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開拓(3)



 カパックはすっかり緋の谷のアイユの訛り言葉に慣れてきた。

 会話がスムーズに伝わるようになると、ミカイの人柄もよく伝わってくる。

 天真爛漫な田舎の少女とばかり思っていた彼女は、実はたいへん物知りで、こと薬草に関しては多くの知識を持っていた。医者のいないアイユでは、ミカイが唯一治療を施すことができる人物であり、それを頼ってくる村人も多かった。


「薬草のことも何もかも、みんな大祖母さまに教わったのよ」


 休息の日、ミカイに連れられてカパックは『大祖母さま』の家に行った。

 土壁で造られたその家はまるで小さな祠のようで、藁葺きの屋根は黒ずんで朽ちかけていた。入り口にかけられた簾を持ち上げて入ると、中はうす暗く目が慣れるのに時間がかかった。ようやく目が慣れてくると、正面にひとりの老婆が足を抱え込んで座っているのが見えた。

 いや、それは老婆ではなく、老婆のミイラだった。生きているかのように、新しいショールを肩にかけ、白髪はきれいに梳いて編まれている。頭に巻いたバンドもまだ新しいものだ。アイユの人が毎日世話をしているらしい。


「大祖母さまはアイユの守り主。長老のおばあさまにあたるのだけれど、このアイユの中では長老と私にしかお話ししないのよ。とても気難しいの」


 カパックはその老婆のミイラを見つめた。蝋のような光沢のある顔。目は堅く閉じられているが、その瞼の奥から、じっとこちらを見つめているような感じがする。


「あの花のことも大祖母さまが教えてくれたのよ。高い険しい山に唯一、父さんの足を治せる薬草が生えているって。お前はそれを取りに行く勇気があるかって。

 ねえ大祖母さま、あの花のお陰でわたし、このユタと知り合うことができたのよ」


 老婆のミイラは鋭くカパックを観察しているようだ。ミカイが困ったように言った。


「大祖母さま、今日はいつもと違うわ。何かを警戒しているような。

 どうしたのかしら……」


 そのとき、カパックの耳にしわがれた老婆の声が響いてきた。


皇族(インカ)さまの……』


 その言葉を耳にした途端、カパックの心臓が早鐘を打った。

 そして慌てて小屋をとび出していた。ミカイが追ってくる。


「どうしたの?ユタ」


「いや。大祖母さまはあまりよそ者が来るのを好まないように思える」


 カパックはミカイに背を向けたまま、必死で言葉を取り繕った。


「そうかしら」


 老婆のミイラはカパックが皇族であることに気づいたのだ。皇族であることを知られたら、もうこのアイユにいることはできないのだ。老婆がそのことをミカイに話さなければいいのだが。カパックは気がかりでならなかった。


 労働者の仕事はほぼ終わりに近づいた。

 広大で柔らかい、作物を育てるのに適した土地は石垣によっていくつもに区切られ、アイユの家それぞれに割り当てられた。村人の畑に囲まれるように国の畑も作られた。この畑には国に納める作物が植えられるのだ。緋の谷のアイユが立派な自治体として認められた証であった。

 出来上がった畑をアイユの男たちが足踏み鍬で耕していく。

 種を蒔くのは女たちの仕事。畔に沿って村中の女たちがジャガイモの種芋を植えていく。 川に近い少し低い土地にはトウモロコシやマメが蒔かれることになった。雨季が来れば一斉に芽吹き、そのうち見事な実りを結ぶだろう。


 長老は労働者たちに感謝を述べ、指揮官のクッチが「これは皇帝と太陽神の厚意であるから、作物が実ったら神殿へ献上の物を捧げるように」と伝えた。

 彼らの役目は終わった。

 労働者の中にはそのままアイユに残り作業を手伝う者もいたが、カパックは裁判のためにすぐに宮殿にもどらなければならない。


 帰り支度を済ませたカパックは、ひとりでもう一度、大祖母の祠を訪ねていった。カパックが皇族であることをミカイに話さないように頼んでおかなくてはならない。


 大祖母の祠は、以前と同じく村はずれにひっそりと佇んでいた。誰もいないことを確かめて、カパックは素早く中へすべり込んだ。

 薄暗がりの中に大祖母の姿が見えた。今日も誰かが身の回りの世話をしていったらしい。髪を整え身ぎれいにして、大祖母は前と同じ姿勢で座っていた。カパックが近づくと大祖母のほうから話しかけてきた。


『おお、皇族(インカ)さまの御子よ。

 こんなところに、よくぞおいでくださいました』


 大祖母の言葉は、頭の中に響くように聞こえてくる。


「大祖母君、先日は失礼いたしました。

 私は身分を隠してこの村に来ています。しかしもう宮殿に戻らなくてはいけない。

 私が戻ったあとも、どうかミカイには本当のことを話さないでいただきたいのです」


『……分かりました。黙っておりましょう。

 そうですか……ミカイはとうとう貴方に出会ったのですな』


「とうとう?」


『いや。

 ただ、大きな運命を担っておられる貴方と出会ったことで、あの子の運命も大きく変わっていきましょうな……』


「運命とはいったい?」


『私などが申すまでもないこと。運命はもう動き出しておりまする』 

 

 気になる言葉を残して、大祖母はそのまま黙り込んでしまった。

 カパックはそれ以上、問いかけることができず、黙って祠を後にした。


 村を出る前の晩、労働者の宿舎にミカイが訪ねてきた。

 ちょうど応対したのがクッチだったので、彼は気を利かせてカパックを外に出し、二人きりにしてやった。

 ミカイは寂しそうに言った。


「もう明日、発ってしまうのね。畑ができるのは嬉しかったけど、そうしたらユタが行ってしまうと思って悲しかった」


「ミカイ……」


「ユタはクスコの職人だから、もう緋の谷を訪ねてくることはないのでしょう?」


 あまりにも寂しそうにうつむいているミカイの姿がいじらしくなったカパックは、思わず約束していた。


「ミカイ、職人にも休息の日はあるよ。また君に会いに来る」


 本当のところ、カパック自身もなんとかまた会いたかったのだ。

 ミカイの顔が輝いた。


「でも、君の家を頻繁に訪ねるわけにはいかないな」


「そうね」


 ミカイも考え込んだ。


「そうだ。私が会いに来たら、アイユの入り口の立ち木にこのピンを刺しておくよ。それに気付いたら、このピンを持って丘を下っておいで。その平原で会うことにしよう」


 カパックは、自分のマントを留めている青銅のピンを指差して言った。

 ふたたびミカイは笑顔になった。


「分かったわ。それが合図ね」

 

―― 貴方と出会ったことで、あの子の運命も大きく変わっていきしょうな…… ――


 大祖母の言葉を気にかけながらも、カパックは自分の想いを止めることはできなかった。



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