18.散歩
「流石は白騎士だ。その目、戦場で見たときと変わらずで、安心した」
いつの間に部屋の中に入って居たのか覆面の男が一人、ドアに持たれて腕を組んでいた。
傭兵じゃあないな、空気が違う。もっと、暗い場所の人間……か。
「なにか用か」
両手が繋がれている不利を内心で苦く思いながらも、男とソファを挟んだ十分な距離で対峙する。
「我々と手を組もう。君は、あの男に十分な恨みがあるだろう?」
ドアから背を起こし、芝居がかった調子で両手を広げて数歩距離を詰めてくる。
恨みか……そんなものは無いが。それを言ってしまえば手詰まりだろう。
近づいてきた男から伸ばされる、革の手袋をした大きな手を見つめる。
この状況では逃げるという選択肢は無い。
逃げを打てば、男の腰に下がるナイフの一つがワタシの頭、或いは胸をえぐるだろう。
一撃で、息の根の止まる場所へ、刺されるのがわかる。
「ワタシはアレよりも、戦力として随分劣るが。どう使うつもりだ」
背中を流れる冷や汗を顔に出さぬように、手を伸ばす男の目を見る。
覆面から僅かに見える目に隙はない。
「どうとでも使えるさ。君という手札は、君が思うよりずっと有効なんだよ。さぁ、手を取れ」
伸ばされた、男の手に、手を伸ばす。
今は、これ以外の選択肢は無い。
再度反芻し頭では理解しているが、革の手のひんやりとした感触に、逃げたくなる。
そんなワタシの心情を理解しているに違いない男が、愉快そうに覆面の下で小さく喉を鳴らした。
目隠しをされ、男に手を引かれて場所を移動する。
いや……男の腕に掴まされ、まるで身を寄せ合うように、歩く。
深夜といえる時間帯のせいか腹が鳴る。
いつもならば寝て翌朝まで空腹をやり過ごしているが、起きているからか、無性に腹が減る。
「凄い腹の音だな」
あまりにも酷くて、覆面の男からも呆れ声が掛かる。
「腹が減ってるからな」
「……そうか」
「ああ」
自分が人よりも大喰らいであると気づいたのは傭兵を始めてからだった。
養父もよく食べる人だったので、それまで全然気にならなかったんだ。
ワタシを助けた魔術士からは、ワタシには魔力がたくさんあるから、大喰らいなんだと教えられた。
とはいえ、ワタシは魔法を使えないので、魔力の有無は意味が無く。魔力があるせいで大喰らいならば、魔力など無い方が食事が少なくて済むから助かるのに、と切に思う。
「口を開けろ」
なにやらごそごそと探っていた男から言われた。
「携帯食だが。無いよりはましだろう」
「いや、い……むぐっ」
遠慮しようとした口に、硬いものが突っ込まれる。
目隠しをしたままなので何を入れられたのかわからず、躊躇ったものの。携帯食と言われたからには食い物だろうと、噛んでみる。
慣れた、干し肉の味がした。
塩気が効きすぎて美味くはない硬い肉を、よく噛み締める。
確かに無いよりはマシだ。
口の中の肉が無くなればすぐに次が口に突っ込まれる。
「これで最後だ」
呆れ声でそう言って突っ込まれた一切れを良く噛んで食べた。
「水も欲しいだろう?」
「ああ。喉が渇いた」
かけられた言葉に素直に頷けば、低い声で小さく笑われる。
歩みが止まり、男がごそごそと動く。
この流れならば、きっと水筒でも持っているんだろう。
「ほら、水だ」
案の定、縛られている手を持ち上げられて、その手の中に硬い水筒を掴まされる。
「助かる」
水筒の口を指先で確かめ、口を付けて呷る。
少しずれていたのか、口の端から零れた水が、首を伝って胸元を濡らした。
ひとしきり飲んでから、男に水筒を返し、首を伝った水を拭う。
「度胸があるな。さすが、女だてらに二つ名をもつ傭兵だけある」
水筒を受け取り、私の手を取り、自分の腕に掴まらせて歩き出した男が、からかうようにそう言った。
「……傭兵は、廃業した」
夜道を散歩するよう、ゆっくりと歩く覆面の男の腕に、繋がれたままの両手で掴まって歩く。
目隠しをされ、少し引かれるようにして歩くのは、足元がおぼつかずなかなかに恐怖がある。
時々凹凸に躓けば、男が強い力でワタシを支える。
「廃業か。残念ながら、あの場には居なかったが、噂には聞いている。あの男に手足を切り落とされたと」
そう言って、するりと腕を撫でられる。
「こんな短期間で、よくぞ五体満足に。もしかして、噂の治癒術師の手か?」
確信を持ちつつそう言う男に「さぁね?」と返す。
男も返答を期待してはいないようで、小さく笑うだけだ。
――不意に、肝が縮むような殺気を身に受けて、足を止める。
この気配には覚えがある。
「白騎士」
黒騎士の声が離れた場所から聞こえた。