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南へ(2)



 それは、一旦開けた平原に出た一行が、ふたたび険しい渓谷へと下りて行こうとするときだった。

 突然、キータが隊を止めるよう支持を求めた。

 

「この先に不吉なものを感じます。スーユに反抗する一族の影が見える。慎重に行かねばなりません」


 そこでカパックとワイナの両将軍は、護衛の兵士と労働者と民を草原に残し、それぞれの軍を固めて慎重に渓谷へと下りて行った。

 カパック軍の兵が全て渓谷に下り立ったとき、そそり立つような両脇の急勾配から、不気味な雄たけびをあげ異民族の集団が駆け下りてきた。敵の人数はそれほど多くはないのだが、二手に分かれてまったく同時に後陣のワイナの軍にも飛び込んでいった。スーユの軍隊の構成をしっかりと窺っていたらしい。

 山での戦いに慣れた賊は、足場の悪い渓谷でも動きを鈍らせずに攻撃してくる。カパック軍の兵士がいくら大勢であっても、巧妙な動きをする敵に翻弄されるばかり。奇襲に慌てる兵たちにカパックは大声で指示をあたえる。


「各部隊ごとに固まり、決められた持ち場に着いて応戦せよ!」


 その言葉で、投石部隊は敵を取り囲むように後退し、その輪の中で接近戦のためのマカナや斧を持つ兵士が応戦する形になった。長槍は彼らを後ろから援護する。

 しかし、敵はまるで疾風のごとく素早くこちらの攻撃をかわし、その隙をついて猛烈な攻撃をしかけてくる。そのうえ彼らはひとりでいくつもの武器を使い分けることができた。   

 マカナ部隊の四人の兵士が、ひとりの敵の斧と槍に一瞬のうちに斬られ動かなくなった。長槍部隊の兵士が敵と応戦していると背後の木の上から音も無く下りてきた敵に刺され倒れた。スーユの兵士に直接攻撃をしてくる(やから)以外にも、木や草に隠れて奇襲をかける輩が大勢潜んでいるようだ。

 投石部隊も、姿を現したり消えたりする敵に的が定まらず石を放つことができない。下手をすれば味方を攻撃してしまう。まともな戦法ではかなわない。


 カパックは、そんな素早い敵の動きにも合わせて動ける敏捷さを持ち合わせている。スーユ軍の(かしら)である将軍の首を取ろうと群がる大勢の敵を一手に引き受け、互角の戦いを繰り広げていた。

 しかし敵に周囲を取り囲まれた形で戦うカパックは、ひとたび体勢を崩せば一瞬で命を失う状況だ。

 目前の敵の攻撃をかわした一瞬に、さっとカパックの後ろに回りこんできた敵がいた。カパックが振り向こうとした刹那、相手はもうカパックの体を締め上げていた。

 カパックが思うように動けなくなったのを好機と周囲の敵が一斉に襲い掛かったが、カパックは締め上げる敵を支えにして両足を蹴り上げ、彼らを一気に蹴散らした。

 カパックの危機に気付いた兵士たちが加勢にやってきたのだが、カパックが蹴散らした敵は立ち上がると、今度はその兵士たちに襲い掛かっていった。

 羽交い絞めにされようと、ひとりくらいなら簡単に払いのけられる筈のカパックだが、この敵は今までに遭ったことがないほど凄まじい力の持ち主で、後ろで捻じ曲げ抱えこまれたカパックの腕はびくともしない。まるで固いロープで幾重にも縛られたようだ。いくら足を踏ん張っても、相手から身体を浮かせることもできない。


 アティパイもクッチもハトゥンもこれに気付いているのだが、彼らの周りにも何人もの敵が立ちふさがっていてこれらを追い払うのに手一杯であり、カパックに近づくことさえできない。敵は彼らをカパックに近寄らせないために執拗に纏わり付いてきた。

 ワラッカの投石器が、カパックを締め上げる相手に狙いを定めようとするが、相手はそれを巧みに読んでいてカパックを締め上げたままくるくると向きを変えるのだ。


「かなり、戦い慣れた戦士だ!」


 カパックは、ただの山賊ではないことを直感した。

 将軍が倒されたらスーユ軍はおしまいだ。兵士たちは皆動揺し始めていた。

 後方のワイナ軍も不利なのだろうか。ワイナ軍のほうからも、スーユの兵士たちの叫び声ばかりが響いてくる。


 カパックを締め上げる相手は片腕だけでカパックの動きを完全に封じてしまうと、もう片方の手に握った黒曜石のナイフをカパックの喉元に突きたてようとした。

 そのときにわかに空が暗くなり、大粒の雨が降り出した。

 スーユの兵士たちは乾燥地帯に育ったため、雨の中の戦いには慣れていない。スーユにとって余計に苦しい状況となった。他方、敵の動きは全く鈍ることはなく、ますます相手側に有利な状況となってきた。


 雨に打たれて、締め上げる敵の手は滑りやすくなった。カパックはその瞬間を逃さなかった。自分の腕を掴む手が僅かに滑ったのを感じ取り、すっと左手を引き抜いた。同時に向かってきた黒曜石のナイフの刃を直接握って押し戻す。

 濡れて滑るナイフの刃を押し戻すのは至難の業だ。黒曜石は鋭利に削られていて、握り締めたカパックの掌を深く傷つけた。左手からぼたぼたと血が滴り落ちる。


「うぉおおおー」


 それでもカパックは、驚くような力でナイフを押し戻す。カパックの捨て身の行動に敵は驚き、思わず押さえ込んでいた力が緩んだ。こうなったらカパックに封じられたナイフを持つ手とは反対の手に武器を取り、正面からカパックを攻撃しようと体を離した。そのときだった。



 ズ・ドガーーン!



 まるで敵を狙うかのように稲妻が落ちてきた。

 ものすごい閃光と轟音がとどろき、カパックの目前の敵は一瞬で黒焦げになって転がった。

 ナイフで相手とつながっていたカパックも、衝撃を受けて遠くに跳ね飛ばされ倒れた。左手とそれが握る黒曜石のナイフから、もうもうと黒煙が上がっている。

 雷に打たれた敵が大将だったのか、それを見た敵の戦士たちは、恐れおののいてクモの子を散らすように山へ逃げ帰ってしまった。

 スーユの兵士たちは、倒れているカパックに駆け寄った。敵から開放されたワイナ将軍も血相を変えて走り寄ってきた。


「カパーック! カパーック!」


 大声で何度も呼び掛け、体を揺するが、カパックは硬直したままピクリとも動かない。

 ハトゥンと兵士たちが急いでカパックを抱えあげると、仲間の待機する草原へと上がっていった、ワイナ将軍は素早く兵士を招集して後に続いた。


「カパックさま! カパックさま!」


 ハトゥンたちが草原に運び上げ、(むしろ)の上に静かに横たえても、カパックの状態は全く変わらなかった。カパックの体からは、相変わらず鼻をつくような焦げた匂いが漂っている。兵士たちはしばらくカパックの名を呼び続けていたが、やがて皆一同に沈黙した。

 誰もがもうダメかという不安を禁じえない。 

 その時兵士を掻き分けてキータがカパックの様子を見に来た。そして傍らに跪くと、カパックの胸に手を当ててじっと目を閉じて何やら祈りを唱え始めた。


 長い時間静寂が流れた。


 雨は止み青空が覗いて、光が差してきた。

 将軍の死を悟ってすすりなく声があちこちで聞こえる。その声は徐々に増えていき、兵士も労働者もチャンカの民も、皆が声をあげて泣き出した。しかしそのとき、キータがゆっくりと目を開けて言った。


『大丈夫だ。もうすぐ意識が戻られる』


 キータのその言葉からややあって、カパックがゆっくりと目を開いた。


「カパック様の意識が戻られた!」


 アリン・ウマヨックが声を張り上げると、隊の全員が大歓声をあげた。

 キータが何かに気付きカパックに言った。


『カパック殿、少し、お手を拝見させていただきますぞ』


 カパックの瞳が少し揺れただけであったが、キータはカパックの焦げた左手をそっと持ち上げて指を一本一本ほぐすように開いていった。

 握られていたナイフがボロボロと崩れ落ちた。あらためて落雷の衝撃の強さが分かる。掌に貼り付いている黒曜石の欠片を慎重に取り除く。


『おお!』


 そのときキータがおののくような声をあげた。

 それはカパックの掌にある、ナイフの刃で深く傷つけられたうえに雷の衝撃を受けた生々しい傷跡だ。血と雨でぐっしょりと濡れ、赤黒くただれている。

 しかしよく見ればそれは、くっきりと稲妻の形を浮かび上がらせている。


『これは雷神の印。あなたは雷神に祝福を受けたのです。なんと恐れ多い!』


 左掌の小さな傷痕から走る痛みは、全身を切り裂くようだ。

 尋常ではない痛みにカパックだからこそ何とか耐えていられるのだ。

 それが祝福の証などと、どうして言えようか。    


 さしものカパックも、あまりもの苦痛に、一旦は戻った意識がふたたび朦朧とし始めた。

 キータの言葉はその耳に、ただ虚ろに響いたに過ぎなかった。



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