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チャンカ(2)

 その晩カパックたちは、緋の谷の外れでたいまつを消して様子を覗っていたのだが、盗賊たちはとうとうやって来なかった。


 空が白み始めたころ、長老の言う西の谷を目指して一行は出発した。

 緋の谷から遥かに続く高原を行くと、突然大地の裂け目のような断崖が現れ、その下に深く大きな渓谷が広がっていた。

 カパックたちは断崖の下を覗いた。河に水はなく、乾いた石ころばかりが転がっている。 その渓谷の中央に、藁束のようなものが密集しているのが見える。よくよく目を凝らして見ると、それは家だった。瓦礫や小枝や藁で作られた粗末な家ばかりだが、明らかに大勢の人間がそこに集落を作って暮らしているのだ。


「あれがチャンカの集落ですな」


 その規模から見ると、かなりの人数を抱える立派な(アイユ)のようだ。家に出入りする人の中には女性や子供の姿も見られる。食べ物になりそうな物など、どこにも無さそうな、乾いた渓谷だ。そこの者たちは略奪によってやっと生計を立てているのだろう。

 戦える男の数はどのくらいいるのか見当もつかないが、その集落の規模からすれば、数十人……いや、百人近くはいるように思われる。


「相手は泥棒の集団です。まともに話し合いに応じるとは思えませんな」


 スンクハがとがったあごを撫でながら言った。


「なるべく女子供には犠牲を出したくないが、向かってきたものは片っ端から倒していくしかないだろう」


 巨漢のハトゥンが指を鳴らした。


「われわれは争いを仕掛けにきたのではない。なるべく平和的に解決したいのだ。

 私に考えがある。夜、奴らが動き出すのを待つことにしよう」


 カパックは部下を落ち着かせてから、ある作戦を伝えた。そして最後に真剣な眼差しで部下たちを見据え、付け加えた。


「しかしあの一族が最後にどう出るか、それをわれわれが予測することはできない。万が一彼らと決裂したときは、そなたたちの命、私に預けてくれるか?」


 六人の部下はみな「もちろん」というように深く頷いた。

 そして相手に気付かれないように気を配りながら、カパックの作戦に従って準備をし、陽が落ちるのを待った。


 夜になった。

 ほとんどの灯りが消え、集落の人々は寝静まったようだが、ひとつだけまだ灯りがともっている小屋がある。

 夜半過ぎになって、その中から数人の男がたいまつを持って出てきた。


「よし。略奪に行くらしい。思い通りだ」


 男たちは、断崖をえぐって作られた坂道を、たいまつの明かりを手に斧を携えて上ってくる。

 ひとり、ふたり……、五人組みだ。

 五人が断崖を上り終えたところで、ワラッカが後ろの二人めがけて石を投げた。石は見事に二人に当たり、声もなく倒れた。

 前を行く三人が慌てて振り向いたところに、ハトゥンが後ろから三人の首を一度に締め上げた。


「声を上げるな!」


 アティパイの槍とクッチとアリン・ウマヨックの石のナイフが三人に向けられた。三人はうなり声さえもあげることができない。ハトゥンがそのうちの二人の頭と頭を打ちつけて気絶させ、残りの一人をクッチが縛り上げた。

 アリン・ウマヨックが縛られた人質に石のナイフを突きつけながら、チャンカ族の言葉で告げた。


『お前たちの(かしら)のところへ案内せよ。お前たちはもうわれわれの大群に囲まれている。逃げられはしない』


 その言葉を合図に、ワラッカが石のような固形燃料に火をつけ、藁のベルトを使って次々と投げた。燃料は動物の糞や脂で作られたもので勢いよく燃える。

 炎は、昼間渓谷の周りに密かに用意していたたくさんの藁束をすべるように燃え移っていき、まるで大軍隊がたいまつを持って現れたように見えた。

 人質になった男はその光景を見て真っ青になり、口をあんぐりと開けたままガクガクと何度も頷いた。


 人質を従えてアティパイ、アリン・ウマヨック、カパック、スンクハが渓谷を降りていった。

 集落の人間は渓谷の上に突然現れた無数の明かりを見て驚き、どやどやと家の中から飛び出してきた。おろおろと逃げ惑う人々、悲鳴をあげる女性、泣き叫ぶ子ども。集落は大混乱に陥っていった。


 渓谷に降りると人質は独特の呼び声で首領を呼んだ。

 集落の中のひときわ大きな小屋から大男がぬうっと出てきた。


『お前らは誰だ!』


 その男は低くうなるような声で怒鳴った。

 顔中、古傷と打撲の跡で歪んでいる。背中に大きなコブを背負っているかのように前かがみになり、筋肉の盛り上がった太い両腕をブランと前に垂らして、がに股でのっしのっしと進み出てきた。背中に背負った大きな斧も、この男の大きさに比べたらまるで小枝のようだ。


「われわれは、昔お前たちに打ち勝ったクスコ族、タワンティン・スーユの者だ。私は、スーユの将軍カパック・ユパンキ。お前たちが、スーユの領地で略奪を働いていることを知って討ちに来たが、ここには女や子供もいるようだ。なるべく平和的に解決したい」


 チャンカの言葉を知るアリン・ウマヨックが、間に入って通訳する。


『アンコワリョ様! 谷の上はもう軍隊に取り囲まれています。我らが抵抗したところで勝ち目はありません!』


 人質の男は悲痛な声を上げた。アンコワリョと呼ばれた大男は谷の上の無数の明かりを見てこぶしを握り締めた。


『ちくしょう。われわれはお前たちに破れて屈辱を味わい、未だにこんな生活を送っている。この上何故こんな思いをしなくてはいけないんだ!』


 アリン・ウマヨックの通訳を介するまでもないほど、アンコワリョの強い思いがカパックに伝わってくる。

 カパックはアンコワリョの前に進み出て、斧を突き出した。


「チャンカの首領よ。一対一で私と勝負しろ。

 お前が勝てば、略奪しないことを約束して、私たちはそのまま引き返そう。

 私が勝てば、戦士は一人残らず捕虜として連れ帰る。

 ここにいる者よ!しかと聞いたな」


 アンコワリョが大声で笑った。


『ほう。なんと慈悲深い将軍どのだ……。というよりもなんと間抜けなのだ!』


 アンコワリョは不気味な笑みを浮かべて背中の斧を抜くと、素早くカパックに斬りかかった。カパックは素早くそれをかわしたが、アンコワリョはすぐに振り返りまた斬りかかってきた。

 そのとき誰かがカパックめがけて投石を放った。カパックはその石を瞬時に斧で払ったが、その隙にアンコワリョの振り回す斧がカパックの身体を掠めた。

 アンコワリョが一瞬カパックから身を引き、味方のほうを向いて怒鳴りつける。


『誰も加勢してはならない。戦士の契約だ!

 この俺がスーユのやつらに目にもの見せてやるわ!』


 カパックも味方に告げた。


「手出しはするな!」


 二人は互角の戦いを繰り広げ、周りのものは固唾を呑んで見守っている。

 丘の上で待機するハトゥンとクッチとワラッカも、下の様子をハラハラして見守っていた。


「こんなことは聞いていないぞ。カパック様はなんということを!

 このままあの頭を捕らえてしまえば作戦は難なく成功するではないか!」


 クッチが叫ぶと、ワラッカが静かに答えた。


「あいつらの恨みは思っていた以上に深い。ここで騙して捕らえたとしても、一族を根絶やしにしない限り、あいつらは幾度でも反撃を繰り返すだろう。カパック様はあいつらの命を救って味方につけたいと考えていらっしゃるのだ」


 アンコワリョの斧は恐ろしいほどの威力でカパックに襲い掛かってきた。振り下ろされた斧をカパックがかわすと、そこにあった石が粉々に砕け散った。

 辛酸を舐めてきた者の執念が、彼に余計力を与えていた。素早い攻撃はカパックに反撃する隙を与えない。それをかわすカパックの動きも見事ではあるが、形勢は徐々にカパックの不利になってきた。


(なんて奴だ)


 カパックは、狂ったように向かってくるアンコワリョの勢いにジリジリと押され、後ずさりし始めた。そのとき、一歩引いたカパックは、後ろにあった石に躓き、バランスを失って尻もちをついてしまった。


『今だ!』


 アンコワリョは舌なめずりをして、斧を高く振り上げた。


(お願いよ!)


 瞬間、カパックの頭にミカイの声が響いた。


 振り下ろされたアンコワリョの斧は、薄布一枚ほどの差でカパックの後ろの石を砕いていた。と同時に、カパックの斧の柄がアンコワリョの腹を深く突いたのだ。

 屈みこんだアンコワリョはそのまま意識を失い、ドッと倒れた。


『おのれー』


 アンコワリョが倒れたのを機に、ふたりの戦いを見守っていたチャンカの戦士が一気にカパックの方へ向かってきた。

 アリン・ウマヨック、アティパイ、スンクハの三人が慌ててカパックの方に駆け寄る。

 断崖の上の三人は固形燃料に火をつけ、一斉に放とうと構えた。もはや集落に火を投げ入れて混乱を起こし、敵を倒すしか方法が無いと考えたのだ。

 しかしカパックは逃げようとするでもなく、斧を構えるでもなく、冷静にチャンカの戦士たちの動きを窺っていた。

 暴走し始めたチャンカの戦士が、カパックに今まさに襲いかかろうとするときだった。


『待てー!』


 よく響く声が谷にこだました。

 チャンカの戦士たちはその声を合図にピタリと止まった。

 ひときわ明るくかがり火を灯している小屋から一人の老婆が出てきた。老婆は杖をついてゆっくりとカパックのほうへ向かってくる。そして歩きながらチャンカの兵士たちに諭した。


『首領は戦士の契約を結んで戦ったのじゃ。首領に恥をかかせるつもりか』


 戦士たちは老婆に跪き、おとなしく後ろに下がって行った。

 老婆はカパックの前に立つと言った。


『そなたはわれらを救おうというのじゃな。本来なら皆殺しにされても無理はない。しかし、そなたはわれらの誇りを守ってくれようとしておる。』


「あなたは呪術師か?」


『そう。わが名はキータ。チャンカがクスコとの戦いに敗れてから、残った者を率いてこの谷にやってきた。

 しかしこの先も、この何も無い谷で暮らせる方法はなかった。そなたたちがわれらを倒さずともわれらは滅びる運命にあったのじゃ。わが戦士たちを連れていくが良い』


 そしてチャンカの民を振り返ると叫んだ。


『皆のもの、これまでだ。スーユの皇帝の沙汰を待とう』


 チャンカの民からは泣き叫ぶ声が次々に聞こえてきた。


「キータ殿。戦士は連れて行かねばならない。しかしここには無実の民が大勢いる。私はこのままこの一族を見捨てることはできぬ。

 ここからはるか南に下ったところに、広大で豊かな土地がある。戦士をクスコに連れていったあと、遣いをよこして案内させよう。その土地でスーユの一部となり、畑を耕して新たな集落を作ってはどうか」


 それを聞くと、キータは驚いた顔でカパックを見上げた。


『なんと!そなたはなんという慈悲深い心をもっておられるのか』


 そして独り言のようにブツブツと呟いた。


『やはりこのお方じゃったか。やはり……』


 キータはおもむろに皺だらけの手をカパックの前にかざすと、目を閉じて何かをぶつぶつと唱えた。どうやらカパックを占っているらしい。

 そして小さな声で呟いた。


『そなたは偉大な仕事を成し遂げるお方じゃ。スーユが豊かな国になる礎を築いていくであろう。

 ……しかし、しかし……』


 突然眉間に皺を寄せ、苦痛な表情を浮かべると、キータはかざしていた手をサッと下ろしてしまった。


「何が見える?」


 カパックが訊いたが、キータはかぶりを振った。


『いや、それ以上は何も……。

 そなたの意思にわれらは従おう。どうかわれら一族を救ってくだされ』


 キータは深々と頭を下げると、またゆっくりと杖をついて小屋へと戻って行った。


「戦士たちを縛り上げろ」


 アリン・ウマヨックの指示で谷の上の三人も降りてきて男たちを縛ってつなげた。

 キータの言葉はよほど重要らしく、先ほどまでとは打って変わって戦士たちはカパックに素直に従った。

 意識を取り戻したアンコワリョを先頭に、渓谷の上に捕虜たちを上げたときには、もう夜が明け始めていた。

 渓谷の上に立つと、おびただしい数の藁束の燃え残りが一面に白い煙を上げていた。それを見たアンコワリョは驚いて声を上げた。しかし騙されたことを口惜しがるのではなく、むしろカパックの作戦に心底感心して声を上げた。


『カパック殿! なんと見事な! われわれは喜んで貴方について行きましょうぞ!』

 

 昼ごろ、長い捕虜の列は緋の谷のアイユに着いた。

 アリン・ウマヨックは、アンコワリョを引き連れて長老を訪ねた。


「長老。カパックさまはあなたに裁きを任せると言っておられるが……」


 長老は、跪くアンコワリョの姿を見下ろし、しばらく睨みつけていたが、ふうっと溜め息をひとつついて、静かに言った。


「もう、この者たちをどうしようという気はございません。

 わしらの願いはただひとつ、このアイユの荒れた土地を元に戻してほしいということだけです」


 アリン・ウマヨックは頷いた。


「分かった。彼らの裁きは皇帝陛下が下されるであろう。

 そしてこのアイユの開拓を皇帝陛下に願い出ることとしよう」


 話が終わってアリン・ウマヨックが出てくると、村人は一斉に家から出て、アリン・ウマヨックを待つ丘の上のカパックに跪いた。皆と同じようにミカイも跪いてカパックの姿を見送った。

 カパックたちがアイユを去った後、母親がミカイに言った。


「なんて立派な方だろうね。

 インティ・ライミであの方に直接祝福を受けたあんたは幸せ者だね」


 ミカイは晴れ晴れとした顔で大きく頷いた。


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