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逃れられぬ夢(3) ~由隆~

 行く手を遮る木の枝がたゆみ、細い枝はボキボキと折れて飛び散っていく。

 無数に舞い上がった木の葉は、風に煽られまた遠くへと吹き散って、視界一面に乱れ飛んでいる。


 ここはどこだ。

 木々の生い茂る暗い森の中だということは分かる。


 辺りを見回す余裕もなく、俺は物凄いスピードで狭い木々の間をすり抜けていく。

 こんなに早く走れただろうか。

 それにこんなに狭い隙間を何故うまくすり抜けられるのだろうか。

 疑問に思いながらも、走るスピードはますます加速していく。


 突然視界から木が消え、目の前に青空が広がった。

 足許の遥か下には果てしなく広がる草原が見える。足は地に着いていない。


 空を飛んでいるのだ。


 思えば森の中にいたときにも地に足は着いておらず、風のように飛んでいたのだ。

 草原の上に出てもスピードは衰えず、ハヤブサのように風を切り裂いて飛んでいく。


 こんな風に空を飛べたら爽快なはずだ。

 それなのに俺の心の中は焦りや苛立ちで波打っている。


「早く、早く、もっと早く……」


 自分を追い込みながら、ますます加速度を上げる。

 空中分解してしまっても構わないとさえ思っている。


「もう会えないのなら、このまま消えてしまってもいい!」




 ガバッと飛び起きた。


 まるで本当に全力で飛んでいたかのように息が荒い。

 まだ薄暗いがいつも部屋だ。

 正面の天井近くに掛けられた電光掲示板のような時計が見えた。

 

 ―― 4:50 a.m. ――

 

 まただ。いつもまったく同じ時間に目覚めてしまう。

 そして動悸が始まる。

 慌てて机の引き出しを探り、その中にある薬を飲んで動悸を鎮める。


 姉が起こしにくるまで、再び眠ることもできずに布団の中で悶々と過ごす。

 どうせならすっかり起き上がって本でも読んでいたらいいのだろうが、体全体が重く、とても起き上がる気になれないのだ。


 状況は微妙に違うのだがいつも同じ夢を見る。

 はじめはそれらが同じ夢だとは気付かなかった。忘れてしまっていることも多く、まさか自分の見る夢が毎日共通しているなんて思いもしなかった。

 しかし、繰り返し同じ光景が出てきて、似たような心情を抱いていれば、さすがに共通点が多いことに気付く。

 そうして意識してみると、自分は毎晩、いや毎朝まったく同じ夢を見ていることが分かったのだ。



 夢の中で俺は、鳥のように空を飛んでいる。しかも凄いスピードで。

 しかし何か気がかりなことがあって、心の中は焦りと不安でいっぱいだ。

 そしてその夢から醒めても、不安定な気持ちはなかなか消えてくれないのだ。




―― 島の診療所を飛び出し、崖から飛び降りようとしたあの日、ひとりで気持ちを落ち着けると何事もなかったように家に帰った。

 家には数年ぶりに帰省した姉が待っていた。

 

「ゆうちゃん、十六歳のお誕生日おめでとう」


 happy birthdayと書かれたリボン型のシールの付いた人気ブランドの紙袋を手渡しながら、姉が言った。

 何で今更……。魂胆は分かっている。姉の家から通える学校の中から転校先を選べと言いにきたのだ。

 思ったとおり、姉はいくつかの高校のパンフレットも持ってきていた。

 そんな気はないと電話で何度も話したはずなのに。

 でもその日、島にも居場所が無くなったと感じていた俺の気持ちは今までとは違っていた。


 遠くに行ってやり直すのがいいのかもしれない。


「会いにいかなくては……」


 不思議な声は、俺に誰かを探すように告げた。

 俺を理解してくれるような人物のことか、体を治してくれる医師なのか、はたまた赤い糸で結ばれた相手か……。


 とにかく(ここ)にいても始まらない。


 俺は姉の持ってきたパンフレットの中から適当な物を指差していた。


 自分では意識していなかったが、新しい生活に不安を感じたのだろうか。

 その日から『飛ぶ夢』を見るようになったのだ。

 そして必ずと言っていいほど目覚めると『発作』を起こした。寝る前に用意しておく薬を口に放り込み、誰にも知られないように『対処』して夜明けを待ち、何食わぬ顔で起きていく。

 それが日課になっていた。


 そこまでして選んだ新しい今の生活。未だにその誰か(・・)に出会ってはいない ――




「本当に行くの? 大丈夫なの?」


 朝食の席で、姉は何度も繰り返した。


「大丈夫だよ。自分の身体のことは自分で知っている。無理だったら宿で休んでいるから」


 その日から、一年生の恒例行事といわれる山の合宿に参加することになっていた。メインは登山だ。それほど高い山ではないらしいが、ハイキングとは違うので、心臓にも負担が掛かるだろう。

 姉は合宿自体を欠席したほうがいいと言うのだ。


「ずっと家にいるのもかえって良くない。

 本人が管理できると言っているんだ。無理しない範囲で参加することも必要だよ」


 コーヒーを啜りながら、義兄が淡々と言った。

 義兄は眼科を開いている。専科が違うとはいえ医者の言うことだ。義兄の言うことが正しい。姉は不服そうにしながらも引き下がった。


 子どもはいないが、夫婦ふたりでも穏やかな家庭に突然、問題のある弟がやってきた。

 妻はその弟のことで毎日神経をすり減らし、ぴりぴりしている。義兄にとってこんな迷惑な話はないだろう。

 義兄は本当に俺の身体のことを思って言ったのだろうが、その言葉の裏で


「少しくらい俺たちに落ち着いた時間をくれ」


 と訴えているような気がした。

 この家にいるよりはずっとマシだ。何が何でも参加するつもりだった。

 今朝の発作の続きが少し襲ってきそうになったが、絶対に姉に知られてはいけない。


「ごちそうさま」


 慌ただしく立ち上がり、支度をする振りをして部屋に戻った。

 

 


 バスが目的地に着く間、俺はたっぷりと睡眠を取っておいた。

 バスの中では、クラスメイトが異様なほど盛り上がっていて騒がしい。一番後ろの隅の座席で助かった。


 学校には病気のことを知らせていない。これからも知らせるつもりはない。

 今回の合宿の前に健康調査書を提出しなければならなかったが、自分ですべて問題なしと書いて勝手に出しておいた。

 だから山登りで具合を悪くして、迷惑をかけることだけはあってはならない。


 バスが目的地に着くと、早速登山が待っていた。

 あまりにもハードなスケジュールに、楽しげにしていた同級生たちは皆一斉に不満を言い出した。それでも決められたとおりにスケジュールは進んでいく。

 はじめのうちは、バスの中の延長で賑やかに話しながら固まって登っていく生徒が多かった。

 俺は一番最後尾に付いて、ペースを上げないように慎重に慎重に登り始めた。前の生徒たちを見失っても、分岐点には必ず教師が立っていて誘導しているので、道に迷うことはない。


 余計な話し声のしない静かな山道をゆっくり歩いていると、不思議と穏やかな気持ちになれる。緑豊かな自然の中は故郷の島の空気に似ていて、幼い頃の思い出などが次々と蘇ってくる。

 思い出に浸りながらひとりゆっくりと登っていくと、かえって身体が癒される気がした。


 半分ほど登っただろうか。わいわい騒ぎながら勢いよく登っていった生徒たちが、無言で歩いている姿がちらほら見えて来た。

 ペースが続かずにどんどん遅れてしまったのだろう。

 同じペースで歩き続けていた俺のほうが、彼らを追い抜いてしまいそうだ。

 逆にこちらがペースを落として、彼らの前に行かないように気を遣う。


 上の方に、かなり辛そうに歩いている女子の姿があった。足を引き摺るようにしてやっと登っている様子だ。

 広い場所を見つけると、木にすがって休んでいる。

 そのたびに後から来た生徒に追い抜かれ、とうとう彼女は俺の目前にいた。


 ピグミーだった。


 そういえば、ついこの間まで捻挫をして足を引き摺っていたじゃないか。

 何故無理をして山に登ったのだろう。

 手を貸してやろうかと近づいていくと、途端に彼女は姿勢を取り直して歩き始めた。

 また無理なペースでどんどん登っていく。

 俺はハラハラしながらも、何かあったら手を貸せるくらいの位置で彼女の後を付いて行った。

 何をムキになっているのか、痛むだろう足をぐいぐいと踏ん張って登っていく。


(危ないぞ。ペースを落とせ!)


 心の中で叫んだそのとき、彼女が視界から消えた。


 ―― 落ちた? ――


 慌てて脇の崖を覗くと、転がっていく彼女の姿があった。


 考えるより先に、俺はその後を追って崖を転がり落ちていた……。




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