨に打たれてワヌコ軍の先陣が次々と倒れていく。それを見て後続の兵士は仰天して立ち止まり、周囲を見回した。
その瞬間、他の家に潜んでいたスーユ兵が一斉に飛び出し、ワヌコ軍に襲い掛かっていった。
前方にはアティパイの率いる部隊が槍を向け、進路を妨げている。仕方なくワヌコ軍は河原へと駆け下りて行った。
集落を飛び出したスーユ軍は河原へ逃げるワヌコ軍を追いかけた。
河原では、カパック率いる残りのスーユ軍が、ワヌコの兵たちを待ち構えていた。挟み討ちにあったワヌコ軍は必死の抵抗を始めた。
広い河原では、ワヌコ軍もスーユ軍もそのうち散り散りになり、広範囲で戦闘が始まった。
スーユ軍は敵を河原まで押し出す作戦には成功したものの、軍の規模は変わらないため河原の戦闘ではどちらも互角だった。長い時間、どちらとも勝敗のつかない戦いが続く。
やがて敵の軍勢は、身につけている物からカパックが大将だと分かったらしく、カパックに狙いを定めて群がってきた。
カパックは、後から後から襲ってくる敵を身軽にかわし、次々となぎ倒していった。
それでも敵は執念深くカパックの首を狙って襲ってくる。後を絶たずに襲ってくる敵は、徐々にカパックの体力を消耗させていった。
そのときだった。
斧を持つ右腕に敵の投げ槍が当たり、カパックは右手の自由を奪われてしまった。
「くそっ!」
カパックは素早く右手の槍を抜くと、左手に斧を持ち替え、また敵に向かっていった。
しかし利き手でないほうでは今までのように思うように戦えない。これは大変な不利となったが、それでも彼はひるまずに勇敢に戦っていた。
戦い続けるカパックの左手が痺れ始めて来た頃、ひときわ大柄の兵士がカパックめがけて突進してきた。
瞬間カパックは、左手が燃えるように熱くなっていることに気付いた。ドクドクと脈打つのが感じられ、後から後から左手にエネルギーが流れ込んでくるような感覚がした。
「なんだ、この感覚は!」
カパックが思うが早いか、力を爆発させた左手の持つ斧は、向かってきた巨漢の頭を一瞬で砕いていたのだ。
その勢いにのって、左手がまるで暴走するようにつぎつぎと敵をなぎ倒していく。カパック自身も左手のその膨大な力に驚き、怯えた。
ふと、キータの言葉が頭によぎった……。
―― 雷神の祝福 ――
その時斧の柄がカパックの左手の力に耐え切れなくなり、折れてしまった。
「これは、もしや……」
カパックは、いちかばちかの賭けに出ることにした。
壊れた斧を投げ捨て、襲ってくる敵をなるべく沢山ひきつけると、突然戦地を外れ、広い河原のはるか向こう側にそそり立っている断崖を目指して走り出した。
武器を捨てて逃げ出した大将を捕らえる絶好の機会だ。敵は湧き上がって一斉にカパックの後を追い始めた。
「カパックさま!」
味方の兵士たちがカパックを助けようと、それを追いかけた。
「皆の者! 来るなー! そこに止まれー!」
カパックの叫び声が谷にこだました。
スーユ軍はカパックの必死の命令を聞いて、思わずその場に立ち止まった。
逆に敵はこれを好機とばかりにますます勢いづいた。このまま無防備のカパックを捕らえれば勝敗は決まる。
カパックを追う敵の群集から歓声とも取れる鬨の声が上がる。
とうとうカパックは断崖に追い詰められた。敵の方を向き、彼らを十分に引きつける。
断崖は下方がえぐられるような形になっており、カパックが入り込んだ窪みの上には巨大な岩盤がせり出していた。
あと少しで先頭の敵がカパックに触れようかと思われたとき、カパックは渾身の力を込め、左手の拳で背後の岩壁を叩いた。
ズ、ズドドドーン・・・・・!
その途端、頭上の岩盤がまるごと剥がれ落ち、巨大なナイフのように地面に突き刺さった。衝撃で分散した、それでもなお巨大な岩盤は、立っている敵の頭上につぎつぎと降りかかってきた。
カパックを追ってきた大勢の敵の姿は、大量の瓦礫と真っ白な埃の渦の中に忽然と消えてしまった。敵とともに、カパックの姿も見えなくなった。
兵士の半数以上を一瞬で失ったワヌコ軍は、あまりのことにただ呆然とその光景を見ているしかなかった。そして、カパックを見失ったスーユ軍も・・。
両軍はもう戦うどころではなく、その有様を誰もが立ち尽くして眺めているだけだった。
ところがしばらくして、瓦礫の山の向こう、まだもうもうと立ち込めている土埃の中にうっすらと人影が見えた。
カパックが左手で頭を覆いながら、瓦礫を乗り越えてこちらへ向かってきた。
「カパックさま!」
スーユ軍は歓喜し、残されたワヌコの兵は皆、その場にへたりこんだ。
残されたワヌコ軍はもう抵抗はしなかった。アティパイたちに槍を突きつけられながら、素直にスーユ軍に従い、ひとつの場所に集められた。
ワヌコの大将が、カパックを睨みながら聞いた。
「あなたは一体、何者だ?」
アリン・ウマヨックがその言葉を訳して伝えると、カパックがそれに答えようとした。
「私は……」
カパックが口を開いたその時、いつの間にか空に立ち込めていた黒い雲から雷鳴が轟いた。そして突然滝のような大雨が一気に降り出した。
「私は、南方のタワンティン・スーユの将軍、カパック・ユパンキだ。」
「あなた方がタワンティン・スーユの軍隊なのか。噂どおり我々の手に負える相手ではなかった。しかしそれ以外にも、貴方の背後には強大な力を感じる。われわれはもう逆らう事はしない。すべて貴方に従おう。」
ワヌコの大将は、他の兵士たちとともに捕虜となってクスコへ向かうことを承知した。
「ひとつだけ、頼みを聞いてはもらえないだろうか。
軍が捕らえられたらワヌコはスーユに従うしか方法はない。王がスーユの支配を受けることを承諾したときには、スーユの力でワヌコの街をなんとか復興させてほしい。
今、ワヌコの民は干ばつで苦しんでいる。どうか民を救っていただきたい」
ワヌコの大将は集落のほうに目を遣り、カパックたちの造り上げた見事な段々畑を見上げてから、深く頭を下げた。
「分かった。引き受けよう」
カパックはワヌコの大将に約束した。
突然降り出した大雨で、カパックたちの造った水路に水が勢い良く流れ出した。
水路から溢れんばかりの水は、広大な畑全体を次々に潤していった。
丁度、スーユの陣に隠れていた住人たちが、戦いの終わりを伝えられ、その上久し振りの大雨に大はしゃぎしながら集落に帰ってくるところが見えた。