22.操駆
つばを飛ばす勢いで黒騎士をなじっていた治癒魔術師だったが、呆気にとられてされるがままの黒騎士が我にかえる前に手を離して捨て置くと、すばやくワタシの前に来てしゃがみ、沈痛な表情で口を開いた。
「まだ、理解していないと思うけど、とても残念なお話があります」
「……残念な、話?」
繰り返せば、重々しく首を縦に振られた。
その真剣な様子に、一刻も早く腹を満たしたいという欲求を抑え、彼女の話を聞くことにする。
「魔術師の事は知ってる?」
無論だ、義父が魔術師だったのだから。頷いたワタシに彼女は続ける。
「じゃぁ、魔術師が魔法を使うときに行う操駆という動作は?」
「勿論知っている。魔法を行使する前にやる儀式だ。代々魔術師は己の師匠の操駆に動作を足してその儀式を新たに作ってゆくものだ」
そう伝えれば。首を横に振られた。
「そういう事になっているけれどね。本当は、もっと簡単な動作でいいのよ。あんなタコ踊りなんてしなくても、同じ時代に同じ操駆をしている人が居なければ、簡単な動作で魔法は行使できるの。こんなふうに」
ノシターはそう言うと、左手の指先で自身の額に触れそれから鳩尾当りにその指を下げてからその手を黒騎士に向けた。
「“洗浄”」
血まみれだった黒騎士が、瞬く間に綺麗になった。
「私の操駆はこうして、左手で額に触れ下におろすだけ。私の家で会った女の子、覚えてる? ご飯を差し入れに来てた子よ。私の友人の娘なんだけれど、彼女の操駆は片足で地面を決められた回数蹴ること」
ワタシも黒騎士も唖然として彼女の話を聞く。
「操駆が今みたいに、タコおど……長くなったのは、きっと弟子が師匠を越える事が無いようにという意味もあるんでしょうね。あと、悪意をもった魔術師が短い操駆で魔法を行使しないように、という予防もかねてるかもしれないけれど。ああ、だから――」
彼女は操駆すると、周囲に手を翳す。
「“今の話は内緒”」
そう言って、人差し指を唇の前で立てて、にっこりと微笑んだ。
気が付けば近くに来ていた給仕長が、喉に手をあてて口を動かし、眉根を寄せると諦めたように手を喉から離した。
「――話せなくしたのか」
「勿論、文字で書くのもできないわよ、どんな手段でも伝えられないようにしたわ」
細い顎を上げ目を細めて言ったノシターの冷たい声音に、給仕長は黙り込む。
「それでね、問題なのが、貴女の操駆なんだけれど……」
ノシターはワタシに向かい合い、深刻な事を告げる顔をする。
「接吻になってしまったようなの」
彼女の深刻な様子に、一瞬、場が静まり返る。
「あー……今更、魔術師になるつもりも無いから、問題はないと思うが……」
ワタシがそう口を開けば、ノシターが愕然とした顔をする。
「なんでっ!? 魔法ってとっても便利よ! 火打石無しで火だって出せるし、治癒だってできるのよ! なのに、操駆が接吻なんて、使い勝手が凄く悪いっ! アンタのせいよ、黒騎士っ!」
彼女がキツイ目で黒騎士を睨むが、彼はそれを気にした様子無くワタシに近づくと、地面に座り込んでいるワタシを軽々と抱き上げた。
「なら、白騎士の魔法は、俺専用って事だな」
そう言いながら、ワタシに頬を摺り寄せる。伸びかけの髭が頬を擦って痛い。空腹で聞き逃しそうになったが……聞き捨てなら無い事を言われた気がする。
「アンタ専用ってどういうことよ!」
ワタシが言う前に、怒り出した小柄なノシターの怒鳴り声に、黒騎士は凄みを効かせた笑みで見下ろす。
「こいつの唇を、俺以外が受けていいはずねぇだろう? こいつの唇は俺のもんだ」
ゾッとするような低い声で言い切った男に、ワタシが知る限りいつも強気な彼女が気を飲まれて黙り込む。
彼女は案外、殺気に弱いのかもしれない。
子犬のように吼える気の強さは、虚勢なのか。虚勢を張ってでも、ワタシの為に怒鳴ってくれたのか。
怯えを見せるノシターを、剣呑な目で見下ろす黒騎士の顔を両手で掴み、こちらを向かせる。
「ワタシの唇は、ワタシのモノだぞ? あとな。どうやら、黒の怪我を治したのはワタシみたいだからな、言うことあるんじゃないのか?」
ああ、もうそろそろ空腹が限界だ、その上眠くなってきたぞ……昔、何度も義父に言われた言葉が口をつく。
「なにかしてもらったら、アリガトウでしょ?」
黒騎士の目が見開く。
「くろ、アリガトウは?」
「あ、ありがとう」
搾り出すように言われた言葉に満足して、昔義父にされたように頬にチューをする。
「そうだ、ノシターにも、魔法で綺麗にしてもらったでしょ? アリガトウは? あと、メッてしてゴメンナサイもしなきゃ駄目よ」
言い聞かせるようにそう言えば、偉丈夫の顔が緩んだ。
「どうしたんだ、白騎士? お前クソ可愛――」
「ノシターに、アリガトウとゴメンナサイしなさい」
話を逸らそうとした男にもう一度言えば、渋々と小柄な彼女へ謝罪と感謝を伝え、それから何か期待するように腕に抱いたワタシの顔を見る。
「よくできました、エライエライ」
頬にチューをすれば、満足そうに笑みを浮かべた。ふふ、この男、結構可愛いじゃないか?
思わず、小さく声に出して笑ってしまう。
ああ……それにしても、腹ぁ……減ったなぁ…………
力が抜けて、くたりと彼に体を預けた。
「いやぁっ! 白ちゃんが、壊れた……っ!」
ノシターの切羽詰った声を聞いたのを最後に、ワタシは黒騎士に抱かれたまま空腹の余り意識を失った。