言いがかり
春子がいなくなり、氷柱から垂れ落ちたぴちゃんという水音が聞こえるようになった。
草世は嵐が去った気分で、ぐったりと座り込んだ。
「頭がキンキンする」
「元気な人だったね」
「あれは、元気というんじゃない」
「じゃあ、なあに?」
「騒がしい」
「へぇー。勉強になった」
春子から罵声を浴びせられたというのに、真珠は上機嫌。ニコニコと笑っている。
その笑顔に、草世は安らぎを感じた。
(来たばかりで追い返すのは、可哀想だ)
草世は自分に言い訳をして、真珠としばらく話すことにした。
「お父さんの様子はどうだい?」
「血が止まって、元気になった! ソウセイって、すごいね!」
「別になにもしていない」
「ううん。ソウセイの薬のおかげで、血が止まった。お礼に、干し柿を持ってきた」
真珠は、干し柿を上り框に置いた。
豪華絢爛な赤の振袖姿の真珠と、シワシワの干し柿。不釣り合な組み合わせに、草世は笑った。
春子の気の強さにげんなりしていた心が、軽くなる。
「ありがとう」
「恩返しね、まだあるよ。私、ソウセイのお嫁さんになる!」
「そのことなんだが、嫁を娶る気はないんだ」
「どうして?」
「一人が好きだから」
草世の胸の奥が、ズキッと痛んだ。
一人で生きていきたい。本気で、そう思っている。それなのに、寂しい気持ちに囚われる。
自分の心なのに、ままならない。
草世が黙り込んでいると、真珠は家に上がった。草世の目の前に座る。
「二人も楽しいよ」
「真珠には、家族がいるだろう? 帰ったほうがいい」
「大丈夫。ソウセイのお嫁さんになるって言って、出てきた」
「反対されなかったのかい?」
「うーん……」
真珠は視線を外し、頭を斜めに傾けた。
草世は、ピンときた。
(これは、反対されたな)
草世は説教をするために、姿勢を正した。真珠も真似して、背筋をピンと伸ばす。
「親に反対された。それなのに、勝手に出てきた。そうだろう?」
「……なんで、わかったの?」
「わかるさ。人間と白狐では、住む世界が違う。賛成する親などいない。恩返ししなくていいから、家に帰りなさい」
「恩返しなんて、ウソ! そう言ったら、お嫁さんにしてくれると思って……」
真珠の背中が丸くなる。真珠はシュンとうなだれると、上目遣いに草世を見た。
「ソウセイと一緒にいたい。駄目?」
草世は「うっ」と小さく唸ると、腕組みをした。天井を見上げる。
真珠は、可愛らしい。昨夜と今とでは年齢が違うが、それでも顔の作りや雰囲気は共通している。
疑うことを知らない、澄んだ黒目。目鼻立ちが整った、あどけない顔。鈴のように軽やかな声。純粋無垢な雰囲気。
そしてなにより、話していて楽しい。
草世はたっぷりと間を置いたのち、声を絞り出した。
「嫁は、いらない」
「なになら欲しい?」
「なにって言われても……」
「真珠、変身できるよ! おじいちゃんでもおばあちゃんでもいいし、馬でも猫でもいいよ!」
「いやいやいやっ! 姿を変えればいいという問題じゃないんだ!」
「じゃあ、なにが問題?」
「君は白狐で、僕は人間……」
生態系の違いを説明しようとした矢先、外から怒鳴り声が響いた。
「ヤブ医者っ!! いるんだろうっ!!」
「三郎だ! 短気で、乱暴な男なんだ。春子さんから聞いて、怒鳴り込んで来る気だ! 隠れて!」
「う、うん」
真珠を奥の座敷に押し込めたとほぼ同時に、三郎が家に乗り込んできた。
四角い顔が、怒りのために真っ赤に染まっている。
「春子から聞いたぞっ!! てめー、よくもオイラの春子を泣かせたな! 東京に恋人がいるくせに、春子に結婚をちらつかせたそうじゃねぇか! 許さねぇ!!」
「誤解です! 三郎さんが春子さんが好きなのは、村のみんなが知っている。それなのに、春子さんと結婚したいと思うわけがない!」
「あぁっ!? 春子がいい女じゃねぇって言いたいのかよっ!」
「そうじゃなくて!」
「春子は、村一番の美人だ。春子を狙って、この村に来たんだろう!」
「違いますって!」
三郎は思い込みが激しい。しかも、頑固。
草世は今までの経験上、三郎とはまともな話ができないと諦めている。
三郎が草世の家に乗り込んでくるのは、これが初めてではない。三郎は春子に恋慕するあまり、以前から草世を目の仇にしている。
面と向かって悪口を言うのはもちろんのこと、ヤブ医者だと吹聴したり、薬に毒を混ぜているとありもしない悪評を流したり。草世の家の前に、動物の死骸が置いてあったこともある。
だが、ある日を境に嫌がらせがやんだ。丹野直志が、三郎をきつく叱ってくれたのだ。
その直志は現在、原因不明の病で寝込んでいる。
直志を思い出して、草世は表情を暗くした。
草世の心を読んだかのように、三郎は名前を出した。
「直志がおかしくなったのは、あんたのせいだ! だから、オイラは言ったんだ。こいつは、ヤブ医者だ。薬に毒を混ぜている。飲むんじゃないってな! 直志を殺して、風呂屋を乗っ取ろうとしているんだろう!」
「言いがかりは、やめてくれ! そんなことをするわけがない!」
「だったら、今すぐに直志を治せ!」
「それは……医者は万能じゃない。治せない病だってある……」
「言い訳すんじゃねぇ! ヤブだって認めろ!」
激昂した三郎は、水瓶の上に置いてあった柄杓を手に取った。水を汲み、草世の顔めがけて、かける。
「三郎っ!? なにをしているんだ!!」
春子は村中に、真珠のことを言いふらした。村人たちは、東京から来たお嬢様に興味をかき立てられ、真珠を一目見ようとやってきた。
だが来てみれば、三郎が暴れている。
「やめろ!」
「とめるな! 春子はなんで、こんなナヨナヨした男が好きなんだ!」
「先生に、八つ当たりをするんじゃない!」
三郎はなおも柄杓の水を草世にかけようとしたが、村人たちに取り押さえられた。
村人たちによって、三郎は強制退場させられた。
しかし草世の頭の中では、「直志を治せ!」との三郎の怒鳴り声が、まだ響いている。
「あれは、肉体的な病気じゃない」
草世も直志の両親も、悪いものに取り憑かれているのではないかとの考えで一致している。
直志の両親は、神主を呼んでお祓いをしてもらった。さらには札を飾ったり、清めの塩を盛ったりと、できることはなんでもやった。
それでも直志は、悪化の一途を辿るばかり。
「僕は無力だ。誰のことも、幸せにできない……」




