4.白騎士の過去 愛の記憶
大好きです
愛してます
今日もかわいいですね
好きですよ
ふふ、僕の一番さん
毎日毎日繰り返される挨拶代わりのセリフに、笑顔を返すときゅうきゅうに抱きしめられ、顔中にキスを落とされる。
きゃあきゃあ言って、拘束している腕の中から逃れて駆け出す。
ちいさなあたしは追ってくる義父さんの手から逃れながら、追いかけっこが楽しくて楽しくてたまらない。
大好きですよ
今日もかわいいですね
とけるような眼差しで、甘い声音で、何度もそうあたしに微笑む。
大好きな義父さん、男手一つで育ててくれた。
母が居なくてもよかった、兄弟がなくてもよかった、義父さんが居てくれたら全てが満たされていた。
あたしはやんちゃで、いっぱい怪我もして、いっぱい怒られた。
だけどいつだって抱きしめてくれた、大好きな義父さん。
あたしたちの住む町は国境に近かった。
あたしにとっては突然の、でも大人たちにとってはいつか来るとわかっていたらしいその戦争が始まった。
多くの兵隊が町に駐屯し、国境を守る。
治安が悪くなった。
不安があると、心が荒むのだと知った。
夜寝るとき、義父さんに抱きしめてもらいながらじゃないと寝られなかった。
あたしを慰めるように、何度も、大好き、愛してる、かわいいね、を繰り返してくれる。
義父さんの懐に顔を埋め、匂いを吸い込むと安心する。
新月の夜、真っ暗な部屋のベッドの中で2人。
「まるで、この世に2人きりになったみたいだねぇ」
義父さんの呑気な声を聞きながら、うとうととまどろむ。
「大好きだよ…。 ずっと大好きだからね。 愛してるよ、かわいい、かわいい……。
これから先、戦争はずっと厳しくなるだろう、国力からいって、ウチの国が勝利を得ることは厳しいと思う。
……僕も徴兵されることになったよ。
まだ小さい君から離れたくないけれど…。
帰ってくる、絶対帰ってきて、また2人で暮らすよ。
君が大きくなって、可愛い花嫁さんになるのを見るのが楽しみなんだよ。
愛してる、ずっとずっと愛してる。
だから生きてくれ。
きっとこの先、楽に生きられない時代が来る。
だけど、生きて欲しい。
かわいい君、大好きだよ。
生きて……その命を全うしてくれ」
夢うつつで聞いた義父さんの言葉は、あたしの中に深く沁み込んだ。
退役していた義父さんが魔術師として前線に復帰したのはそれからすぐだった。
絶対数が少ない魔術師なので、義父さんが前線に立つとこちらの国が優勢に立ったそうだけれど、それも長くは続かなかった。
無理を押して戦い続けた義父さんは、波状攻撃を仕掛ける敵国を命の最期の一滴を搾り出して渾身の広範囲魔法で殲滅し、両腕で空を抱いたその姿勢のまま生涯を終えた。
そして、義父さんの渾身の一撃で一度は巻き返したものの魔術師を失ったこちらの国は次第にその勢いを削がれ、国土を侵略されてゆく。
薄っぺらの毛布をしっかりと体に巻きつけ、息を潜めて眠りにつく中で、毎夜義父さんの夢を見る。
義父さんの腕の温かさを思い出す。
義父さんの声を思い出す。
忘れないように、忘れないように、忘れない、忘れない、忘れない、絶対に忘れない。
大好きだよ
今日もかわいいね
まるで、この世に2人きりだね
愛してるよ
生きて欲しい
生きて
生きて
生きて
生きて
義父さんの思いの込められた言葉達があたしの拠り所。
義父さんの言葉。
大切な義父さんの残してくれた言葉達。
大好きな義父さん。
可愛い花嫁さんになるのはちょっと難しいけれど、あたしは生きるよ。
サイゴまで生きる。
だから義父さん心配しないで。
そして、あたしは剣を取った。
義父さん、あたしは……生きるよ。
生きるよ。
『……お前は一度シンダ…。 目覚めろ……。 トモニ……生き…』
義父さんとは違う、低い声が。
地の底から這い上がってくる。
義父さんの記憶を繰り返し見ているあたしに、地の底から声。
とうとう冥府への誘いがあたしに届いたのだろう。
長かった、長い長い道だった。
義父さんとの約束、果たせただろうか。
あたしは精一杯”生きた”けれど。
義父さん。
義父さん。
少し乱暴に髪を撫でる手。
義父さんの手ではない、乱暴な手。
義父さん、貴方の手が恋しいです。
動かない手を、ざらついた固い掌が熱を分けるように包み、少し乱暴に手を擦る。
義父さんの手はもっと滑らかだった。
こんなに…剣ダコだらけの掌じゃない。
義父さんの手が良く頬を撫でてくれた。
あたしより少し体温の低いその手が心地良くて大好きだった。
また、地の底から声がする。
『……俺をこんなに待たせる女はお前が始めてだ』
不遜なセリフなのに、声は囁くようで、義父と同じように温かさがあった。
『なぁ……』
頬をざらついた指が撫でる。
『…なぁ』
言いにくそうに、何度も躊躇う声。
『…どこか行きたい場所はあるか?』
行きたい、場所…?
義父さんのところ。
『目を、覚ましたくないのか? ……あんな目にあったんだ、眠っていたいか』
あんな目?
そっと、壊れ物を扱うように頬を撫でられる。
髪を梳かれる。
『俺が守る。 これからずっとだ。 だから、もう観念して目を覚ませ』
守る?
守られるようなような、か弱い女じゃない。
あたしは…あたしは、戦う人間だ。
『……あぁ、くそっ。 まだ、誰にも言ったことがねぇんだぜ。 なぁ…』
イラ付いたような粗野な言葉。
義父さんのような優しい言葉を、この人は持たないのだろう。
『なぁ…』
躊躇うように、何度かその言葉を繰り返す。
不意に、右手を大きな掌に包まれた。
あたしよりも体温の高い、暖かな手。
『ちゃんと、聞いておけよ』
握られた手に、息が掛かる。
それは、囁くような声だった。
『お前が…スキダ』
誰にも聞こえないように、あたしだけに伝える小さな低い声。
『……聞こえた、か?』
暫くして、手のぬくもりが離れていった。
大好きだよ
今日もかわいいね
優しい義父さんの声があたしを慰める。
『旅に出ないか? 東に行こう。 山を越えなきゃならねぇが、俺達なら大丈夫だろう。 東にはほとんど戦がないんだとよ。 なぁ、そこで……』
柔らかく握られた右手が温かい。
『俺と暮らさないか』
”俺”と暮らす?
義父さん、義父さん…貴方との二人きりの生活はとても幸せだった。
あたしを甘やかし、優しい言葉をたくさんくれる義父さん。
大好きな義父さん。
ねぇ義父さん
一人きりで生きるのは寂しいよ。