はじまりの夢(1) ~小町~
また、あの夢を見た。
ここのところ、前よりも鮮明になってきているようだ。
私はひたすら山道を歩いている。
それは木々に覆われた薄暗いけもの道。
苔むした枝が視界を遮ってどこまで続くのか分からない。
この先に、何かがあるのだ。誰かが待っているはずなのだ。
しかし、希望と等しく絶望も覚えている。
わかっているのだ。この先には何もないことも。
それでも歩き続けることしか、彷徨いつづけることしか、わたしにはできない。
めぐり逢えるまで、永遠に。
ふと、目覚めると、眼は涙でぐっしょりと濡れていた。無意識に涙をぬぐったらしく、顔中がベタベタとする。
少し前はただ彷徨っている夢だったはずだが、最近は、悲しくて切なくて、本当に涙まで流しているのだ。
重たい体をやっと起こし、階下に下りて洗面所で涙顔をゴシゴシと思いっきり洗う。それでもまだ夢の余韻が残っていて体がだるい。本当に厄介な夢だ。
「お母さん、いま何時?」
「六時半よ」
「大変! 朝練に遅れる!」
大慌てで支度をし、玄関を飛び出そうとする私に、母が大声で呼びかける。
「ちょっと! 今日も、朝食食べないの?」
「うん。食べられなーい!」
道に飛び出しながら玄関全体に向かって返事を返し、振り向く間もなく駅までダッシュだ。走りながら、突然頭がズキズキと痛み出してきた。
(本当についていない……みんなあの夢のせい……)
学校のあるS駅は有数のベッドタウンだ。七時近くになると、都心に向かうサラリーマンやOLが大量に乗り込んでくる。朝練にギリギリで間に合う時間の便は、特に混雑するのだ。
S駅までは、多少混み合うくらいの車両だが、そこで一気に人の波が流れ込み、パンパンに膨れ上がる。逆にS駅で降りる人はあまりいない。ホームに溢れる人の波が、車両になだれこまないうちに、素早く降りなければならなのだ。
車内アナウンスが流れると、私は鞄をしっかりと抱え込んで、構えた。ドアが開くと同時に、前の人の間をぬってドアの外に出ようとする。しかし、乗ってくる人の波が容赦なく中へと流れ込んで、私の体はまた中に押し戻されそうになった。
「降ります! 降ります! すいませ~ん!」
甲高い声をあげながら力ずくで外へ出ようとする。ドアが閉まる寸前、ようやく私の体は外に出た。
が、勢い余ってホームへ派手に転がってしまった。
鞄の脇ポケットに入れていた携帯電話が飛び出し、ホームの奥へと滑っていった。
電車は、私を吐き出すとすぐに、重そうに車輪をきしませて走り去った。
さっきまでの喧騒がいったん静まったホームで、私は情けない姿で転がったままだった。携帯の行方を追おうとしたが、打ち付けたひざが痛んで、すぐに起き上がれない。もたもたしていると、ホームはまた通勤客で埋まってしまう。
両手で体を支えて起き上がろうとしたとき、さっと目の前に私の携帯を持った手が伸びてきた。
手の主を見上げるとそこには、見慣れない制服を着た男子生徒がいた。
群青色の地に白い縁取りのある、前にボタンのついていない珍しい形の学ラン。S駅の辺りには、こんな制服の学校はない。思わずその男子生徒の顔をしげしげと眺める。
浅黒い肌。すっきりと細い輪郭。切れ長の目に、すっと通った鼻筋……。
『あれ? この人……』
一瞬懐かしい感じがしたので、頭の中が勝手にぐるぐると記憶をたどり始める。
その顔をついぼんやりと見つめていると、男子生徒は携帯を持つ手の反対の手を差し出した。私がその手を取ると、彼はぐいっと私をひっぱって起こしてくれた。
立ち上がって見ると、彼は私よりも頭ひとつ分ほど背が高い。その瞬間もまた懐かしい感じがして、頭の中はさらにフル回転を始める。
『誰だったっけ?』
もたもたしている私に少し苛立ったのか、男子生徒は私のかかえる鞄の脇ポケットに携帯を乱暴に押し込むと、無言で背を向けて歩き去ってしまった。
そのあとも、私は彼とどこで会ったのか考えながら歩いていた。しばらくして大事なことに気付き、かーっと顔が熱くなる。
『お礼も言わなかった……』