絶望と諦めと
草世は父親の手当てをすると、直志が縛られている広間に行った。直志は、うなだれた状態で寝ている。
その哀れな様子から草世は目を背けると、風呂屋を出た。
直志がいたから、床支村に住んだ。三郎の嫌がらせに辟易して他に移ることを考えたとき、直志がいたから思い留まった。直志が三郎に注意して、嫌がらせをやめさせたからだ。
直志は親友だと、言い切ることができる。
その親友を自らの手で殺めることなど、したくない。
「だが、このままではどっちみち直志は衰弱して死んでしまう。だからといって、縄を解いたら何をしでかすかわからない。どうしたらいいんだ……」
直志は病気などではなく、悪いものに取り憑かれているからではないか。そう考えたときも、袋小路に追い詰められた気分だった。
しかしそのときよりも、状況は深刻さを増した。
ぶらぶらと歩いていると、明るい声をかけられた。
「草世ー!! 迎えに来たよー!」
真珠の天真爛漫な笑顔。荒野に咲いた一輪花のようで、草世は胸が詰まった。涙腺が緩んだが、ぐっと堪える。
真珠は走ってくるなり、草世に息を吹きかけた。
「呪いの切れ端がついている。大丈夫?」
草世は目をパチクリとさせた。
歩くのも億劫だった体が、楽になっている。重石が乗っているようだった肩が軽くなり、痛んでいた頭もすっきりしている。
憑き物が落ちたような、身軽さ。
「呪いの切れ端? どういうことだい?」
「呪われた場所に行くと、体につくんだよ。黒い靄」
「呪われた場所って……。来てくれないか!!」
草世は真珠の手を引くと、丹野風呂屋に引き返した。
横殴りに降っていた雪は草世が父親の手当てをしている間に止み、今は晴れ間が広がっている。
雲の流れが早い、青空の下。草世と真珠は、丹野風呂屋の前に立った。
「大きな煙突があるね」
「あぁ、風呂屋なんだ」
真珠は真剣な眼差しで、丹野風呂屋の建物を凝視していた。
しばらくしてから、「ふぅー」と息を吐き出した。
「入っちゃ駄目」
「どうしてだい?」
「良くないものがある」
「良くないものって?」
「最初は怖くなかった。でも、途中から怖いものに変わった。そういう仕組みの呪詛が、ある」
「呪詛って……呪いってことか!?」
「うん」
「つまり、この建物は呪われていると!?」
「違う」
人間では感じ取れないことを、真珠は掴んでいる。だが、説明が下手すぎる。
草世はもどかしさを抱えつつ、辛抱強く訊ねる。
「呪われているのは、建物ではない。つまり、ここに住んでいる人が呪われていると?」
「うーん……」
「はっきり言ってくれ! 風呂屋の息子の、直志の様子がおかしいんだ! 悪いものに取り憑かれているとしか思えない!」
真珠は興奮する草世から顔を逸らすと、また風呂屋の建物を見つめた。
「この建物のどこかに、呪詛がある。それが、悪さをしている」
風の音に紛れて、不気味な声が響いた。獣のような咆哮に、草世は身を震わせた。
「その呪詛が、呪いをかけていると?」
「うん。このままだと、人が死ぬ」
「そうなんだっ! 真珠、直志に会ってくれないか!!」
真珠の返事を待たずに、草世は真珠の手を引っ張った。
親友を助けたい、その一心で草世は動く。そのため、真珠の変化を気にする余裕を持てない。
真珠の手が強張っていることも、戸惑いで表情を曇らせたことも、行きたくないと訴えるように足の進みが遅いことにも、草世は気がつかない。
邪悪な気配に満ちている、建物の中。
草世がためらうことなく歩いているのが、真珠には不思議だった。
(黒い靄がかかって、前が見えない。ここまでの強い呪いをかけられるのは、普通の人間にはできない。悪神の力を借りたのかも……)
真珠の長い髪が静電気を帯びて、ふわっと立つ。
草世は、直志の元に真珠を連れて行った。
直志は起きていた。外まで響いた獣のような咆哮は、直志のものだった。
太い柱に縄でぐるぐる巻きに縛られている、直志。
逃れようと暴れている様子は鬼気迫るものがあり、好青年だった直志の面影はない。
血走った目。歯茎が見えるほどに大きな口を開けて叫ぶ、形相。理性を感じられない、ケダモノのような暴れ方。
「殺してやるーっ!! みんなみんなみんな、殺してやるーっ!! 邪魔だ! 人間は悪の根源。滅ぼす滅ぼす滅ぼす滅ぼす滅ぼす滅ぼす滅ぼす!!」
草世は絶句した。直志の両親が息子を柱に縛り、自分たちの代わりに殺してほしいと草世に泣きながら頼んだ、その理由が痛いほどにわかった。
直志が騒いでいるのに、両親は姿を現さない。諦めてしまったのだ。
草世も絶望の淵に立ち、脱力した。膝から崩れ落ち、畳に手をつく。
「どうしてこんなことに……」
自分が、直志の命を終わらせてやるしかないのか。
そう考えている草世の横を、真珠が通っていく。
真珠は、暴れている直志の前に立った。




