恩恵と呪い
真珠は手を合わせると、その中に息を吹き込んだ。
手の中が、白く輝く。
真珠は、膨らませた両手を直志の胸に押し当てた。
「うぎゃっあーーっ!!」
直志の口から、身の毛がよだつような雄叫びがあがる。
充血している眼がカッと大きく見開かれ、体が硬直した。だがすぐに、糸が切れたかのように体から力が抜けた。ガクッと前のめりに倒れる。
直志は気絶した。
草世は何が起こったのかわからず、おそるおそる訊ねる。
「真珠ちゃん。これはいったい……」
「力技で、黒い靄を吹き飛ばした」
「じゃあ!!」
直志は助かったのだと希望を持ったが、続く真珠の言葉に、希望はあっけなく吹き飛ばされた。
「元凶を絶たない限り、また戻ってくる」
真珠は天井を睨みつけた。
元凶の正確な位置はわからない。だが、建物の上部に禍々しい気配がある。
この世に存在してはならない、邪悪な力。
草世は直志の脈を測ると、首を横に振った。
「だいぶ衰弱している。早めに手を打たなくては……。その元凶を断つには、どうしたらいい?」
「呪詛を作ったのは、力のある人間。でも、その呪詛を家に置いたのは、この家の人」
「そうなのか? だったら、直志の両親に呪詛を置いた場所を聞いてみよう」
「呪詛じゃない」
「ん?」
真珠は、呪詛だと言った。それなのに、その直後に呪詛ではないと否定した。
草世は混乱した。白狐とのやりとりは難解だ。
「どういうことだい? 僕にもわかるよう、説明してくれ」
「この家の人は、呪術の恩恵を受けた。その見返りとして、呪詛を受けている」
「呪術と呪詛? 違うのかい?」
「うん。違う」
「どのように?」
「呪術は、人を助ける。呪詛は、危害を加える」
草世は腕組みをし、唸った。頭の中でまとまった考えを口に乗せる。
「つまり、こういうことかい? 恩恵を与えるという呪術と、危害を加える呪詛。その二つがあの家にあると?」
「ううん。一個しかない」
草世は頭を悩ませたが、(そういえば……)と思い出す。
風呂屋の外で話したとき、真珠は言った。「最初は怖くなかった。でも、途中から怖いものに変わった。そういう仕組みの呪詛が、ある」
「最初は、恩恵を与える呪術だった。それが途中から、危害を加える呪詛に変わったということかい?」
「うん」
草世は、ハッと息を呑んだ。
繋がりがないと思っていた点と点が結ばれ、線になる。
以前、村長が話していた。
「丹地風呂屋は奇跡の湯。沸かし湯なのに、病気が治る。それだけじゃない。ここに来る客は羽振りが良い。大金を落としていく、ありがたい客じゃ。いまではすっかり、丹地風呂屋はこの辺り一番の金持ちじゃ」
沸かし湯なのに、怪我や病気が治る。医学的に考えて、おかしいとは思っていた。
「沸かし湯で、病気や怪我が治るわけがない。超自然的な力が働いていた。それが、人を助けるという呪術の恩恵。それが途中から、危害を加える呪詛に変わった……。なぜ、変わったんだ?」
「恩恵の見返り。なんでもそうでしょう? 自然の摂理を歪めると、その代償として災いが起こる」
真珠は事実を淡々と述べているが、草世にとっては、その事実は絶望でしかない。
希望を見出したくて、草世は叫んだ。
「どうしたらいい!? どうやったら、直志を助けられる!?」
「呪詛を燃やす」
「焼けばいいんだな! じゃあ、僕が……」
「絶対に駄目っ!!」
草世は呪詛の置いてある場所を聞くべく、直志の両親の元に行こうとした。
真珠は止めるべく、草世の着物を掴んだ。必死の形相で訴える。
「燃やしたら、駄目!!」
「燃やせって言ったのは、真珠じゃないか!」
「呪われる!」
意味が掴めずに、草世はポカンとした。だがややあって、理解のため息をついた。
「なるほど。そうか。呪詛を焼いたら、その人に呪いが降りかかると言いたいんだね?」
「うん」
「呪いの世界に、素人が下手に関わってはいけないってことだ。うん、わかった。専門家にお願いしよう。知り合いに当たってみるよ」
「うん……」
真珠の返事は、歯切れの悪いものになった。
草世が困っている。状況が悪いものであるのは、柱にくくりつけられた人間を見ればわかる。
(役に立ちたいけれど……)
草世の嫁として、役に立つことを示す絶好の機会である。
真珠は天井を見上げた。
建物を覆い尽くしている、濃厚な黒い靄。その発生源は、建物の上部にある。そこから感じるのは、タチの悪いエネルギー。
(私なら燃やせるけれど、いいのかな? どうなんだろう?)
人間を助けるように、との神の指示は降りていない。
真珠の勝手な判断で、この建物の人間を助けるために動いてもいいのか。迷う。
真珠は、家族に相談することにした。




