お薬を買いに
星が凍てついてしまいそうなほどの、寒い冬の夜。
白い満月が、夜空に浮かんでいる。月の光は帯のように降りてきて、雪の野原を走っている小狐を照らす。
「父が死んじゃう! 人間からお薬をもらって来なきゃ!」
降り積もったばかりの雪は純白で、狐の毛も純白。夜目が効く者ですら、雪と同じ色をした狐を見つけるのは難しいだろう。
小狐は村を目指して、一心不乱に走る。
雪から突き出ている倒木を飛び越えた。だが、長く伸びている枝に右前足が引っかかった。
「わわっ!?」
バランスを崩して、子狐は左後ろ足を倒木に打ち付けてしまった。
「きゃんっ!!」
左後ろ足に走った鋭い痛みに、子狐は悲鳴をあげた。ズキズキと痛むが、休んでいる暇はない。
子狐は、左後ろ足を引きずりながら走る。
「あと三本、足があるもん! 平気! 真珠、強い子!」
真珠は、白狐一族の長の娘。足が痛いぐらいで、弱音を吐いてはいられない。
村の明かりが見えた。
真珠は足を止めると、人間に変身した。
◇◇◇
村のはずれにある、医者の家。
草世は友人の手紙を状箱にしまうと、低く唸った。腕組みをして、考え込む。
「相談の手紙を送ったら、逆に相談されてしまった。日本各地で、怪異が起きている? 丹野風呂屋で起きていることも、もののけの仕業なのだろうか?」
草世は、信州にある床支村に住んでいる。
床支村には一軒だけ風呂屋があるのだが、そこの息子である直志の様子がおかしい。そしてそれは、日に日に悪化している。
直志は、よそ者である草世に親切にしてくれた。その恩を返したいし、友人として助けてやりたい。
だが、医者としてはお手上げだった。
「医者がこんなことを言うのは情けないが、もののけに取り憑かれている。それが、しっくりくるんだよなぁ」
草世は、霊感のある友人に相談の手紙を送った。解決の糸口を求めたのだが、友人の手紙には日本各地で怪異が起きている。どうしたらいいだろうと、逆に相談されてしまった。
「僕にわかるわけがない。幽霊を見たこともなければ、人間に化けた狐や狸に会ったこともないんだから」
風が強く吹くたびに、家がガタガタと鳴る。築五十年以上はたっているこの家は、建て付けが悪い。しっかりと戸を閉めたにもかかわらず、冷たい風が草世の肌に刺さる。
寒い夜にいつまでも起きているのは、炭を無駄にする。そろそろ寝ようと、草世は立ち上がった。
すると——……。
トントン。
木の鳴る音が響いた。
トントン。
「お医者さんの家ですかーっ!!」
元気の良い、女の子の声。
村の誰かが具合を悪くしたのだろうと、草世は土間に降りた。草履を履いて、玄関戸の閂を外す。
「誰だい?」
「真珠です! お薬をもらいに来ました!」
「マジュ?」
村に、真珠という名前の娘はいない。近隣の村から来たのだろう。
こんな寒い冬の夜に大変だっただろうと、草世は急いで玄関戸を開けた。
寒風と一緒に真珠の白い息が家に入る。
「血を止める薬をくださいっ!!」
草世は目を丸くした。扉の向こうにいたのは、想像していたよりずっと小さい女の子。
木綿の着物を着た女の子は、背の高さと幼い顔からして五歳ぐらいに見える。
草世は、女の子の周囲に視線を走らせた。女の子以外、誰もいない。
「ひとりで来たのかい?」
「はい!」
「どこから来たの?」
「遠くから!」
真珠は時間がないと訴えるように、足踏みをした。
「父の血が止まらないんです! このままじゃ、死んじゃう! 血を止める薬をください!」
「あぁ、うん。中にどうぞ」
草世は真珠の勢いに押されるようにして、体をずらした。家に招き入れようとしたのに、真珠は頭を横に振った。
「人間の家……じゃなかった。知らない人の家に入らないよう、言われているんです!」
「だけど、外で待つのは寒いだろう? 囲炉裏に火がついている。中で待つといい」
「イロリ?」
「そう、囲炉裏。あったかいよ」
真珠は興味津々に首を伸ばして、草世の背後を見た。
草世は子供が得意ではない。どう接したらいいか、わからない。それでも、子供の瞳が好奇心で輝くのを見るのは好きだ。
「温かいお茶もあるよ」
「お茶!?」
真珠は驚いた声で繰り返すと、草世の瞳をじっと見た。
「意地悪しない?」
「しないよ」
「お茶に毒を入れたりしない?」
「毒!? そんなことしないよ!」
「ふーん。信じてあげようかなぁ?」
好奇心が勝つ。真珠は、人間の家に足を踏み入れることにした。
敷居を跨いだ際に、左足に痛みが走る。
真珠の小さなうめき声と、眉間に寄った皺を、草世は見逃さなかった。
「君も怪我をしている?」
「なんでわかったの!?」
「医者だから」
真珠の父親は、人間の毒矢に当たった。人間を信用してはいけないと、真珠は思っている。
けれど、目の前にいる医者は良い人間のようだ。




