5.黒の執着
「……日参しなくても、目が覚めたらちゃんとおしえるわよ」
ノシターはあからさまに嫌そうな声音で、ずかずかと部屋に入り込む黒騎士に声をかける。
「せめて、お邪魔しますくらい言いなさいよ。 まったくもう」
開けっ放しにされた玄関を閉めて注意してくるノシターの言葉もきかず、黒騎士は一直線に白騎士の眠る寝室を開けてするりと巨体を滑り込ませ、静かにドアを閉めた。
ノシターは閉められたドアを見て深いため息を零すと、玄関のドアに操駆してそこを潜り抜け、そっとドアを閉めた。
狭い部屋はベッドとサイドテーブルと簡易なイス以外何も無い。
黒騎士は部屋の隅に寄せてあったイスを、白騎士の眠るベッド脇に寄せて座り、少し躊躇った後シーツから出ていた白騎士の右手を取って、両手で包み込んだ。
華奢だが何度も剣タコがつぶれ皮膚の厚くなったその手は、まるで死人のようにひんやりとしている。
戦場で見えた時は、悪鬼や修羅のような顔をしていた白騎士は、深い眠りの中に居る今、何一つ憂い無く穏やかな寝顔を晒していた。
額に掛かる白い髪を無骨な太い指でその髪を払う。
「夢の中は幸せか? 白騎士」
生きている事を確認するかのように、白騎士の頬を片手で包み、肉の薄いその頬を指先で挟んで小さく引っ張る。
いつまでも目覚めないから、小さな意趣返し。
「お前の名が知りたいな」
囁くように呟き、血色の悪い薄い唇を指先でなぞる。
「……この唇で、俺の名を…」
あの日の心を裂くような断末魔の叫びではなく、親しいものにする優しい音で呼んで欲しい。
それが無理なことは己が一番わかっているのに。
穏やかに眠る白騎士の表情を見ていると……許されたと勘違いしてしまいそうになる。
黒騎士は白騎士から身を離し、イスに座りなおす。
「恨みをぶつけるのでも構わない。 罵声でも、怒声でも、お前が目覚めるのなら、俺はお前の全てを受け止めてやる」
だから、早く目を覚ませと。
一度とはいえ、お前から四肢を奪った俺を倒すためでもいい。
目を覚ませ。
「なんでそんなにあの子の事を構うの? 黒騎士らしくも無いわね」
黒騎士が白騎士の眠る部屋を出ると、丁度ノシターが玄関から帰ってきたところだった。
茶菓子を貰って来たからお茶に付き合えといわれ、テーブルに着いたところで先程のセリフだ。
「らしく、か。 まぁ、そうだな、らしくねぇわな」
怒ることも無くノシターのからかいを受け止める。
目の前に置かれた茶菓子…というにはボリュームのある揚げ菓子を手にして一口噛む。
出来立てなのか、まだ菓子の中は温かかった。
「甘ぇな」
「お菓子ですもの。 はい、牛乳」
お茶ではなく、大きなカップに牛乳をなみなみと出す色気もクソも無い女からそれを受け取り、一息で飲み干した。
「もうそろそろ起きないと、流石に死ぬわよあの子」
拳骨のような揚げ菓子をぺろりと5つ食べたノシターは、世間話をするようにその言葉を黒騎士に告げた。
「……そうか」
一呼吸の沈黙で覚悟を決めた黒騎士は、手にしていた菓子の残りを数口で飲み込むと腰を上げ、戸口に向かう。
「仕事が入った、当分来れ無くなる。 もし、あいつが死んだら……手数だが、埋めてやってくれ」
振り向きもせず言い捨てていった男の背を無言で見送ったノシターは小さく嘆息し「根性なしねぇ」と苦く呟いた。