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逃れられぬ夢(2) ~由隆~

 新しいクラスでの生活がスタートした。

 久しぶりの高校生活は緊張するが、全く見ず知らずの人の中にいることが、俺には救いだった。


「宮はあの一番後ろの窓際、花岡の席の隣だ。おや、花岡は?」


 俺の紹介をしたあと、担任が席の場所を指差しながら言った。


「花岡さん、バスケ部の朝練で倒れて今保健室で~す!」


 誰かが茶化すような言い方をした。


「大丈夫なのか?」


「大丈夫、大丈夫。いつものことですよ」


「そうそう、この間も、どこかに躓いてぶっ倒れてたよな」


「バスケ部では有望な新人だと言われているくせに、どこか抜けてるんだよなー」


「止めなさいよ! 本人はいたって真面目なんだから」


「それじゃ、ますます救いようがない!」


 その場にいないのにこんなに話題性があるとは、いったいどんな奴なのか。なかなか楽しそうなクラスだが、それでも俺には関係ない。学校はとりあえず家で時間を潰しているよりはマシなので通うだけだ。別段友人を作る気もない。

 俺は盛り上がっているクラスメイトの間を黙ってすり抜け、指定された席に着いた。




―― 切り札だった交替選手が大事な場面で突然意識を失い、勝てる試合をふいにしてしまったことには部員全員が落胆した。

 いったい何故意識を失ったのか、自分でも全く分からなかった。あのとき耳に響いた轟音は単なる空耳だったのか。そうならば、自分の頭はとうとうイカれてしまったということか。

 しかし一度の失敗でへこたれている場合じゃない。いまさら原因を探ってみても何も解決しない。この失敗を糧に這い上がればいい。

 俺は今まで以上に必死になって練習した。

 朝は誰よりも早く登校して自主練をすると同時に、健康管理にも慎重になり睡眠も栄養も十分にとって生活リズムを整えた。出来るかぎりの方法を尽くして次のチャンスに向けて準備したのだ。


 しかしその努力はあっけなく崩れた。


 あの試合以来たびたび、心臓が胸から飛び出るかと思うほどの動悸が襲ってくる。それは日を追うごとに酷くなっていった。やがて、練習さえも思うようにできなくなった。

 そしてとうとう部活を辞めざるをえなくなったのだ。


 学校の寮で暮らす俺を心配した母親は、島から出てきてウィークリーマンションを借り、あちこちの病院に連れていって検査を受けさせた。

 小さな病院では原因が掴めず、最後に行った総合病院で心臓の不整脈があることが分かり、激しい運動は控えるようにと注意されたのだ。


 ラグビーが出来なくても、高校生として勉強に集中すればいい。

 中学の同級生、森かなたのように、一流大学を目指して猛勉強すればいい。

 お前だって、森の息子とそう変わらない成績を取っていたじゃないか……


 母親は慰めのつもりでそう言ったのだろうが、俺には追い討ちを掛けられるような言葉だった。

 いつか復活できると期待して無理な練習を続けていただけに、二度とラグビーが出来なくなった絶望感は並大抵のものではなかった。


 全てが馬鹿らしく思えた。


 授業をすっぽかして街の中をふらついた。寮生活では当然、そんな俺の居場所はすぐに無くなった。

 結局、学校を辞めるしかなくなったのだ ――




 三時間目が始まるころ、話題の人、花岡小町が教室に戻ってきた。

 大げさに包帯を巻いた足を引き摺って教室に入ってきた『どこか抜けてるバスケ部期待の新人』は、早速友達に囲まれて頭を搔いている。

 その顔を見て驚いたのは俺だった。


 今朝のあの『ピグミーモンキー』だ。


 まさかこんな偶然があるとは。しかし、同時に危機も感じる。

 干渉されたくない俺は、この教室では誰とも必要以上に会話するつもりはない。それなのに、必要以上に俺に踏み込む可能性がある人物が現れてしまったのだ。

 案の定、友達が俺のことを紹介したとき、ピグミーは今朝のことを思い出して馴れ馴れしくしてきた。

 そしてあろうことか、その前にもどこかで会ったことがあるか、などと訊いてきたのだ。


「いや……」


 そう答えてそっぽを向くことで、何とかそれ以上の干渉を喰い止めた。

 新しい高校生活も初日から前途多難だ。神様はどうやら俺をそっとしておいてはくれないらしい。


 それからピグミーは、まるで昔からの知り合いだったかのように親しく話しかけてきた。 ピグミーだけでなく、その周りの女子もやけに親しげに話しかけてくる。

 誰にも存在感を感じさせず、空気のような存在でとりあえず三年間我慢しようと思っていたのに。東京なら、他人は他人と干渉されることもないだろうと思っていたのだが、全くその逆だった。

 普通の転入生なら有難いことなのだろうが、俺にとってはまるで拷問だ。何を言われても極力冷たく、ときには鋭い視線で睨みつけて、親しげに近づいてくる奴らをあしらった。

 努力の甲斐あって、ようやく俺に話しかける生徒はいなくなった。


 平穏な高校生活がようやく手に入った。


 遊ぶ相手もいない。心配性の姉の待つ家に帰るのは苦痛。放課後は校庭の隅で、何となくラグビー部の練習を眺めていた。

 この学校のラグビー部は本当に弱いらしい。練習のやり方もお粗末で、そこはこうやるんだよ……と心の中で突っ込みを入れながら眺めていると、これがなかなか楽しくなって、ついつい、その場所に行って練習を眺めていることが多くなった。


 そんな密かな楽しみがまた壊される。

 いつも練習を眺めていることに気付いたラグビー部の主将が、俺に声をかけてきたのだ。


「ねえ、君。確か鹿児島のJ高から転校してきたんだよね。もしかしてラグビーやってた?

 是非、俺たちのところに入ってくれないかな」


「いえ。部活をやるつもりはありません」


 きっぱりと断って、さっさとその場を去った。

 それなのに、熱意はどこかで伝わると信じているのか、それからこの主将のしつこい勧誘が始まった。

 廊下などで会うたびに、「考えてくれないか」「仮入部でいいから少しやってみないか」とあの手この手で声をかけてくる。揉め事を起こしてはいけないと我慢していた俺も、さすがに限界に来ていた。


 ある日、掃除の時間にゴミを捨てに行くと、そこでばったり主将に会ってしまった。

 案の定、俺に気付くと素早く寄ってきて声をかけてきた。


「宮くん、しつこいのは分かっている。でも君だって、本当はラグビーをやりたいんだろう。

 そりゃ、J高のラグビーに比べたら、俺たちのやってることなんて子どものお遊びにしか思えないだろうが、それなら君がJ高で学んだことを俺たちに教えてくれないか。

 弱小ラグビー部を君が立て直して都大会まで引っ張っていく。そういう楽しみ方もいいんじゃないか?」


 あまりにも突拍子もないことを言い出した主将に俺はとうとうキレて、仮にも先輩である彼を怒鳴りつけてしまったのだ。


「いい加減にしてくれ。俺は何もやるつもりはない。二度と声をかけてくるな!」

 

 根っからのお人よしなのか、この主将は生意気な一年生に向かって頭を下げた。


「分かった。しつこくしてすまなかったな。君が練習を見ているときの表情がとても楽しそうだったから、何度も説得すれば気が変わるかもしれないと思ったんだよ。もう声はかけないよ」


 そのまま肩を落として去っていく彼を見て、さすがに気が咎めた。


 その姿を見送って振り返った瞬間、いきなり胸倉を掴まれた。

 気付くと五、六人の上級生が俺を囲んでいた。皆、あまり柄が良いとは思えない。


「へえ、なかなか言うじゃないか。最近偉そうにしてる転入生ってのはお前かよ。

 遠くから来たばっかで何も知らねぇんだろうが、ここにはここのルールってもんがあんだよ。俺たちが丁寧に教えてやっからよ!」


 そう言って彼らの輪の中に俺を放り込んだのだ。


 それからは夢中でよく覚えていない。自分の身を守ることで必死だった。

 悔しさをバネに夢中で練習していた成果が、まさかこんなところで発揮されるとは……。

 俺は上級生たちの攻撃をかわして、傍らに落ちていた棒を拾い上げ、彼らをひとり残らず叩きのめしていたのだ。


 全てが終わったとき、通りかかった教師がそれを見つけて悲鳴をあげた。

 そのときようやく、自分の犯したことの重大さに気付いたのだ。


 とうとう、俺はここも追い出される。


「ゆうちゃん、あなたは一体、どうしたいの?」


 ぼろぼろと泣きながらそう繰り返している姉の顔が思い浮かんだ。




―― J高を辞めた俺は、ほかに転入先を探す気力もなく、島に戻った。

 島には俺を責めるような人はいなくて、皆俺の体を気遣ってくれた。

 高校を出なくても、父の漁の手伝いをしながら漁師の仕事を覚えていく。それでいいのだと思うと少し気が楽になった。どちらにしても高校を卒業したら戻るつもりだったのだ。それが少し早まっただけだ。


 父は何も言わないが、母は納得できないようで、せめて高校は卒業してほしい。漁師はそんな中途半端なままで勤まるような簡単な仕事じゃないのだと言った。

 東京に嫁いでいる姉は母の考えに賛成で、何度も電話をかけてきては、まったく知り合いのいない東京の高校ならもう一度やり直せるのではないか、東京の大きな病院で詳しい検査もできるだろう、だからこちらに来たほうがいいと繰り返した。


 島にひとつだけある診療所で、俺は定期的に体の様子を診てもらっていた。

 診療所の医師の森先生は、あの森かなたの父親だ。

 かなたは、診療所の跡を継ぐために医者を目指しているのだ。かなたの入った高校は全国でも屈指の進学校。父親の森先生だけでなく、島民すべてがかなたに期待し、誇りに思っていた。


 その日は俺の診察の前にひとり、島で唯一の雑貨屋を営む九十近いばあさんが入っていた。狭い診療所では診察室の会話は筒抜けだ。


「先生も優秀なせがれを持って、鼻が高いねぇ。これでこの診療所も安泰だ。

 わしもかなた先生に診てもらうまで、長生きせんと……」


 たったそれだけの会話だった。

 それなのに突然俺の頭に、ばあさんの言葉の続きが浮かんできたのだ。


「それに比べて、宮ん()のせがれは……」


 島には俺を責める人間はいない。表面的には。

 でも皆、心のそこでは呆れている。高校も満足に続けられなかった俺のことを……。


 堪らなくなった俺は、診療所を飛び出した。


 走って走って、海を見下ろす絶壁の上までやってきた。そこは小さい頃からお気に入りの場所だった。

 数十メートルはあろうかという崖のはるか下に、エメラルドグリーンの水面が広がっていて、透明度の高い海は、その海底にある黒い岩までもがはっきりと見える。

 混乱したままで、俺はそこから身を乗り出していた。

 そのとき、俺の体は宙を舞う前に勢いよく後ろへと引き戻された。


「誰だ!」


 後ろを振り返ったが、島の中心に聳える山までだだっ広い草原が広がっていて、強い海風に草がなびいているだけだった。

 急に我にかえって、咄嗟に飛び降りようとしていた自分が恐ろしくなり、もう二度と崖っぷちを覗こうとは思わなかった。その場に仰向けに転がり目を閉じると、風の音に混じって声が聞こえてきた。


「会いにいかなくては……」


 慌てて飛び起き、また辺りを見回したが、さっきと同じ光景が広がっているだけだった ――




「宮、お前は被害者だってことが分かったよ。ただ、身を守るためとはいえ、凶器を使って相手を傷つけたことは感心できないな。幸い大した怪我ではなかったが。以後、十分気をつけるように」


 停学、または退学という言葉を覚悟して行った職員室で、担任はそう俺に告げた。

 俺が信じられないという顔をしていると、担任は笑って言った。


「あのあと、花岡が職員室に来て訴えていった。あの喧嘩を目撃したんだが、宮は何もしていないのに、上級生が言いがかりをつけて絡んで行ったんだと。しかもひとりに五人もかかっていくなんて卑怯だと。何だか凄い剣幕だったぞ。

 友達が見ていてくれて良かったな。そうじゃなければ乱闘だと思われて、傷害事件にもなりかねなかった」


 あんなに冷たくあしらったのに、ピグミーは俺の味方をしてくれた。

 この学校を追われたら、あのときのようにまた身を投げようとしていたかもしれない。


 教室に戻ると、早速ピグミーに声を掛けた。

 ピグミーは驚いて飛びのくように椅子から立ち上がった。拍子に椅子がひっくり返る。あの喧嘩を見て、俺を怖れているのかもしれない。ピグミーモンキーに似た大きな丸い眼が大きく見開かれて、ますますあの小さなサルに見えてきた。

 思わずクスッと笑いがこぼれる。


「別に何にもしないって。花岡さんが先生に、俺が無実だってこと証言してくれたんだってね。お蔭で停学にならずに済んだよ。ありがとう」


 ピグミーはまだおどおど(・・・・)として、ソプラノ歌手のような裏返った声で返事をした。


「いえ……。それは良かったですね……」


 俺は堪えきれず、悪いと思いつつも笑ってしまった。

 彼女は引きつった顔をして、口の右端だけでひくひくと笑い返してきた。


 俺が笑ったのは、実に半年ぶりだった。




 





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