開拓(2)
チャンカ人の裁判の前に、アリン・ウマヨックが申し入れておいた緋の谷のアイユの開拓が着手されることとなった。
こちらの準備は早々に進み、労働者数十名と物資の搬入が行われる事となった。いよいよ緋の谷のアイユの開拓が始まろうとしていた。
カパックは、ミカイと緋の谷のアイユのことが気にかかり、チャンカの裁判の日を待つ間、緋の谷の開拓を手伝おうと考えた。そしてふたたび例の庶民のなりをして労働者の団体に紛れ込んだのだ。
しかし、この団体の指揮官はハトゥンとクッチだったのだ。二人はすぐにカパックを見ぬくと、物陰に連れていって彼を問いただした。
「カパック様、なんという格好を! いったいどうなさったのです?」
今さら誤魔化しようもなかった。カパックはあたふたと事情を話した。
「私はこのなりであのアイユに行ったことがある。その時に『ユタ』という名の金細工師の見習いだと名乗ってあるのだ。話を合わせてくれ」
いたずら好きのハトゥンとクッチは、ニヤニヤと笑って顔を見合わせた。
「あーあ。緋の谷のアイユに、えらく威勢のいい、結構な美少女がおりましたなぁ」
「いや、そんなことでは……」
ハトゥンは言葉を遮るように、その大きな手でカパックの肩を力強く叩き、顔を覗きこんで言った。
「まあ、いいではないですか! カパックさまはまだまだ若い! 恋のひとつやふたつあって当然のこと。かえって安心しましたぞ」
ハトゥンは子どもの冒険を楽しげに見守る親のような態度だ。馬鹿にされたようで不快になったカパックはハトゥンを睨みつけたが、そんなことはおかまいなしに二人は愉快で仕方ないというように笑った。
ハトゥンはカパックの襟をひょいとつかむと、
「では出発するぞ。見習い少年!」
と言って団体の列に引き摺っていった。これにはカパックも形無しだった。
開拓団は、緋の谷へと出発した。
ガタイのいい男たちの中では、鍛えられてそれなりに逞しい身体を持つカパックでさえ、一番華奢に見える。しかも一番若い。歩きながら労働者たちは、カパックを散々からかった。
「よう、若造! なんでこんな大変な役目を引き受けた? 親方の嫌がらせか?」
「なんでそんな女物のピンをしてやがる? そういう趣味なのか?」
「おいおい、指揮官。お姫さまにこんな仕事をさせていいのかい?」
皆、カパックを指差して大声で笑った。
たまらずハトゥンが助け舟を出す。
「皆、その辺で勘弁してやってくれよ。そいつは見た目は女みてぇだが、よく働くぞ。存分に使ってやってくれ。
それにそのピンは、そいつが修行に来て初めて作った記念の物らしいんだ。だからいつも付けていたいんだとさ」
カパックはハトゥンに近づいてこっそりと聞いた。
「ハトゥン。私はそんなに軟弱に見えるのか?」
「はっははー。この面々の中では仕方ないですわ。それだけいい畑ができますわい」
「そうだが……」
カパックは面目をつぶされて、その後歩きながらずっとふてくされた顔をしていた。
緋の谷のアイユでは、村人は労働者の一行を首を長くして待っていた。
一団は長老に挨拶し、持ってきた作物の種やリャマたちを託すと、早速岩場に行って大きな石をいくつも切り出して運んできた。そしてその日のうちに、大きくて頑丈な自分たちの宿舎を造ってしまったのだ。その働きぶりに村人は感心して見とれていた。
カパックはその体に似合わず、重労働を難なくこなすので、散々からかっていた労働者仲間は驚いた。そして次第にこの若者に一目置くようになっていったのだ。
宿舎が出来上がると、彼らの歓迎と開拓の無事を願うため、アイユを挙げて盛大な宴が開かれた。
アイユの女たちが質素ながら精一杯のご馳走を支度し、若い娘たちがそれを運んできた。 焚き火を囲んで労働者も村人も一緒になって酒を飲み、歌ったり踊ったりの大騒ぎが始まった。
隅のほうで遠慮がちに飲んでいたカパックの杯に酒を注ぎにきた少女がいた。
突然、少女はカパックの横で驚いた声を上げた。
「ユタ!」
カパックも驚いて、慌てて少女を振り返った。
ミカイだった。
「ユタ。どうして何も言わないで帰ってしまったの!父さんだけに挨拶して!」
ミカイは、カパックと隣に座る労働者の間に強引に割り込んで座った。ミカイの甲高い声に労働者たちは一斉にこちらを注目し、みなニヤニヤしている。
「いや。仕事があったものだから」
「こんどはずっといるのね。良かった。また会いたかった!」
カパックは無邪気に話しかけるミカイの横で冷や汗を流していた。
ハトゥンとクッチが焚き火の向こうから「やはり」といった顔で、楽しそうにこちらを見ている。穴があったら入りたいくらいだ。ミカイに会えて嬉しい気持ちよりも恥ずかしい気持ちでいっぱいになり、緋の谷に来たことを後悔するカパックだった。
次の日から本格的な開拓が始まった。
長年踏み固められてしまった土地に鍬を入れるのはたやすいことではない。掘り返すと大岩が出てくることも多く、足踏み鍬を何本も無駄にした。やっとのことで大岩を掘り返しても、それらをどかすのには人数と手間がかかった。
カパックも大男たちに混じって汗水流して働く。重い石を背負ってはアイユの端から端を何度も往復した。
休憩の時間には娘たちが交代で食事を運んでくる。
ミカイの姿を見ると、どの労働者も素早くカパックのところに連れていき、並んで座らされた二人はいつもからかいの種になっていた。それがきつい労働をこなす男たちにとって唯一ホッとできる楽しみでもあったのだ。
土がほぐれ、軟らかな黒土に変わると、今度は畑の輪郭を築く作業に入っていった。作物に合わせて場所や広さが決まると、石垣を組んで畑を分けていく。畑と畑の間に小石を敷いた用水路が設けられる。何もなかった広大な荒地が美しいラインを幾重にも重ねたたくさんの畑へと姿を変えていった。
大勢の力持ちは、普通の人では数ヶ月かかっても終わらない仕事を数週間で成し遂げてしまったのだ。