25.名は
「操駆が可能な範囲を、調べる……?」
「そう! 操駆がキスになっちゃったのは間違いないけど、それがどこまでの範囲で摘要されるのかが重要なの。ということで、実験しましょう」
明るく言ったノシターに、素直に頷くことはできなかった。
「ワタシは、魔術師になるつもりはないぞ」
「白騎士の唇は俺のもんだと言ってるだろうが」
ワタシばかりじゃなく、黒騎士もノシターに反論する。
ノシターはわざとらしく困ったような顔をして、頬に当てた左手の指で数度頬を叩く。
「ちゃんと治癒魔法ができるようになれば、もしこの男がまた、まかり間違って大怪我を負ったとしてもすぐに治せるようになるけど、もしちゃんと魔法が発動しなかったら……怖いわよねぇ? それに、この実験には、まず、黒騎士の手伝いが不可欠だけど。黒騎士が駄目だというなら、実験なんてできないわよね。残念だわ」
そ……うか、これから先、彼と旅をするにしても、ワタシが彼を癒すことができるに越したことはない、か。
「俺が実験台になる分にはなにも問題は無い。さぁ、やるぞ」
「……あからさま過ぎて、引くわね。白ちゃんもやる気になってくれた?」
黒騎士に白い目を向けてから、ワタシのほうを見た彼女に頷いてみせる。
魔法の発動に必要なのは、操駆と強い思い。思いは口に出した方が形が整いやすい。
「まずは、普通に、唇に操駆して魔法を使ってみま――って何してんのよアンタ!」
「ああ? 治癒の魔法なんだろ? じゃぁ、怪我がなきゃ駄目だろうが」
自分の手の甲にナイフを滑らせた黒騎士にノシターが目を剥く。
「実験台なんだろ? ほら、白騎士、来いよ」
ナイフを鞘に戻した黒騎士に手を引かれて、抱き寄せられる。
一流の傭兵は手際の良さが違うな。
感心しながら、彼を見上げ……。
「く……ろ騎士、ベッドに座ってくれないか。高くて接吻できない」
何と呼べばいいのか迷いながら、結局いつもどおりの呼び名を使って彼にそう願えば、すぐさまベッドに座ってくれる。
その間にも彼の手の甲の傷からは血が溢れている。深くは無い傷だが……よし、コレを治すんだな。
「じゃぁ、操駆してから、強く願って」
結局、彼の手の甲の傷が治癒できたのは、夕刻も近くなってからだった。
「もっと強く願わなきゃ駄目!」
「他の事は考えない!」
「治す事だけを考えて、体の内にある魔力を使うのよ」
「黒騎士っ! 舌を入れるんじゃないって何度言わせるの!」
ノシターの厳しい監督のもと、唇が熱を持つくらい接吻を行う。
目を閉じることをしない黒騎士の唇に、目を伏せながら唇を寄せて「“治れ”」と声に出して願ってからもう一度唇を重ねれば、彼の手の甲に走る傷が見る見るうちに消えた。
「うーん、変則的なやりかただけど、これで魔法が行使できるなら、納得するしかないわよねぇ」
本来なら最後の接吻は必要ないはずなのに、と首を傾げるノシターだったが、考えても答えは出ず、こういうものなのだと納得してくれた。
それならば、コップ等に接吻をして中に水を満たすこともできるのではないかと、水差しに被せてあったコップを渡して試すように勧めてくる。
言われたように、手にしたコップの縁に唇をつけてから「“水よ満ちろ”」と唱えてもう一度唇を付ける。
手の中のコップに水が満ちた。
怪我を治す時のように体の中から何かが抜ける感覚は無かったが、間違いなくワタシが魔法で出した水だった。
呆然とコップを見るワタシの手からそれを取り上げた黒騎士は、そのコップの水を一気に飲み干した。
「……美味いな。ちゃんと水だ」
「当たり前でしょう。でも、これで、黒騎士限定って事じゃないってことがわかってよかったわね! 後は自分の工夫しだいで、どんなことも出来るわよ。白ちゃんの魔力は、並みの魔術師は目じゃないくらいあるからねっ! って、ぎゃぁっ! もうこんな時間っ!? もう行かなきゃっ!」
ポケットから取り出した薄く四角いものを見たノシターは酷く慌てた様子で操駆すると、一瞬で見た事の無い形の服に着替え、ドアに魔法を掛けて開くとそこへ駆けこんだ。
ノシターが開いたドアの向こうは、見慣れた階段の踊り場ではなく……白く、光さえたたえる、神々しい空間だった。
彼女は躊躇うことなくドアを飛び越してその空間へ身を滑り込ませると、素早くドアを閉めた。
「ノシター!」
慌ててドアを開けば、やはりいつもの踊り場で、居ないと知りつつも周囲を見回して彼女の姿を探したが、どこにもあの小柄な姿を見つけることはできなかった。
「――ノシターは……神の国の人なのか」
ドアを閉じ、茫然とつぶやく。
神の国など無いと思っていたが、そうではなかったのか。
全てが白く、輝いて。こちらの世界とは、それこそ天と地の差があるあの世界へ帰ってしまった。
「あの女が神の御使いであるはずねぇだろう」
呆れたような声音で言い切る黒騎士の神経がわからない。
「しかし、彼女の癒しは……神の国の御業だと思えば納得できないか?」
未知の者への恐れに慄きながら吐息と共にそう零せば、後ろから黒騎士に抱きしめられた。
「あれはどうしたって、俗物でただの人間だ。ノシターの魔法が神の御業だというならば、お前のだってそうだろう。お前の治癒は俺、限定だがな」
後ろから顎を取られ、上向かされる。
その唇に唇が触れ、目を閉じれば、深く合わされる。
「くろ……苦しい」
無理な体勢を取らされて苦情を言えば、すぐに体が反転させられ向かい合わせにされ、腰に腕を回された。
「黒じゃなく、名を呼んでくれ」
真剣な視線に見下ろされ、息苦しさを感じながら口を開く。
「アームバスティン……。アーム。アーバス? いや、バスティ、バスティと呼んでも良いか?」
長い名前を短くするのは、親しい者同士の特権だと知りつつ、そう聞く。
彼の頬に笑みが浮かぶ。
手を伸ばし、彼の顔を引き寄せ、鼻先が掠る程顔を近づけて彼を見る。
「バスティ。ワタシの名は――――」