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再会(1)



 街は乾季(ふゆ)を迎えようとしていた。

 もうすぐ太陽の祭り(インティ・ライミ)がやってくる。


 

「ああ、なんという試練だ……」


 頭を抱える若い神官に、同僚の神官が話しかける。


「不運だったな。いや、神に指名されたという幸運ではないか。こうなったら腹を括ってしっかり役目を全うするのだ」


「何と無責任なことを。昨年のことを覚えていないわけではなかろう。

 この役を仰せつかったチュスパは半分もこなさないうちに倒れてしまった。その前年のトカプは終わったあとに高熱を出し、二日も苦しんだ。

 私には無理だ。彼らよりも体力に自信がない」


 頭をかきむしる若い神官と、何も言えずにそれを見ているもうひとりの神官。ふたりは神殿の外の物陰にいた。ふたりの間に黄金の杓杖が横たえてある。


「確かに、三日の断食ののち、あの恐ろしく長い行列に並ぶ民ひとりひとりに祈りを唱えていくなど、カパックさまにしかできることじゃない。しかも昨年あたりから列の長さは何倍にもなっている。今年はどこも豊作だったから昨年の何倍にもなるだろうな。普通の者ではとても体力がもたないだろう」


「なあ、途中で交替してはくれないか?」


「それは無理だ。神官の会議で指名されたのはおぬしだろう」


「カパックさまは遠征から帰ってこられたのだろう。再びこの役に就いてはくださらないだろうか。

もともと、民の供物はそのまま太陽神殿に供えるだけであったものを、地域の作物の出来を見る良い機会であるし、神殿に供える前に浄化する必要があると、提案されたのはカパックさまだという話ではないか。

 ご自分で言い出されたことなのだから」


「何と無礼なことを考えているのだ。祭祀官のときならまだしも、今や将軍閣下なのだぞ。そんなことを願い出ることができるはずはないではないか」


 ふたりの間にあった杓杖がふっと宙に持ち上がった。神官たちは驚いてその杓杖の行方を見守る。そこには杓杖を手にしたカパックがいた。


「ひえ……」


「申し訳ありません。い、今の話はお聞きにならなかったことに」


 神官たちはあたふたと跪いて頭を地面に擦り付けた。


「神殿に随分と迷惑をかけたようですまなかった。留守でないときには、私がこの役を引き受ける。私が遠征に行っているときには、この任を省略してもらうように大神官に申し伝えておく。

 お前たちのせいではない。気になっていたことなのだ。心配しなくていい」


 そう言って、杓杖を手にして去っていってしまった。残されたふたりはぽかんと口を開けてお互いに見合っていた。



 カパックは二度のインティ・ライミを留守にしていた。

 その間、民衆の供物に祝福を与える役目は神官たちが代わっていたのだが、祭りに先立って皇族と神官が行う三日間の断食のあと、ほぼ一日、壇上に立ち続けて祈りを唱えていることなど、普通の体力の者では到底無理だったのだ。

 それでも神聖で名誉な役目なのだと、一番若い神官がこの役に指名された。いや、押し付けられたというべきか。


 神官たちは嫌がるが、この役目には大変重要な意味があった。

 太陽の祭りでカパックが供物をひとつひとつ確認するようになって、役人の報告だけでは分からない各地域の作物の出来がつぶさに分かり、不作が心配されるアイユにはいち早く援助が出来るようになったのだ。

 しかし、神殿にはあまり関わりのないことである。

 将軍になったカパックは、もうこの役目を引き受ける義務はないが、祭祀官を任ぜられた年に自分で提案したことだ。これだけは自分で責任を果たさなければと思っていた。


 当時、何かと反りの合わない神殿と宮殿の間の橋渡しとして祭祀官の役目を任ぜられたカパックであったが、神官たちにとっては目の上の瘤であった。とくに皇帝に次ぐ高い地位をもつ大神官は、皇帝の代理というだけで言いたいことを言う青二才を快く思ってはいなかった。

 四面楚歌の状況で祭事を仕切らなくてはならないカパックの心労は大変なものだった。それでも臆さず、カパックは新しい制度を取り入れていった。


 諸々の気苦労に加えて、祭りの前にやってくる各地の首領たちの連日にわたる接待。

 さすがに疲れが溜まり、気晴らしをしようと思い切って街に出たあの日、ミカイに出会った。宮殿の中の窮屈な世界とはまったく無縁の明るい少女。彼女を見ているだけで癒された。

 彼女が祭りに来てくれたら、辛い役目もこなし切ることができる。そう思ってミカイを祭りに招いたのだ。

 当日、ひどく緊張するミカイを見てカパックは少し気が咎めたが、それでも一所懸命に巫女を務めようとしている彼女の姿に励まされたのだった。


 遠征の疲れを癒す間もなく、祭りの準備で慌ただしくなった。

 祝福を与える役目は、当日の仕事だけにとどまらない。諸々の段取りを整えるのも重要だ。そしてその年の準備はいつにも増して忙しかった。

 アリン・ウマヨックの話によると、今年はどこも豊作で、遠くの地域からもたくさんの献上物を抱えた人々がやってくるということだ。


(緋の谷の、ミカイのアイユも豊かになっただろうか?)




 祭りの日がやって来た。皇族や神官たちの厳粛な儀式が続いたあと、いよいよ巫女たちが供物を捧げる儀式に移る。

 カパックが黄金の杓杖を手にゆっくりと祭壇に現れると、人々から溜め息が漏れ、歓声が上がった。

 二年の間にさらに背が伸び体つきの逞しくなったカパックが、鮮やかな色と模様の施された衣服とマントに身を包み、大きな羽飾りを頭に戴き、煌びやかな装飾を身につけた姿は、遠まきに見つめる市民たちの目にも華やかに映った。

 神官たちが代わって引き受けていた二年の間も、神殿の事情など知らない市民たちは、カパックのこの姿を再び見られるのを楽しみに待っていた。

 期待どおり、いやそれ以上に美しい姿でカパックが戻ってきた。それを目にした市民たちはおもいおもいに感嘆の声を上げた。


 久しぶりに味わう祭りの雰囲気は心地よい。

 以前はこの役に重圧を感じていたが、南への旅で生死を彷徨ったカパックには、今ここに立てることが喜びだった。

 供物を掲げる巫女の列は前よりもずっとずっと長くなり、その籠の中の作物も立派な出来のものばかりだ。


(この国は豊かになっている)


 カパックは、籠に載る様々な供え物を目にして喜びを感じていた。


 行列が中ほどまで来た時、列の後ろの方が急に騒がしくなった。街の人々のざわめく声が聞こえてきた。


「チャスカの娘がきたぞ」


「あの美しいチャスカの娘だ!」


 その騒ぎはカパックの耳にも届いていた。


(まさか……)


 列がゆっくりと進んでいき、さっと目の前にかしずいた娘の籠には、山のようなトウモロコシとチャスカの花束が載っている。

 カパックが祝福の祈りを唱え終えると、娘は籠を頭の上に掲げて俯いたままゆっくりと立ち上がった。額の前に下がる小さな金の飾りが、シャランと涼しげな音を立てた。

 腰まである美しい黒髪を一本の三つ編みに編みこみ、肩から前へと提げている。籠の陰から覗くあごは細くきれいな輪郭を描いている。すらっとした細身の体にぴったり合った衣装は、以前カパックが贈ったものをきれいに仕立て直したものだった。


 それは紛れもなくミカイだ。


 初めてインティ・ライミを訪れた時のようなたどたどしさはどこにもなく、背筋を伸ばして優雅に、そして堂々とした足取りで神殿へと向かっていった。

 彼女が歩く度に、街の人々が溜め息とともにひそひそと噂する。


「あれがチャスカの娘だよ」


「ああ、知ってるよ。チャスカの花も見事だけど彼女も負けずに美しいってね。どこのアイユの娘なのだろう」


「ご覧、なんて優雅な物腰なんだろう」


 無邪気な田舎の少女だったミカイが、二年の間に立派に祭りの巫女を果たせるようになり、そして目も醒めるような美しい娘へと成長していたのだった。

 彼女とともにチャスカという花の名もいつの間にか人々の知るところとなっていた。


 カパックは月日の大きさをつくづくと感じた。

 二年前、自分が無理やり招いた田舎のアイユの娘は、絢爛な祭りの雰囲気にすっかり気後れしている様子だった。

 それが今では人々の噂話になるほど素晴らしい巫女だ。


 彼女の後ろ姿を横目に見ながら、カパックはふと寂しさを感じた。


 


 

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