6.起床
目覚めは唐突だった。
頻繁に聞こえていた低い声がパタリと遠のき、夢の中でその声を恋しく思った一瞬に意識が浮上した。
目覚めた白騎士は動かぬ体に呆然とし夢の中の声のことなど一遍に吹っ飛ぶと、どう力を込めればいいかすら忘れている体にどうにか力を込めてゆっくりと自身の右腕を僅かに持ち上げると、次第に現実での記憶をよみがえらせた彼女の目じりから、ほろりと一粒涙が零れた。
「……し、んで…ない」
掠れた声が呆然と転がり落ちた。
「ええ、貴女は生きているわ」
知らない声が白騎士に掛かり、白騎士はびくりと驚きながらゆっくりと視線を声の方へと巡らせた。
視線の先には服の上から白いエプロンをした小柄な女性がいた。
「おはよう。 気分はどう?」
ゆっくりと近づき、ベッド脇に置かれていた丸椅子に座ったノシターはそう声を掛けると微笑んだ。
返事をしない白騎士に気を悪くした様子も無くノシターは口を開く。
「貴女は重症を負ってこの家に運ばれてきたの。 私は貴女を治した、医者」
「…いしゃ?」
疑問符に気づいたノシターは頷いてみせる。
「傷ついたり病んだりした人間を治すのが私の…私の使命」
白騎士はノシターをじっと見つめていたが、息を吐いて目を瞑った。
「……治さなくて良かったのに」
その呟きが聞こえているはずなのに、ノシターは笑みのまま白騎士に話しかける。
「沢山寝ていたからもう眠くないでしょう? お腹がすいているわよね、何か消化にいいもの、貰ってくるわね」
そう言うと、丸椅子から立ち、狭いその部屋を出て行った。
程なく、部屋に戻ってきたノシターが持ってきたのは、大量の食料だった。
「こんなに、食べられるわけない」
ベッドに据え付けるテーブルを出して次々と皿を並べるノシターに、白騎士は顔をしかめる。
「8日間も飲まず食わずで寝続けていたのよ? 貴女ならこのぐらい入るわよ」
ノシターはそう言うと、ベッドの横に付いていたハンドルを回す、すると白騎士の寝ている背がベッドごと持ち上げられ、まるでソファに座っているような状態にされる。
「手は動く? うん、そうね、まだ力が入らないわよね? 指先の感覚はあるのね、じゃぁ神経はちゃんと繋げられたようね。 はい、アーンして? ふふっ、だって手が動かないのでしょう、食べさせてあげるわよ」
スプーンで緩い粥を口に運ぼうとするノシターに、白騎士は抵抗するように顔を背ける。
力の入らない体で拒絶し、皿をひっくり返したりする白騎士に、ノシターは根気強く付き合い、日が落ち始めた頃には最初の一口を白騎士に食べさせることに成功した。
一口食べてしまえは、あとは体が求めてしまう。
白騎士は飢える肉体に抗えず、何度も口を開き食べ物を求める。
ノシターも求められるままに食事を口に運んだ。
大量にあった食料の、半分は白騎士の抵抗で床に落ちたが、残りの半分は白騎士の腹に納まった。
すっかり腹も膨れ、更には抵抗するのに力も使い果たした白騎士はぐったりとベッドに体を沈ませ、床を片付けるノシターを見るとはなしに見ていた。
コンコン
部屋のドアをノックする音に白騎士はそちらを見、ノシターは手を止めずに「いいわよ」と声を掛けた。
ドアが開いて入ってきたのは10歳くらいの少女だった。
手にはお盆があり食事が乗っていた。
少女は目が合った白騎士にきょとんとした後、にっこりと笑った。
「目が覚めたんですね! 良かった!」
そう言うと、部屋が暗いことに気づいた少女は片手でお盆を持ち直し、ドア近くの壁に手をやった。
すると、部屋の天井が光を灯した。
驚いた白騎士が怯えるように目を瞑ると、少女は慌ててタンタンと壁を叩き部屋の光量を落とした。
「ごめんなさい! 急に明るくしたら眩しいよね! 大丈夫?」
とことこと近づき、心配そうにするその邪気の無い顔に白騎士は目をそらす。
「リレイ、大丈夫だからそれは台所に持っていって、あっちで食べるわ」
「ん、わかった!」
リレイと呼ばれた少女は、ドアに向かうとタンタンと右足の踵で床を蹴ったあとタタタタンと足踏みし…。
「”解除”」
そうドアに声を掛けてから部屋を出て行った。
「……貴女の子か…?」
掃除を続けるノシターに、白騎士が呟くように訊ねる。
「いいえ、親友の子よ。 私は家事が苦手だから、ああして食事を届けてくれるの。 さ、疲れたでしょう? ゆっくり休んで」
ノシターは起こしていたベッドを戻すと、丁寧な仕草で白騎士に上掛けを掛け、壁を叩いて部屋の明かりを消すと「お休み」と言い残して部屋を出て行った。
明かりが落とされた部屋の中、食事ですっかり疲れきった白騎士は休みたがる体と意識を気力でもって押さえつける。
食事を摂ったお陰か、体に血が巡る。
ゆっくり呼吸し血の巡りを確かめながら体を動かせば、最初は動かなかった手も持ち上がるようになり、最終的に自力で身を起こすことすらできるようになった。
元々回復が早い自覚はあったが、足を落とされ両腕も動かせなくなった状態からたった数日で…。
思い起こして、慌てて上掛けを捲ると、落とされたはずの足がそこにあった。
何度思い起こしても、あの時黒騎士に切られ胴体と離れたのは間違いないはずなのに。
試しにつま先を動かしてみるとちゃんと動いた。
これが、あの女性の”治す”ということなのかと戦慄する。
ありえない。
まるで、奇跡じゃないかと考えたとき、酒場で聞いた噂を思い出す。
奇跡でもって死者おも生き返らせるという女が居るという。
神出鬼没、いつどこに居るかもわからない。
だが、いつの間にか現れ、死に瀕している人間を助けると。
同じ日に1日で移動できるはずも無い距離の2つの戦場に現れたこともあるという。
奇跡の女。
いつでも現れるわけではない、だからその奇跡に救われた人間はとても運が良いのだと。
「……運か…」
白騎士は自身の両足を見て顔をしかめた。
「…我が運は、自らの死すら、遠ざけるのか……」
自嘲めいた呟きと共に、ぼとぼとと目から涙が零れ落ちた。
やっと、やっと業から解放されると安堵したのに。
まだ生きろと………。