全部が好き!
真珠は、わずかに開けた襖の間から様子を窺っていた。村人たちが帰ったのを見て、奥の座敷から出る。
「ソウセイ! 大丈夫?」
「あ、あぁ、うん」
草世は物思いに沈んでいたが、慌てて笑顔を貼りつけた。
「悪かったね。うるさかっただろう?」
「怖かった。あの人、なんで怒っていたの?」
「僕のことが嫌いなんだ」
「なんで? ソウセイ、優しいのに」
「優しいというか、気が弱いんだ……」
貼りつけていた笑顔が、自虐的なものに変わる。
真珠は両手を広げると、草世の頭を抱えるようにして、抱きしめた。
「真珠が、ぎゅっとしてあげる」
「ははっ。ありがとう」
白狐に宿る神聖な力で、真珠の体が白く光る。その光は草世に流れていき、心を覆っていた黒雲を晴らす。
「ん?」
草世は目を瞬かせた。体に活力がみなぎり、心が軽くなっている。
「なにかした?」
「ソウセイの全部が好き!」
「ははっ。そう言ってくれるのは、君だけだ」
春子と三郎にきつい言葉を投げられても、強い態度を取れなかった。みっともない姿を見せたにもかかわらず、真珠は全部が好きだという。
(真珠ちゃんは、いい子だ。こんな情けない人間の嫁になるより、白狐として気高く生きたほうがいい)
草世は真珠といることに居心地の良さを感じながらも、突き放す決意を固めた。
「これからのことなんだが……」
「うん!」
「真珠ちゃんは白狐で、僕は人間だ。住む世界が違う」
「真珠ちゃん!? 真珠ちゃんって呼ぶの!?」
「あっ……真珠様と呼ぶべきだった?」
真珠は草世の両手を取ると、天真爛漫な笑顔を咲かせた。
「真珠ちゃんがいい! 嬉しい!」
「そ、そうか……」
真珠は、草世の手を好奇心いっぱいに観察する。
「ソウセイの手、ざらざらしている!」
「うん」
「大きい!」
「うん」
「爪、四角!」
「うん」
真珠は草世の手を撫で、大きさを比べ、爪を観察した。それから、ぎゅっと握る。
「好き! ずっと一緒にいる!」
「…………」
突き放す予定が、真珠のペースに完全に乗せられている。
草世は、心の中で叫んだ。
(可愛いが、流されては駄目だっ!)
そこで草世は、別な角度から攻めることにした。
「真珠ちゃんは、いい子だ。対して僕は、これといった取り柄がない。つまらない男なんだ」
「優しいよ」
「優しい男は、いっぱいいる」
「どこに?」
「どこって聞かれると……」
「お茶をこぼしても、怒らない。狐の耳を出しても、追い出さない。尻尾を出したら、笑ってくれる。白狐にお薬を売ってくれる。私に会えて嬉しいって言う。そういう人、どこにいる?」
「うーん……」
「いるよ! 真珠の目の前に!」
「そうきたか……」
草世は途方に暮れて、天井を見上げた。お手上げである。
だが、諦めるわけにはいかない。理性を総動員して、頭を働かせる。
(よし! 人間とあやかしの間には越えられない一線があることを、説明しよう!)
草世は姿勢を正すと、声を張った。真珠も真似して背中を伸ばし、元気良く応える。
「白狐には、戸籍がない。戸籍がないものは、結婚することができない」
「コセキって、なあに?」
「身分関係を証明するものだ」
「証明ね! いいよ。できる嫁だってことを、証明する。神様のお使いをできるよ。あと、お告げをするために夢の中に入るのも得意だよ」
「すごいな……」
「ソウセイ、困っていることない? 私、ソウセイの役に立つ!」
「今、ものすごく困っている」
「なに?」
「家族の反対を押し切って、僕の家に来た白狐の女の子がいる。どうしたら、帰ってくれるだろう?」
「そういうことじゃなくて!」
真珠は頬を膨らませた。両手を握って、上下にぶんぶん振る。
可愛い怒り方に、草世の決意はぐらつく。流されてしまいたくなる。
(嫁はいらないなんて、ただの強がり。傷つきたくなくて、逃げている。本当は、そばに誰かいてくれたら……)
誰かと思って、頭に浮かんだのは目の前の少女。
真珠は美しい白狐なのに、気取っていない。表情豊かで、底抜けに明るい。
陰気な草世には、真珠が眩しく見えて仕方がない。この子といたら楽しいだろうと思ってしまう。
(だけど、駄目だ! 相手は、人間じゃない!)
真珠が人間であったなら、受け入れただろう。だが、そうではない。白狐を嫁にすることはできないのだ。
草世は奥の手に出る。
「実は、困っていることがあるんだ」
「なに?」
「手紙を書きたいんだが、忙しくてね。僕の代わりに、書いてくれる人がいたらいいのだが……」
「私、書けるよ!」
白狐には人間の字は書けないだろうと思ったのだが、真珠はすんなりと引き受けた。
草世は文机に向かうと、墨を磨った。真珠が、はしゃいだ声をあげる。
「初めて見た! こうやって、字を書くの?」
「白狐も、手紙を書いたりするのかい?」
「ううん」
「字を書いたことは?」
「ないよ」
「え? ないのに、手紙を書けるのかい?」
「落ちている手紙を見たことがある」
「なるほど」
草世が考えた奥の手とは、人間の字が書けないものを嫁にすることはできないと断る作戦。
真珠は傷つくだろうが、人間の世界に住むことの大変さを理解してくれるだろう。
(手紙を見ただけでは、まともな字を書くことはできない。解読不明だと突き放してやろう)
草世は、この作戦はうまくいくだろうと考えた。




