12.山の麓の町
どんな因果かわからないまま、ワタシは今、東の山脈の麓にあるこの町で……給仕の仕事をしている。
前の町を出るときに、あの、食堂に勤める年配の女性に手紙を託されたのが、そもそもの、間違い、というか、あのときに何かが掛け違ったのだと思う。
荷物を整えて出るワタシの行き先がこの町だと知るや「ちょっと待って! その町にうちの子が居るのよ! ああ、丁度良かった、いま手紙を書くから持って行ってくれるかい!」こちらの返事を聞かず奥へ引っ込んだ彼女は、手紙を手にすぐに戻ってくると、銅貨を二枚と共にその手紙をワタシに押し付けた。
「町の入り口にある食堂に、マルッシュって坊主が居るから渡しておくれ」
傭兵をやっていたころも、町を移動するついでにこうして手紙を預かることは良くあったので、いつもの要領で受け取った。
そして、町についてすぐに、ワタシは食堂の主であるマルッシュという坊主頭の大男と対峙することになった。
開店前の店で、預かっていた手紙を渡す。
「おう、ありがとうよ。疲れただろう、少し休んでけ」
目の前に出されたホットワインと大男を見比べてから、荷物を下ろしてカウンターの椅子に腰掛ける。
唇に当たる熱にひるみながら、何度か息を吹きかけて、もう一度カップに唇を寄せる。
目の前で手紙を読んでいた大男は……たった一枚しか入ってなかった手紙なので、すぐに読み終えたようだが、二度ばかり読み直している。
「あんた、夏までうちで働くか?」
手紙の内容は、ワタシへの仕事の斡旋だったようだ。
自分を抜きに進められた話にうんざりして、首を横に振る。
「ここの二階に一部屋空いてるから、寝泊りすりゃぁいい。飯は店のまかないを食わせてやる。この土地はなぁ、お世辞にも治安が良いたぁ言えねぇ」
大男は剥げ頭を撫で、口をへの字に歪める。
「昔はもう少しマシだったが……まぁ、言ってもしょうがねぇ話だ。だから、お前はここで働け。雪が溶けるまでで構わねぇ。山を越えるんだろう」
親切心なのか、下心なのか。
ワタシが傭兵だったとき、何人もの下種がワタシを屈服させようとしてきた。
身分を使う男、力ずくで奪おうとするもの、多勢に無勢で押し切ろうとする者が居たが。
今でもワタシの体は清いままだ。
大男の真意を測るなんて技術はワタシには無いので、彼の提案を受け入れることにした。
雪解けまではこの町に居る予定だったし、住処を見つける苦労も面倒だから。
予定外だったのは、この店が思いのほか繁盛していて、本当に給仕の手が足りていなかったことだ。
親切心も下心もなかったな……。
大男の趣味だとは思いたくない、ヒラヒラとしたワンピースに装飾性の高いエプロンを付け、頭にもエプロンと同じ布で作られた三角巾で髪を押さえる。
「声は普通の声より一段階高く! 語尾は二段階上げて!」
給仕長と自己紹介した女性が、ワタシの前に仁王立ちし、挨拶の練習をさせる。
「いらっしゃうませ!」
「ありがとうございましたぁ!」
「怒鳴るな! 語尾は延ばすな! 姿勢を正せ! 体軸をブレさせるな! 笑顔はどうした! 笑顔だ! なんだその顔はっ! 笑顔だといってるだろうがっ!」
正直に言えば、傭兵になって受けた訓練に近いくらい厳しい教官だった。
特に、笑顔が。
只、生き死にが掛かっていないし、難しいことは要求されないので、一日彼女にしごかれた段階でフロアに出る許可が降りた。
「ほぉ、なかなかやるなぁ」
料理長でありオーナーである大男が感心したようにそう言うと、教官が腕を組んでニヤリと口の端を上げる。
「この娘は中々に筋がいい。体の軸もしっかりしているし、目もいい。弱音の一つもはかないのは可愛げがないがな」
「ありがとうございます」
教官に向かって姿勢を正して頭を下げる。
「礼は要らん。いい拾い物じゃないかオーナー、これなら、長持ちしそうだな」
教官の視線を受けた大男が、仕込みに戻るのを口実にあからさまに話題から逃げた。
教官はそんな彼の態度を鼻で笑い、ワタシに視線を戻す。
「ここの娘共は一筋縄ではいかんぞ。下らんじゃれあいだが、まぁ、面倒があると覚悟しておくといい。私は面倒ごとが嫌いだから手は貸さないからな、自分でなんとかしろ」
教官のその言葉は、仕事を始めてすぐに理解することになった。