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裁判(2)



 南への出発に向けて準備をするカパックには気がかりがひとつだけあった。それはミカイとの約束だった。

 南に行って新しいアイユを作るには数年掛かるだろう。その間、彼女は毎日アイユの入り口に来て待っているのではないだろうか。

 出発の日が近づくにつれて、その心配はどんどん強くなっていった。想いは募るが、遠征の準備は大変忙しく、ミカイに会いに行くことなど、とても考えられなかった。


 兵士の指南役として宮殿に出入りしていたスンクハは、クッチからカパックとミカイの話を聞いていたので、カパックの気がかりを敏感に感じ取り、その原因に察しがついた。

 その日は丁度、棍棒(マカナ)の調達をするためにカパックが自ら職人を訪れることになっていた。出かけようとするカパックをスンクハが呼び止めた。


「カパック様。マカナに関することなら、私に詳しい知識がございます。今日のことはどうぞ私にご一任ください」


 そう言ってカパックの前に跪き、庶民の服を差し出した。カパックは突然のスンクハの行動に戸惑った。


「確かにお前はマカナの達人ではあるが……。突然、どうしたのだ?」


「いえ。連日の準備でお疲れのご様子だったので、今日のところは私に任せて、少し街など歩かれてはいかがかと……」


 スンクハは顔を上げてにっこりと頷いた。

 カパックはしばらく考えて、その好意をありがたく受けることにした。


「ありがとう。頼むぞスンクハ」


「はい。お任せください」



 カパックは着替えて宮殿を出ると、まっすぐ緋の谷のアイユを目指して走っていった。

 緋の谷の村人は、皆畑に繰り出しているらしく、入り口の立ち木の辺りには誰の人影も見えない。

 カパックは木の幹にピンを刺すと、またなだらかな丘を下って行った。そして立ち木が見える場所に座り、待つことにした。


 むしろ黒に近いほどの紺碧の空に、真っ白な綿のような雲がいくつも浮かんでいる。雲は、太陽の光を反射して眩しく光り輝き、ゆっくりと流れていく。広い平原に浮かんだ雲の陰も、同じ速度でゆっくりとすべっていく。

 背の低い草に覆われた広大な平原は、雨季を前にして青々と色づき始めた山々に向かって緩やかに続いている。そしてその山々の遥か向こうには、真っ白な雪をかぶった雄々しい山脈が、その頭を覗かせている。

 雄大な景色を眺めながら、カパックは思った。


(こんな風にゆっくりと空を見上げる事は今までなかったな。こんなに美しい色をしていただろうか?今この大地にいる自分がとても小さく思える)


 カパックは、大地の女神に抱かれているような心地よさを感じ、平原に手足を広げて寝転んだ。そしていつの間にか大平原の真ん中でぐっすりと眠りこんでしまったのだ。


―― クスクスッ ――


 頭の上から誰かの笑い声がして、カパックは目を開いた。

 太陽を背にしてミカイが笑いながら覗き込んでいた。


「やあねえ。こんな草原の真ん中に、だれが倒れているのかと思ったわ!」


 カパックは寝ぼけ(まなこ)のまま、やっと体を起こすと、


「ああ、君を待っていて、つい……」


 と決まり悪そうに頭をかいた。

 それを見て、ミカイはおなかを抱えて笑い出した。


「あの時のたくましい労働者のユタじゃないみたい!」


「別に、私は私だ」


 カパックがムキになったので、ミカイはますます笑い転げた。


「そう強がるところは、やっぱりユタだ!」

 

 笑いながらミカイは無邪気にユタに飛びついた。カパックはミカイのそんな大胆な行動にいつも驚かされる。

 二人は平原に並んで座ると、たわいもない話を始めた。


「その後、アイユの方はどうだい?」


「どうもこうも、忙しくてかなわないわ。残った労働者と一緒に、朝から晩まで働いているの。作物も早いものはもう芽を出したのよ。女たちは、小さい娘からおばあさんまで総出で毎日川から水運び。水を汲んでくる振りをして、やっと抜け出てきたんだから」


 ミカイは、はい、とカパックにピンを返した。


「ありがとう」


 それから、しばらく沈黙が続いた。ミカイは、カパックが何か考えこんでいる様子に気付いて、優しく訊いた。


「どうしたの?なにか困っているの?」


「それが……」


 ミカイは穏やかな顔を向けている。


「……実は親方に、南方に行って修行を積むように言われたんだよ。長くなりそうなんだ」


「どのくらい?」


「帰ってこられるのは、雨季(なつ)があと二、三回巡ってくるくらいになるかもしれない……」


「はっきり分からないの?」


「ああ……」


 ミカイの笑顔がみるみるくもっていった。


「そんな。やっと会えたのに」


 ミカイの目から大粒の涙が溢れてきた。


「ミカイ、何故そんな風に泣くのだ?」


「よくわからない。あなたといるととても幸せな気持ちになるの。だからそんなに長い間会えなくなるなんて悲しいわ」


 ミカイの様子にいたたまれなくなって、カパックはミカイの顔を優しく覗き込んだ。


「私もそうだよ。ミカイ。君といると希望や力が湧いてくる。大丈夫。しばらく離れても必ず君のもとに戻ってくる」


「約束よ」


「約束する」


 カパックは、そっとミカイの肩を抱き寄せた。ミカイは自分の首に巻いていたリャマの毛織りの小さなスカーフを外すと、カパックの首に巻きつけた。


「南方の高地は寒いと聞くわ。これを持っていって」


「ありがとう。

 そうだ。最初に会ったときに君から買ったチャスカの花は、乾かして大切にしまってあるんだ。このスカーフに入れていつも君のことを思い出すよ」


 ミカイは、カパックのその言葉で、気になっていたことを思い出して訊いた。


「そういえばユタ。どうしてあの花の名を知っているの?」


「街にいれば、語り部の話や噂話でいろんなことが耳に入るんだよ」


 本当は、カパックはチャスカの花に特別の思いがあったのだ。



―― 彼がまだ幼い頃、宮殿の壁に施されている花の彫り物が気に入っていつも眺めていた。

  黄金の壁にはスーユの伝説を伝える彫刻がいくつも施されていたのだが、

  不思議に魅力的なこの花の彫り物が、何故かカパックの……いや幼いユタ少年の心に焼きついた。

  ある日、いつものように壁を眺めていると、兄の皇帝がやってきた。

 (ユタ。その花が何故お前の心を捉えるのか、分かるか?) ――



 カパックは、そのときの皇帝の話を思い返しながら、ミカイに語って聞かせた。


「昔、戦いに敗れた部族の長が、残る兵士を率いて高い山に逃げ延びた。山の中を彷徨ううち、険しい岩場にひときわ明るいオレンジ色の光が見えた。そこを登って光の元へくるとそれは一輪の花だった。

 部族の長は、その花を『まるで明けの明星(チャスカ)のようだ』と言って手に取ると、ふたたび勇気を取り戻し、山を下りて敵に打ち勝ったという話だ。

 薬にもなるその花は、戦士の勇気の印とされ、称えられている」



―― (このチャスカの花がお前の心を捉えるのは、お前にこの花と同じ使命があるからだ。

  この花はスーユの戦士を守りこの国を勝利へと導いてくれる。

  お前もこの花にあやかって勇気ある立派な戦士となり、スーユを勝利へと導くのだぞ。)

  そう言った兄の皇帝は、幼いユタをまっすぐに見ていた ――



「まあ、そんな言い伝えがあったなんて」


「偶然にでもその花を見つけてきたミカイは、アイユの人々にとって『希望の(チャスカ)』かもしれないね」


「そんなことないわ。でも、ユタの『希望の星』になれたらいいのに」


「ミカイ。君の元へ帰ってくるという希望をもっていれば、遠い地方でも寂しくないよ」


 カパックは、もらったスカーフに手をやって微笑んだ。


「ユタ。私も待っているわ。気をつけて」


 約束を交わすと、ミカイは名残り惜しそうに何度も振り返りながらアイユへと帰っていった。



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