狐の耳
草世は、囲炉裏の前に客用の座布団を敷いた。
「まずは、君の手当てをしないと。見せてくれるかい?」
「うん」
真珠は着物の裾をめくると、左足を出した。倒木に当たった箇所が内出血をおこしている。
草世は触診すると、「骨折はしていない。打ち身のようだね」と診断を下した。
草世は、薬棚から小さな丸缶を持ってきた。丸缶の中には、痛み止めの軟膏が入っている。
真珠は、草世がすることをじっと見ていた。
真珠を触る、優しい手つき。痛み止めの軟膏を塗る手は真珠のものよりも大きくて、頼り甲斐がある。
真珠は草世本人に興味が湧いて、彼の顔をじっと見た。
身だしなみに興味がないのか、髪はボサボサ。無精髭も生えている。しかし、丸い眼鏡の奥にある瞳は、やさしい。
「あのね、木にぶつけた」
「それは痛かったね」
「うん、痛かった。でも真珠、我慢した」
「えらい」
草世に褒められて、真珠は頬を緩めた。気持ちがふわふわと舞い上がる。
もっと話したくて、囲炉裏を指差す。
「これ、あったかい。これがイロリ?」
「そうだよ。真珠ちゃんの家には、ないのかい?」
「ない」
「へぇー。近代的な家なんだね」
「うん。寒いときは、みんなで体をくっつけて寝る」
「…………」
草世はストーブがある家かと思ったのだが、そうではないらしい。
家の中にいても、手足が痺れるほどに寒い。それなのに、真珠は着物の上になにも羽織っていない。山を越えてきたにしては、軽装すぎる。
草世は真珠の左足に薬を塗った際、体温を感じた。それでも、(この子は幽霊では……)との疑念が渦巻く。
幽霊を早く帰すために、草世は目的の件を訊ねる。
「薬を処方するから、教えてくれるかい? お父さんの血が止まらないというのは、怪我をしたのかい? それとも、口から血を吐いた?」
「矢が刺さった」
「それは大変だ!!」
「大丈夫! お薬を飲んだら治る」
「だが、矢が刺さったんだろう? 傷口は深いのかい?」
「わからない。でも、血が止まらないの。鏃に毒が塗ってあったんだと思う」
「毒!?」
衝撃の連続に、草世の心拍数があがる。だが真珠は、さらに驚くべき発言をした。
「血が止まったら、回復できる。父は偉いから」
「そういう問題じゃない。お父さんが偉い人であっても、毒矢を受けたら命にかかわる。毒を出して、傷口を縫わなくてはいけない」
「でも、大丈夫なの!」
白狐の治癒力は、人間とは違う。血を止めることさえできたら、驚異的な回復力を発揮することができる。
そう訴えたいが、正体が白狐であることは秘密。
困ってそわそわしていると、草世は台所に行った。
「わかった。血止めの薬を処方しよう。待っている間、お茶をどうぞ」
台所から戻ってきた草世が手にしていたのは、湯呑み。
草世は、囲炉裏にかけていたやかんのお湯を急須に注いだ。それから、湯呑みに注ぐ。
湯呑みからもくもくと、湯気が立つ。
「飲んで大丈夫?」
「毒は入っていない」
「そうじゃなくて、熱くない?」
「あぁ、そっちの心配か。熱いから、冷ましてから飲んでごらん」
「うん」
どれくらい熱いんだろう?
真珠は好奇心のままに、湯呑みに触った。
「熱っ!!」
想像していたより百倍、熱かった。驚きのあまり、変身術が緩む。
薬棚に向かっていた草世。振り返った目に映ったのは、真珠のおかっぱ頭から飛び出ている、獣耳。
「ごめんなさい! お茶をこぼしちゃった!」
「あ、あぁ、あ、うん……」
倒れた湯呑みから、お茶が流れていく。それよりも草世の目は、真珠の頭に生えている獣の耳に釘付け。
雪のように真っ白で、ふさふさの三角形の耳。
(幽霊ではなく、狐?)
人間に化けた狐が訪ねてくるとは、まるで童話のようだ。今夜はおかしな晩だと、草世は笑いたくなった。
真珠は草世の機嫌を窺うために、上目遣いに見る。
「ごめんなさい。怒っている?」
「あ、いや、全然。怒っていないよ。誰にでも失敗はつきもの。僕もおっちょこちょいでさ、よくお茶をこぼすんだ」
「あなたも? ふふっ。ドジ」
「君に言われたくはないなぁ」
真珠は照れたように笑い、草世も温和な垂れ目を細くして笑う。
草世はこぼれたお茶を拭くと、次に淹れたお茶には水を入れて温度を下げた。
「今度は大丈夫だと思う。でも、もう少ししてから飲むんだよ」
「うん!」
真珠は、白狐の耳が出てしまったことに気がついていない。
草世は(それならば、こちらも気づかないふりをしてあげよう)と決めた。




