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南へ(4) 



 チャンカのアイユの開拓が始まった。カパックは長いマントを外し、戦士のいでたちから動きやすい貫頭衣に着替えると、チャンカ人や労働者と一緒になって働いた。緋の谷の開拓に参加した経験が大いに役立った。

 指揮官の働きぶりを見て、チャンカ人たちも負けじと張り切る。

 湖を見下ろす丘を階段状にならし、チャンカの家族とクスコの労働者に等しく土地を割り当てる。土地が決まると、高原の方から花崗岩を切り出して運び、それを積み重ねて壁を作り、藁の屋根を葺いて家を建てる。家が増えていくに従って、立派な街の輪郭が出来上がっていった。

 家が出来ると、次はいよいよ畑の開墾である。しかし、もともと狩猟民族であるチャンカ族は農耕の方法をよく知らない。そこでクスコからの労働者たちが活躍する番がやってきた。クスコ人の労働者はチャンカの民にひとつずつ丁寧に教えながら、畑を作っていった。幸いにも、湖の湿気を帯びた黒土は少し掘り返すだけで十分で、耕すのにそれほどの労力を必要としなかった。

 耕し終わった畑には幾筋もの線を描くように畝が作られ、クスコから運んできた物と、コリャで分けてもらった物とで、実にさまざまな作物の種が蒔かれた。畑よりも高い場所にある丘は、リャマやアルパカなどの家畜が放牧場となった。連れてきた動物に、コリャから与えられた家畜が加わり、放牧場も賑やかになった。とくに良質な毛がとれるアルパカは、寒い南方では毛糸を取ったり毛皮にするために貴重な動物だった。


「見事なアイユになりそうだ」


 カパックは、チャンカ人たちの笑顔と活き活きと働く姿を見て、旅の途中で感じた罪悪感が癒されていくのを感じた。



 アイユの開拓は思ったよりも早く、ひと段落した。

 植え付けた農作物が実るまで、あとは時期を待つだけだ。作物が無事に実ればこの開拓は成功したことになり、カパックは晴れてクスコに戻ることができる。それまでは、村人と一緒にゆったりと南の暮らしを楽しむカパックだった。


 ある日カパックが湖のほとりで休んでいると、不思議な音を聞いた。掠れるような、人の囁く声のような優しい音色だ。

 音のする方に近づくと、幼い少年が湖に生える葦を違う長さにきって並べたものに息を吹き込んで音を出していた。

 葦は茎の中心が空洞なので息を吹き込むと音が出るのだ。一番長い葦は一番低い音。段々と短くなるにつれて高い音が出るようになっているらしい。それを少年が軽く吹くたびに優しい音色が響いた。

 クスコにもケーナという骨を削って作った儀式用の笛がある。高く澄んだケーナの音よりもずっと低くかすれた音が、素朴で優しい響きを持っている。

 不思議そうにみつめるカパックに、少年は『吹いてみろ』と言うように差し出した。

 カパックは勢いよく息を吹きこんでみたが、空気の掠れる音しか出ない。少年は笑ってカパックから葦笛を取り上げると、下唇をそっと当てて静かに吹いた。するとまたあの素朴な音が響くのだった。


「そうか、そっと吹くんだな」


 再び笛を受け取ったカパックは、今度は優しくゆっくりと息を吹き込んでみた。するとやわらかい音色がすうっと流れ出てきた。


「なんて、優しい音色なんだろう」


 その音色に魅了され何度も葦笛を吹いていると、少年が『あげる』というような仕草をして、カパックに笛を預けたまま帰ってしまった。

 カパックはすっかりその笛が気に入って毎日湖に行っては適当な音楽を奏でていた。葦笛は優しく吹けば吹くほど澄んだ音になり、さざ波にのって湖を渡っていった。


(この響きは、いつしか緋の谷のミカイにも届くのではないだろうか?)


 笛を奏でながら、ふとそんなことを想うカパックだった。



 開墾から半年ほど経って、コリャ・スーユに作られたチャンカ人のアイユの畑に、ようやく少しの作物の実りを得られるようになっていた。

 しかしもっと多くの作物を得なければ、人々の生活を賄うことはできない。村人と労働者たちは固い地盤の場所にも鍬を入れ、畑を拡げていった。


 そんなある日、キータが倒れた。

 コリャに着いてからは、集落の一番高いところに建てられた館でもっぱら祈りを捧げていたキータだった。自分の命の限界を悟ったとき、チャンカの新しい指導者と、アリン・ウマヨックと、そして一番枕元にカパックを呼んだのだ。


『カパック殿。あなたには本当に助けられた。

 あなたのお蔭で滅びることも覚悟していたチャンカの民は、こんなに素晴らしい安住の地を得ることができた。そして今は希望に満ちて、活き活きと働いておる。

 貴方さまは、もう十分に約束を果たしてくださいました。美しいコリャの地に溶け込み、スーユの労働者と協力し合って、チャンカ人はこのアイユは立派に成長させていくことができるでしょう。

 貴方さまには待つお方が居られるのでございましょう……。側近たちを連れてクスコにお戻りなされ』


「キータ殿。これからではないですか。私には待つ人など……」


 キータは、言葉を遮るようにカパックの唇にそっと指を押し当て、フフッと笑った。


『毎日、湖に向かって笛を吹いていらっしゃいましたなあ……。あの音色が告げておりましたぞ。(逢いたい、逢いたい)と』


 どうやらキータには隠し事ができないようだ。


「キータ殿……」


『クスコに戻られたら、皇帝にキータからの感謝の言葉を伝えてくだされ。

(スーユはこの先、ますます豊かになっていくでありましょう。どうかクスコにいるチャンカ人たちをよろしくお願いいたします)と……』

 

 翌朝、キータは眠るように亡くなった。

 キータの亡骸は、アイユを見下ろすキータの館にアイユの守り神として安置されることとなった。


 新しくクスコから任命されたアイユの首長とさらなる移民たちが到着したのは、それから間もなくだった。ワイナ将軍や伝達史から南での成功を聞いた皇帝が、アイユの統一のために送ったのだ。

 カパックは新しい首長に一切の仕事を引き継ぎ、コリャの管理官に挨拶を済ませると、側近たちとともにコリャ・スーユを後にした。

 美しい景色と、新しい希望に満ちた人々の顔をしっかりと目に焼き付けて……。

 


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