恋敵
草世は言葉を失った。
真珠という名前は昨夜の白狐の女の子を思い出せるが、年齢が結びつかない。
「大きさが……」
「ソウセイのお嫁さんになるんだから、このくらいの年齢がいいと思って。どう?」
「どうって言われても……」
白狐と人間では、寿命の長さが違う。
真珠は草世より長く生きているが、白狐族の中では子供。昨夜は五歳児に変身したが、それでは草世の嫁として幼すぎる。だから、十八歳の少女に変身した。
真珠にとっては、ただそれだけの話。なんら不思議なことではないのだが、草世にとっては、子供から少女に姿を変えた真珠をすぐには受け入れられない。
春子は呆然としていたが、我に返る。
艶やかな美少女の登場に呑まれてしまった。だが恋敵に負けてはなるものかと、鋭い声でなじる。
「見かけない顔だね。あんた、誰よ?」
「真珠です」
「だから、誰なんだよっ! 真珠なんて娘、聞いたことがない。どこから来たんだ!」
「遠くから」
「は? 東京とか?」
「そんな感じ」
白狐の村から来たとは言えず、真珠は言葉を濁した。
春子の理想──垢抜けた美しい容姿。品のある雰囲気。上等の着物。そして、東京。
春子の夢を体現した真珠の存在に、嫉妬心が激しくかき立てられる。
「東京のお嬢様が、こんな田舎になんの用だい!」
「ソウセイのお嫁さんになりに来た」
「先生っ!! 本当なの!? ねぇ、先生!!」
草世は頭痛がして、頭を押さえた。
真珠が大きい姿で現れたことだけでも驚くのに、嫁になりに来たと言う。しかもそれを、春子が聞いている。
春子は興奮し、勝気な顔を真っ赤にして騒ぐ。
「先生はあたしに、恋人はいないって言ったじゃない! 嘘だったの!? 東京に恋人がいるのに、あたしを騙したの!? ひどいっ!!」
「別に、騙したわけじゃ……」
「騙した! 結婚の約束をした相手がいるのに、あたしに笑いかけたりして。先生って真面目そうなのに、遊び人なんだね!」
とんでもない誤解である。
しかしここで、真珠は恋人ではないし結婚するつもりもない。勝手に言っているだけだと訂正したら、さらに面倒くさいことになるのが目に見えている。
(真珠と春子さんから、だったらどっちと結婚するのかと迫られても困る。それとも、真珠と春子さんが張り合って、喧嘩を始めるかもしれない。一体どうしたらいいんだ……)
この場に草世の友人がいたら、「モテモテでいいじゃないか」と揶揄されただろう。
だが、とんでもない。相手は白狐と、なんの感情も持っていない村の娘。
草世は眩暈がして、柱に手をついた。
「先生が、あたしを騙したぁ〜!」
春子は泣きながら、草世を責める。
春子が風邪を引いたとき、すぐに家に来てくれたこと。額に触った手が、優しかったこと。体を大事にするんだよ、と笑いかけてくれたこと。
春子の両親が草世を気に入って、婿にどうかと誘ったとき、草世は断らなかったこと。
村人たちがお似合いの二人だと揶揄ったとき、草世は笑ったこと。
誤って体がぶつかったとき、草世の顔が赤くなったこと。
春子は過去に起こったことを一つ一つ話して、草世が自分に気がある態度をとったと訴える。
草世はそれを、呆れながら聞いていた。
(お似合いの二人だと揶揄われたときは、嬉しくて笑ったのではなく、苦笑い。体がぶつかったときは、酒を飲んでいたから顔が赤かった。だけど春子さんには、違った風に見えたのか)
これからは愛想笑いはやめようと、草世は心に決めた。
ふと、あることに思い至る。ゾッと身の毛がよだつ。
(春子さんは僕を責めているが、真珠に聞かせている?)
春子は、こぼれる涙を手で拭っている。その指の間から覗く目が、真珠を気にしている。
草世の不誠実をなじっているようで、実は、真珠に当てつけているのだ。
真珠と離れている間に、草世は春子と仲良くやっている。そのようなことを匂わせて、真珠を怒らせ、別れさせようとしている。
「春子さん、もういい加減にしてくれ。これ以上、聞いていられない」
「先生の気持ちは、わかっています! 綺麗に着飾った、なんにもできない女より、生活力のある女のほうがいいですよね! だって、僻地医療に興味があるんだから! 僻地で暮らすには、あたしのほうが役に立つ!」
「ヘキチ?」
黙って聞いていた真珠が首を傾げた。僻地の意味がわからないと顔に書いてあるが、草世も春子も説明する気になれず無視する。
「自分のことは、自分でできる。誰かの手を借りることは、今後もない」
「へぇー。東京のお嬢さん、聞いた? あんたの手を借りないってよ!」
「そうなんだ」
真珠は機嫌が良さそうに、ニコニコと笑っている。春子は辛抱ならず、イライラをぶつける。
「先生は、あたしに気がある。嘘じゃない、本当だから!」
「うん。ソウセイは優しいね」
「先生と結婚したいんだろうけれど、考え直したほうがいいんじゃないの? 苦労するよ!」
「苦労してもいい。私、ソウセイが好き。お嫁さんになるって決めた」
「あんた、あたしの話を聞いてた? 先生は、あたしにも気のある態度を取っていた! あんただけが好きなわけじゃない!」
「草世は誰にでも優しいって、教えてくれてありがとう。素敵な人を好きになれて、嬉しい」
春子は怒りで肩を振るわせた。
先生は他の女にも優しいのだと皮肉を言ったのに、「誰にでも優しい」と誤変換された。
そればかりか、当てつけてやったのに感謝された。
お嬢様ならではのおおらかさに、春子は敗北感を覚えた。しかし、負けを認めるほどの素直さは持ち合わせていまい。
「ふざけんなっ! あたしを馬鹿にして!! あんたたちのこと、邪魔してやるんだからっ!!」
お裾分けとして持ってきた漬物の皿を、春子は土間に叩きつけた。皿が割れ、白菜の漬物が散らばる。
「あんたの悪口、村中に言いふらすから! 覚悟しなっ!!」
春子は、草世の家を飛び出した。




